新聞に載った「のり子」さんのキッとした目は別れのつらさや悲しみ、そして恨みなど傷めた心のすべてを込めてまるで虚空を眺めているような表情のように見えました。日本政府はまったくコメントをせず、父親はすでに強制収容され、16日にも母親ものり子さんも強制収容すると報じていましたね。選択肢は3人がフィリピンに強制送還されるか、のり子さんだけ日本に残るかしか道がないようです。新聞にはおじやおばがいて養育や保護は可能と管理事務所が判断したらしい。
はたしてそれでいいのだろうか。のり子さんの別れのつらさや深く傷ついた心をだれが解きほぐすことができるのか、プロのカウンセラーか、そんなことで人の心は癒すことはできるとは思えません。苦しいとき「おかあさーん」と叫ぶときそこに優しい母親の顔を見ただけで子供は安らぐのです。それを養育というのではないでしょうか。どこか大人のしかも為政者たちの法律だけで人間の内面にまで拘束するのは自由を奪うのと同じです。
のり子さんの周囲には「のり子基金」を設けようという周囲に優しい心を持った人々はいます。しかし国際的人権宣言や子どもの人権宣言などを重ねてみてもこれは明らかに違反しています。むしろ親子を割くことを優先するよりも、どうしたらこのような悲しい事態を引きおこない優しい国ができるかにもっと為政者たちは悩めといいたいですね。怒りが収まりません。のり子さんはこんな不快な社会にあっても心身の健康を損ねないよう毅然と生きていって欲しいと願っています。僕たちのできることがこの程度というのも非力を感じてしまいますが。
やさしいタイガー