Feb.23 2006 デイゴの花が咲き{/onpu/}

2006年02月24日 | 風の旅人日乗
2月23日 木曜日。

沖縄・座間味島サバニ合宿3日目。

順調にサバニ合宿進んでいます。

今回は、日本全土が大寒波に襲われていた昨年12月の合宿のときよりも暖かく、非常にポジティブに練習ができている。
海にいる時間が長くなり、夕食直前まで練習しているし、夕食の後は、いつものように泡盛を酌み交わしながら、サバニや沖縄の話題での宴会が盛り上がるので、日記をつける時間がほとんど皆無だ。

なので、決して手抜きではないのですが、日記の代わりに、20日、21日に続いて、かつて雑誌に発表したサバニについての文章を、順次掲載していきます。

今日は、2002年のサバニ帆走レースの後に書いた、文章をひとつ。

====================================
沖縄の海に蘇る伝統の帆かけサバニ
取材・文 西村一広

【沖縄】
でいごの花が咲きー
風を呼び嵐が来たー
「島唄」のサンシンの音色に誘われるまま、沖縄に行った。
沖縄に行って、サバニの大船団を見てきた。
見るだけでなく、帆かけサバニ・レースに参加して座間味島から那覇港まで、18マイルのセーリングを堪能してきた。

【サバニとは】
海好き、船好きの皆さんのことだから、サバニと呼ばれる舟のことをご存知だと思うが、念のために簡単に説明をさせていただきたい。

サバニとは、古くから沖縄地方を中心に、これらの海域に広く発達した独特な形をした舟のことで、船尾が高く立ち上がり、細くて流れるように滑らかな船型を特徴とする美しい舟だ。

徳川時代の鎖国政策で、日本のそれまでの船や海文化に関する資料や文献がなくなってしまい、縄文時代からそれまで連綿と続いてきたはずの我が国海文化の歴史は、まるで存在しなかったかのように空白になっている。
為政者が意図的にある文化を途絶えさせようとすれば、あっけなくそれを実現できるという恐い実例だ。サバニもその例外ではないが、なんとか、琉球の時代まではその歴史を辿ることができる。

古来、サバニの原形は丸木を刳りぬいて造る丸木舟だったが、今(2002年)から265年前、沖縄の森林資源の枯渇を恐れた琉球政府が板材を組んで舟を造ることを奨励したことをきっかけに、薩摩の島津藩から輸入した日南地方の飫肥(おび)杉(すぎ)を使ったサバニが発達するようになった。

つい40,50年前まで、サバニは沖縄の漁業や物資の輸送などで活躍し、その主な動力は風であった。大型の帆かけサバニは、遠く南太平洋まで長期の漁に出かけることもあったという。

しかし、この伝統ある帆かけサバニの姿を沖縄の海で見かけることは、今ではほとんどできない。第二次世界大戦後、エンジンが帆に取って代わるようになったからだ。
今でも、現在の沖縄漁船の船型にサバニの血統をかろうじて見ることができる。しかし安定性を犠牲にしてスピードを重視していたサバニの操船方法、外洋セーリングの技術はそのまま廃れる運命を辿ろうとしていた。

西暦2000年、沖縄サミットの年に、沖縄が誇るべき伝統である帆かけサバニの美しい姿と、その帆走技術を後世に残そうと、沖縄を中心とする有志たちが集まり「帆かけ(沖縄では"フーカケ"と読む)サバニ保存会」が発足した。

【第3回サバニ帆走レース】
その年、2000年の夏、保存会は漁師や地元の海関係者に声をかけて沖縄本島、慶良間諸島などに残っているサバニを集め、座間味島から那覇まで、約18海里のサバニ帆走レースを企画した。帆かけサバニというハードだけでなく、その帆走技術というソフトをも復活させようと考えたからだ。

3年目に当たる2002年6月30日に行なわれた第3回レースには、大小様々な35隻ものサバニがエントリーしてきた。
このイベントを最初からサポートしているのはスイスに本社を置く時計会社スウォッチ・グループだ。日本の伝統技術を、海外の企業が守ってくれているのだ。

さらに、2002年の大会は『サー・ピーター・ブレイク・メモリアル』と銘打たれ、ピーター・ブレイクを偲ぶトロフィーが優勝杯となった。
ピーター・ブレイク卿は生前、この帆走サバニ・レースの第1回大会を応援するために沖縄を訪れている。つまり、オメガという外国企業、ピーター・ブレイク卿という外国人が、日本の伝統を理解し、守ろうとしているのだ。それに対して日本の企業はどんなふうに自国の文化を守ろうとしているか? 日本人として少し恥ずかしい気持ちになるのはぼくだけだろうか?

それにしてもしかし、座間味の海の美しさには、まったく言葉を失う。日本という国にはこんなにきれいな海があるのかと、20年ぶりに座間味にやってきたぼくは、ただただあきれ、驚くばかりだった。

本州から持ち込んだ合板製のサバニをその海に浮かべ、野上敬子さんと一緒に走らせながら、「嫌なこともいっぱいあったけど、今日までセーリングをやめなくてヨカッタナ、ヨカッタナ」と、しみじみと思っていた。
フェリーの〈ざまみ丸〉に載せられて、または自力回航で、沖縄各地から美しい形のサバニが次々と座間味島にやってくる。どのサバニも細くて、凛として、本当にカッコいい。

6月30日の朝、真っ白な砂が朝日にまぶしい古座(ふるざ)間味(まみ)浜に、スタート準備を終えた35隻のサバニがずらりと並ぶ。
見るからに強そうな地元沖縄の海人(うみんちゅう)集団に混じって、シーカヤックの第一人者・内田正洋の姿が見える。
南波さんが乗っていた頃からの〈うみまる〉艇長・山本秀夫もいる。サバニの研究書を自費出版している建築設計家・白石勝彦氏と舟艇設計家・林賢之輔氏が一緒に立ってサバニ艇群を見ている。
『ビーパル』誌の人気ライターの松浦裕子さんもいる。
著書「星の航海師」でナイノア・トンプソンを書いた星川淳氏の顔も見える。

8時15分、座間味村の仲村村長がスタート合図のフォーンを高らかに鳴らし、第3回サバニ帆走レースが始まった。
35隻のサバニが一斉に浜から押し出され、帆が揚がり、それに南の風が吹き込む。エーク(櫂)を漕いでいる力強い掛け声があちこちから聞こえてくる。

鮮やかな緑に包まれた座間味島と渡嘉敷島との間の水道を抜けて沖縄本島を目指すたくさんのサバニたちの美しい帆走シーンに目を奪われながら、その何日か前に座間味の港で、準備をする我々の様子を覗き込んでいた島のお年寄りがつぶやいた言葉を思い出していた。
「遊びでサバニに乗るんか? いいなあ。いい世の中になったねえ。」

最新の画像もっと見る