期待して待っていた映画が始まりました。「終戦のエンペラー」を初日に観てきました。やはり内容が内容だけに、比較的年齢の高い層がきわだっていて、しかも7割がた埋まっていましたから関心の高さを示しているのでしょう。
1945年8月15日、日本はポツダム宣言を受け入れ、無条件降伏をし、長い戦争に終止符を打った日から、やがて連合国の日本の復興に着手する動きから始まります。
8月15日のことを僕は今も覚えています。
灼熱の太陽のもと、命令されるまま近隣の人々は広場に集まりました。そこには白いクロスをかけた机の上に小さなラジオが置かれていました。やがてそのラジオから、よく聴き取れない声が流れてきました。小学校低学年の僕は目の前で何が起こっているのか判断もつかないまま突っ立っていましたが、そのうちに周りの大人たちの間から押し殺した嗚咽が漏れてきました。幾時間が経ってから、日本が戦争に負けたのだということを知りました。
この映画の冒頭の場面は、焦土と化した日本に連合国軍最高司令官であるマッカーサー元帥が、厚木飛行場に降り立った姿を大きく描いていました。彼は、日本軍部の報復を予想されながらも、あえて武器を携帯せず、サングラスをかけ、長いパイプをくわえて降り立ったのです。血気にはやる兵士たちを安心させるためでした。見事な演出です。
もう一つの印象的な場面は、天皇がマッカーサーと接見するところです。これは極めて重要な部分で、天皇を現人神と崇めるよう国民に強制してきた軍部や重鎮たちは、マッカーサーに天皇を面会させるなど考えも及ばなかった出来事です。
ちょうどアメリカはこの戦争の責任者は誰かを懸命に追及し捜索していた時期でもありました。燕尾服姿の天皇と腰に手を当てたマッカーサーとの写真は、後に大きな批判を浴びた情景ですが、経緯がよくわかるような場面にしていました。
接見の場で天皇は自ら発言し、戦争の責任は自分にある。いかなる処罰も受け入れるとマッカーサーに告げます。クライマックスです。 この映画はアメリカ側から撮影されていますから、当然視野に入れていたことでもありましたが、しかし、マッカーサーは天皇に、日本の復興にお力をお貸しいただきたい、と応答するのです。
つまり、天皇の戦争責任は問わないという意思表示です。当然本国との考えとは違う判断です。
もともとマッカーサーは、日本の復興には天皇の力が必要だということを理解していたようです。いかなる状況になろうとも天皇を崇拝する感情は強く、もし天皇を裁きの場に送りだせば、国民は暴動すら起こしかねず、とても復興は難しいとも判断していたからでした。
こうした場面は、おおむね歴史が示していることと大差はありませんが、すべての重要な資料を隠ぺいしたり、無価値にしたり、廃棄する日本の体制とは違い、私的なメモ一枚でも保存するアメリカの価値観の違いを見せつけられた思いをしました。よい映画だったと思います。
あれから68年、今や戦争を知らない世代が国の中枢を担う時代です。次第に戦争体験者が減少していく中、戦争を煽るような動きや威嚇が起こってきています。いかなる国であれ、いかなる理由であれ、戦争を肯定することは許されません。
「平和」と「安定」と政府がよく使う言葉はどうも重みを感じません。この年の8月、体験を忘れることなく、謙虚な国にしていくことを誓い直す季節だと思っています。
やさしいタイガー
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