長期休暇ごめんなさいでした

2008年12月04日 | 風の旅人日乗
気が付けば、このブログを最後に更新してから2ヶ月が過ぎていました。

一週間ほど前から、安否を気遣ってくれる人たちから電話やメールが来始めました。
ごめんなさい。

昨日、久し振りに自分のブログを開いてみたら、
今でも毎日200人前後の人たちが覗きに来てくれていて、
更新もしてないのに、申し訳ないことに
その人たちがバックナンバーをそれぞれ3,4項目を読んでくれていることを知ってビックリしました。
2ヶ月も休んだのだから、もうこのブログのことなど、忘れ去られているのだろうと思ってました。
純粋に、嬉しいです。

実は、この2ヶ月の間に、
嬉しいことと、悲しいことが、いくつか続いて起きました。

2ヶ月間ブログを休んでいる間に、ぼくはなんと2児の父になりました。
いえ、いえ、いっぺんに2人生まれたのではなく、
2人目が生まれたという意味です。
入院(ぼくじゃなく、奥さん)、
出産(ぼくじゃなく、奥さん)、
退院(ぼくじゃなく、奥さん)、
父母の上京、
初宮参り、
その間に海外出張も入り、
てんやわんやの日々でした。

そして、2ヶ月間ブログを休んでいる間に、
2人の大切な友人が、亡くなってしまいました。

そのうちの一人は、ぼくのセーリング活動を支えてくれていた人でした。
それにもかかわらず、
ヨットレースに出る仕事と、チームニシムラ主催のセーリングイベントのために、
ぼくは彼のお通夜にも告別式にも行くことができませんでした。

ヨットレースに出るほうの仕事は、
楽しみにしているオーナーにご迷惑をお掛けするので到底キャンセルできず、
チームニシムラ主催のセーリングイベントは、
安全上の責任者としてどうしてもその場に居らなければならず、
ぼくなりに苦渋の判断でした。

友人との最後のお別れもせず、
そのような行動を選択した自分を、後で責めて、
とても長い間落ち込みました。

その友人の死は、
彼と新しいセーリングの仕事を始めるための準備をしている最中のことでした。

彼の存在がなければ始めることのできない仕事だったので、
一旦は計画自体をあきらめることにしました。

しかし、いずれ機会がきて、再び条件を揃えることができれば、
彼のためにも実現させたい、と
最近になって、やっと考えられるようになりました。

自分の能力は海に出てこそ生かされる、
という自負は、常に忘れないでいようと思います。
セーラーである自分自身の誇りを常に忘れないために、
今ぼくは、大海原をセーリングで走り続けたいと、心から願っています。

2年前、太平洋を2回横断したとき、
自分はどんなことを考え、どのような気持ちでいたのかを思い出すために、
2年前に書いた自分自身の文章を、昨日読み返してみました。

自分の気持ちが再び前を向いたように感じました。

明日から、その文章を元に、
何日か続けて、そのときの航海の様子をブログに書き込むことにします。
時間に余裕がないので、時間を見つけては、追って写真の挿入などの編集をしていくつもりなので、
何度かチェックしにきてくださいね。


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