昨日の日曜日は、浜名湖から葉山を訪ねてきた小池の哲ちゃんと、森戸の浜を歩きながら、家でコーヒーを飲みながら、
現在のこと、未来のこと、をいろいろと語り合った。
日が暮れてすぐに布団に入ったのだが、
哲ちゃんと話した内容を夢で思い出し、
さっき、夜半過ぎに起き出して、
これからのことについて、いろいろと考え中。
さて、それはともかく、
なぜ大学休学中に、当時片道40時間近くもかかった小笠原父島に行ったのか、のお話。
大学卒業前、最初の長期航海実習で北半球の冬分に南半球のシドニーに行った後、
2回目の長期航海実習は、初代の帆船日本丸に乗船してのハワイ往復訓練だった。
現在は、横浜桜木町駅前の日本丸記念公園に係留保存されている初代日本丸だが、
当時も、すでにかなりのおばあちゃんで、
アベレージ4.5ノットの、かなーりゆったりとした、
でも、一歩一歩確実な歩みで、若い我々をハワイまで連れて行ってくれた。
ハワイ滞在中の最後の寄港地は、ハワイ島のヒロだった。
約1週間の停泊中は、地元の日系人の方々が船を訪問して下さり、
いろんな行事に招待してくれたりする。
ヒロで亡くなった日本人移民の方々が眠る日本人墓地の掃除するのも
我々実習生の大切な役目だが、
そのお返しに、お神輿を担ぐ祭りや、ボンダンス(盆踊り)に参加させていただいたりする。
それらの方々との交流だけでなく、
ハワイ島の高校やハワイ大学ヒロ校に通う可愛い女の子たちも船に遊びに来る。
彼女たちが船まで遊びに来てくれたお返しに、
ボクはよく知らないのだが、何人かの勇者たちは、
巡検後の夜10時過ぎ、闇に紛れて舷門を突破し、
すぐ近くのホテルにあったディスコ(この言葉、まだ分かる人いるのかな?)で
彼女たちと合流して、文化交流に努めたりした。らしい。
そんな、帆船日本丸に遊びに来るお客さんの中に、
ヨットで太平洋の島々をクルージング中の日本人の新婚さんカップルがいた。
大学の中ではセーリングきちがい、ヨットきちがいで知られていたボクが、
彼らの案内役をおおせつかり、
帆船日本丸のあちこちを案内しながら、
ヨットでの太平洋クルージングの楽しそうなお話も聞かせてもらったりした。
そのカップルは、小笠原父島で酒屋さんを営む人たちで、
そのお2人の、「日本に帰国後、時間ができたら遊びに来なよ」
というお言葉に、まるっきり甘えて、それから半年後、
休学中で時間だけはたっぷりあったボクは、
未知の島、小笠原に遊びに行くことにしたのだった。
アルバムを探したら、当時のハワイ島ヒロ港の、こういう写真が出てきた。
後ろに写っているのが、そのお2人が乗っていたケッチで、
その手前に立っているのが、今からほんの何年か前のワタクシ。
現在、ヒロ港のこの水面には、
ホクレアのキャプテンの一人、カレパ(チャド)・バイバイヤンが運航している
双胴航海カヌー〈ホクアラカイ〉が係留されている。
来週の週末、ボクはここに行って〈ホクアラカイ〉でのトレーニングに参加する。
西洋型の帆船やヨットでのセーリングとポリネシアの航海術によるセーリング航海。
地球の東西2つのセーリング&航海術を学ぶことができているなんて、
まあまあ幸せな人生ではあるかもね。
ただし、この人生は、自分が学んだことを次の世代にバトンタッチして初めて、
意味が出てくるものなのだよ。
現在のこと、未来のこと、をいろいろと語り合った。
日が暮れてすぐに布団に入ったのだが、
哲ちゃんと話した内容を夢で思い出し、
さっき、夜半過ぎに起き出して、
これからのことについて、いろいろと考え中。
さて、それはともかく、
なぜ大学休学中に、当時片道40時間近くもかかった小笠原父島に行ったのか、のお話。
大学卒業前、最初の長期航海実習で北半球の冬分に南半球のシドニーに行った後、
2回目の長期航海実習は、初代の帆船日本丸に乗船してのハワイ往復訓練だった。
現在は、横浜桜木町駅前の日本丸記念公園に係留保存されている初代日本丸だが、
当時も、すでにかなりのおばあちゃんで、
アベレージ4.5ノットの、かなーりゆったりとした、
でも、一歩一歩確実な歩みで、若い我々をハワイまで連れて行ってくれた。
ハワイ滞在中の最後の寄港地は、ハワイ島のヒロだった。
約1週間の停泊中は、地元の日系人の方々が船を訪問して下さり、
いろんな行事に招待してくれたりする。
ヒロで亡くなった日本人移民の方々が眠る日本人墓地の掃除するのも
我々実習生の大切な役目だが、
そのお返しに、お神輿を担ぐ祭りや、ボンダンス(盆踊り)に参加させていただいたりする。
それらの方々との交流だけでなく、
ハワイ島の高校やハワイ大学ヒロ校に通う可愛い女の子たちも船に遊びに来る。
彼女たちが船まで遊びに来てくれたお返しに、
ボクはよく知らないのだが、何人かの勇者たちは、
巡検後の夜10時過ぎ、闇に紛れて舷門を突破し、
すぐ近くのホテルにあったディスコ(この言葉、まだ分かる人いるのかな?)で
彼女たちと合流して、文化交流に努めたりした。らしい。
そんな、帆船日本丸に遊びに来るお客さんの中に、
ヨットで太平洋の島々をクルージング中の日本人の新婚さんカップルがいた。
大学の中ではセーリングきちがい、ヨットきちがいで知られていたボクが、
彼らの案内役をおおせつかり、
帆船日本丸のあちこちを案内しながら、
ヨットでの太平洋クルージングの楽しそうなお話も聞かせてもらったりした。
そのカップルは、小笠原父島で酒屋さんを営む人たちで、
そのお2人の、「日本に帰国後、時間ができたら遊びに来なよ」
というお言葉に、まるっきり甘えて、それから半年後、
休学中で時間だけはたっぷりあったボクは、
未知の島、小笠原に遊びに行くことにしたのだった。
アルバムを探したら、当時のハワイ島ヒロ港の、こういう写真が出てきた。
後ろに写っているのが、そのお2人が乗っていたケッチで、
その手前に立っているのが、今からほんの何年か前のワタクシ。
現在、ヒロ港のこの水面には、
ホクレアのキャプテンの一人、カレパ(チャド)・バイバイヤンが運航している
双胴航海カヌー〈ホクアラカイ〉が係留されている。
来週の週末、ボクはここに行って〈ホクアラカイ〉でのトレーニングに参加する。
西洋型の帆船やヨットでのセーリングとポリネシアの航海術によるセーリング航海。
地球の東西2つのセーリング&航海術を学ぶことができているなんて、
まあまあ幸せな人生ではあるかもね。
ただし、この人生は、自分が学んだことを次の世代にバトンタッチして初めて、
意味が出てくるものなのだよ。