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不可思議な携帯電話の通話システム

2011-06-07 08:52:29 | 日記・エッセイ・コラム

 この2ヶ月携帯電話の通話料の請求書が届かず、しかも引き落としの金額は預入してあるのにかかわらず、滞納の請求書が郵送で届きました。いくらなのかわからないまま、見込みで預けたのですが、たった1日違いで落とすことができないらしいのです。すべて機械が操作するので、不可思議な現状を口のやり取りではまったくできませんでした。

 あげくに驚いたのは、ぼくが一切操作していないにもかかわらず、変更の手続きをされていますとの返事。しかも変更した日まで指摘がありました。手帳を見ると、その日は大きな会合があって外に出ていたので、そんな忙しい時に、操作するわけがないのです。

 いくら物覚えが悪くなったとはいえ、本元の会社のほうで、操作されてしまっていたのです。あげくに、携帯番号は変更をされていませんか、とのこと。今話している番号で本人を確認しているにもかかわらず、そんなとぼけたことを言われ、だんだん僕のご機嫌は斜めになるばかり。だれかが操作されていませんか、というまだ会社の正当性を主張されました。

 いらつく感情を抑えながら、オペレーターとのコミュニケーションはまったく進みません。何しろ機械がしたことですから。とにかく元に戻してくれるように依頼し、毎月の請求書も送付してくれるように頼んで、僕が折れる形で終了したのです。

 今、世の中では「安心・安心」の神話が崩れようとしています。文明の進化は、もちろん僕達の生活を高めました。しかし歪んだ理解と機械に依存しすぎるために、人間は傲慢になり、真実を隠蔽して、機械のせいにする。僕達はいわれるままに、何もできない。大きな段差に忸怩たる思いをするだけです。

 あれほどの大事故を起しているにもかかわらず、迷走する原発当事者の言動は、もはや人災だと叫ぶ人も多く出ています。大事故によって企業も社会もどう変わろうとしているのか、一向に見えないところは、機械万能主義に陥る情報社会の行き着くところなのかもしれません。

 携帯電話を開発し、コミュニケーションの手段を格段に拡大した研究者や技術者には、かぎりなく感謝をしているのですが、身に覚えのないことがすべて機械のなせることだといわれると、もう利用者は太刀打ちできません。携帯電話一つが、こんなに難しいものかと、なんだか不愉快な一日でした。

やさしいタイガー


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