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沖縄の旅 5 沖縄とオキナワ

2011-05-24 08:35:17 | 日記・エッセイ・コラム

 沖縄の旅もひとまず今回で終えることにして、最後にもう一つの沖縄について気づいたことをお話します。滞在中、毎朝ホテルは泊り客に新聞を投入してくれていました。「沖縄タイムス」です。沖縄には他に「琉球新報」も発行されているようです。

 やはり地方新聞らしく、沖縄の情報が多いのはあたりまえでしょうが、どうしてもオキナワの記事が目立ちます。6月15日は「沖縄の日」と制定されていることをご存知でしょうか。ちょうど1ヶ月前ということもあって、どこからともなくシュプレヒコールが聞こえていました。

 江戸末期に琉球王国は崩壊し、沖縄藩となり、日本の支配下になります。そして第2次大戦では最も激しく戦火にあい、大量の犠牲者を生んでしまいます。首里城も焼け落ちてしまいました。明らかに軍部の独走や強権力が働きました。

 そして沖縄は1972年、当時の首相佐藤栄作によって本土復帰をします。核三原則を声高に挙げるのです。しかし、それには密約があり、国民の目には見えませんでした。最近、密約文章が発見されました。ここでも沖縄は自治権を与えられず、アメリカが駐留し、70%にも及ぶ土地を軍事基地に奪ってしまったのです。

 県民の多くは、騒音と危険、さらに犯罪と重なる重圧に耐え切れずにいます。そこにもう一つの沖縄を見ることができます。カタカナのオキナワはずっと長く支配下に喘いでいることを沖縄にいって肌で感じることができます。

 オキナワはどこに向かっていこうとしているのでしょうか。迷走する政府は、明確な指針も出せずにいます。しかし沖縄の人びと、つまり「ウチナンチュウ」は、それでも耐えつつ、琉球時代からの伝統を守り、楽しんでいるようにも見えます。

 こうした一連の苦汁の中で生活を営む人びとは、困難な環境からなんとか解放してほしいと願っているのです。「沖縄タイムス」は連日、米軍基地の問題を論じ、アメリカと政府に物申そうという姿勢は変わらないことを報じていました。

 何よりも大事なことは、遠くにいる私達も常に関心を抱き続けることだと思いました。何事も時の経過とともに人間の思いから遠ざかり、風化することへの危惧でしょうか。

 日本の悲しい現実が伝わってくるような思いを抱きました。

やさしいタイガー


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