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今、日本のポップカルチャーが世界でどのように受け入られ影響を広げているのか。WEB等で探ってその最新情報を紹介。

日本の長所は無宗教から

2011年01月20日 | 相対主義の国・日本
まず、これまで「日本文化のユニークさ」と呼んできたものを「日本の歴史・文化のユニークさ」とタイトルを変えたい。先日、これまでの4項目にひとつ加え5項目にしたあれだ。ここには歴史的な要素がかなり入っているからだ。

(1)狩猟・採集を基本とした縄文文化が、抹殺されずに日本人の心の基層として無自覚のうちにも生き続けている。

(2)ユーラシアの穀物・牧畜文化にたいして、日本は穀物・魚貝型とで言うべき文化を形成し、それが大陸とは違うユニークさを生み出した。

(3)大陸から適度に離れた位置にある日本は、異民族(とくに遊牧民族)による侵略、強奪、虐殺など悲惨な体験をもたず、また自文化が抹殺される体験ももたなかった。

(4)宗教などのイデオロギーによる社会と文化の一元的な支配がほとんどなかった。

(5)西欧の近代文明を大幅に受け入れて、非西欧社会で例外的に早く近代国家として発展しながら、西欧文明の根底にあるキリスト教は、ほとんど流入しなかったこと。

その上で「日本の長所」11項目を見てみよう。上の5項目のうち新たに加えた(4)に深く関係する長所は、10)と11)だろう。

1)礼儀正しさ
2)規律性、社会の秩序がよく保たれている 
3)治安のよさ、犯罪率の低さ 
4)勤勉さ、仕事への責任感、自分の仕事に誇りをもっていること
5)謙虚さ、親切、他人への思いやり
6)あらゆるサービスの質の高さ
7)清潔さ(ゴミが落ちていない)
8)環境保全意識の高さ
9)食べ物のおいしさ、豊かさ、ヘルシーなこと 
10)伝統と現代の共存、外来文化への柔軟性
11)マンガ・アニメなどポップカルチャーの魅力とその発信力

私たちの日常生活は、ほとんど無宗教に近いかたちで営まれている。そういう制約のなさから生まれてくる自由なストーリーが、相変わらず多少とも宗教的な制約のなかで生きている人々にとっては、新鮮でクールなものと映る。そんな風に、私たちの文化の無宗教性を積極的にとらえた方が、熱烈なアニメブームの理由をより深く説明できるのではないか。アニメの背後にある私たちの文化の無宗教性、タブーのなさ、奔放で自由な表現、そうしたものに積極的な価値が見いだされ、それが世界でクールと受けとめられ始めているのではないか。

日本のファッションにしてもサブカルチャーにしても、なぜ世界で支持されるのかを考えると、結局は「自由」という言葉に突き当たると指摘されることも多い。たとえば、日本人は、「何よりも、自由に服をつくっています。いろいろな種類のファッションがあるのもいいですね」など、これに類する感想がじつに多いようだ。アニメの特徴のひとつにそれが扱う世界の「多様性」があるように、東京のファッションは「選択肢の多さ」が素晴らしいという外国人が多い。(『世界カワイイ革命 (PHP新書)』)

外国人は、日本、とくに東京に「選択肢の多さ」、そして「自由」、「可能性」というイメージをもっているようである。日本には、クリエイティブなジャンルにおけるタブーが少なく、製作者が自由に表現したりつくったりできる風土があるのだろうか。アニメは子どもが見るものという呪縛を打ち破ったのも、そうした自由の結果かもしれない。

ではなぜ日本で、そのような自由な風土が生まれたのだろうか。それは、やはり宗教による一元的な文化支配の歴史がほとんどなく、宗教的なタブーが少ないという事実から来るのだろう(「日本の歴史・文化のユニークさ(4)」)。

また、島国であり、ユーラシア大陸から適度が距離で離れているため、大陸の諸民族からの攻撃や暴力的な支配をほとんど経験しなかった(「日本の歴史・文化のユニークさ(3)」)。それで、大陸の文化のうち自分たちに合う要素を抵抗感なく自由に取り入れ、自分のものにすることができた。かつては中国やインドから、近現代ではヨーロッパやアメリカから。

