小笠原村父島2月無作為日記-3

2011年03月06日 | 風の旅人日乗
今年の3月3日の雛祭りはボートショー初日でもあり、
お客さんと一緒に横浜で待ち合わせし、会場へ。
久し振りに堀江謙一さんにお会いでき、お話を少々。

翌日金曜日は、東京・夢の島マリーナからヨットを出してセーリング。
すっごく冷たい北北西~北の風の中、リーフ練習などしながら早春の東京湾を堪能。
西に真っ白な富士山、北にスカイツリー、南にうみほたる。
箱庭のような景色の中、荒川や江戸川から降りてくる風道がよく見え、
この風のときにレースで引くべきコースが、
おおよそイメージできた。




この写真は、小笠原ビジターセンターに展示されている父島丸の模型。
いまの小笠原丸の2世代前の小笠原定期航路船だ。

初めての父島は、この船に乗って行った。
1977年か1978年のことだ。
見ず知らずの人ばかりの日本ヨット業界への就職活動のために、
大学を1年間休学していたときのことだった。

父島丸では、東京・竹芝桟橋から父島・二見港までの約550海里を行くのに、片道38時間ほどかかり、
寝るときは、貨物庫の覆い板の上に毛布を敷いて雑魚寝した。
太平洋のうねりに比べるととても小さくて、めっちゃ揺れる船だった。

大学の卒業論文の一部は、父島で書いた。
当時、卒論は万年筆で書かなければいけないことになっていたのだけれど、
インク消しを島のなんでも屋さんのまるひ商店に買いに行ったら、
当然そんなものは置いてなく、注文してもらっても、
次か、次の次の船まで待たなければならなかった。
そういう島が日本にあることが、とても新鮮で、嬉しくて、ワクワクした。


[1978年当時、まだ実際に漁に使われていた、父島オリジナルのカヌー。
帆装も備えていたし、船外機も取り付けられた。
これは、小笠原ビジターセンターに展示されている写真を撮影したもの]

なぜ大学休学中に父島に行ったのかは、つづきます。


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