そして、昭和の一時期を除いて、強力なイデオロギーによる文化の一元支配が、長い歴史のなかでほとんどなかったから、多様な文化アイテムが自由に並存することができた。伝統的なものも現代的なものも、東洋的なものも西洋的なものも、すべてが無原則的に(非イデオロギー的に)陳列された。その、一元的にしばられない何でもありのごった煮のような状態から、自由な発想や組み合わせが生まれてくるのではないだろうか。

もちろんこれは日本のサブカルチャーの自由な創造性を説明する、ほんの一側面にすぎないだろう。マンガにしぼっていえば、次のような興味深い指摘もある。欧米のマンガ市場はおとなが子どもに読ませたいものを買う市場なのに、日本のマンガ市場は子どもが自分で選んだ本を買う市場だった。それで、おとなが読ませたいものを書いたマンガではなく、子どもが読みたいものを書いたマンガが発達した。その結果、日本のマンガは欧米ではとうてい考えられないような表現の自由をかなり早くから確立していたのだという。(この指摘については増田悦佐の『日本型ヒーローが世界を救う!』を参照されたい。)

ともあれ日本の長所は、日本の文化が無宗教的で非イデオロギー的であることによって育まれている面があるのは確かだろう。いまや日本人は、自分たちが無宗教的であることに誇りを感じるようになってきているのではないだろうか。

≪関連記事≫
日本の長所は、島国の歴史がつくった
世界カワイイ革命(1)
世界カワイイ革命(2)

≪関連図書≫
無宗教こそ日本人の宗教である (角川oneテーマ21)

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8 コメント

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Unknown (Unknown)
2011-01-21 00:49:39
毎年正月になったら国民総出で初詣する国民が、無宗教なわけないでしょ・・・・

宗教的儀式として認識しないほど、完全に文化の中に溶け込んでいるだけで、無宗教とは言えませんよ?日本は。
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定義によるよ (ソラ)
2011-01-21 13:46:21
宗教ということば自体が、ヨーロッパ語の翻訳で、その教義や神を熱心に信じ、他を排除するようなイメージ。このブログの言葉でいえば「一元的なイデオロギー」支配ということ。

そういう意味での宗教はない、ということを「無宗教」ということばで積極的に評価しているんだと思うよ。
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Unknown (Unknown)
2011-01-21 16:05:44
ここでの無宗教は、no religionでなくreligion freeの意図では。

初詣は、宗教的行為だが信仰の表明と言う感じはしない、季節の行事として楽しむ文化的な慣習になってると思う。
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教義宗教ではないということ (cooljapan)
2011-01-21 17:53:13
みなさん、コメントありがとうございます。

そうですね、ここでいう宗教とは、特定の神や教義をかたくなに信じるという意味での宗教です。そういう意味では日本人の大半は「無宗教」といってもよく、しかし日本人の中に何かしら宗教的な心情が生きているもの確かでしょう。それこそ縄文時代から受け継いできたような自然や命への畏敬心のようなものが。

それにしても一神教的な教義宗教がいかに多くの不幸を生み出してきたことか。
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Unknown (Unknown)
2011-01-22 03:27:26
日本はユルい多神教
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ユルい多神教 (cooljapan)
2011-01-22 14:05:07
確かに八百万の神じゃ、そもそもどんな神様がいるか覚えきれないし、わからない。真面目に信じているのかもわからない。

ユルくならざるを得ないですね。

一神教の絶対神にくらべたら、相対化の極限。
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Unknown ( )
2011-01-23 01:34:00
religion freeの意図でも無宗教は変だと思う。
多神教の方がしっくり来るな。
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ポケモン・カードが (Unknown)
2012-12-10 00:41:50
ネットでちらと読んだだけなのですが、ヨーロッパのどこかの国でポケモンのカード・ゲームの発売が禁止されたそうです。理由はカードのデザインの中に★印があり、宗教的なシンボルを公にさらすことを禁止した法律に違反するからだとか。日本人には理解不能です。
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