

新しく出す本の校正で印刷屋さんを訪ねた。
するとそこに「トライやる ウィーク」で中学生が3人来ていた。
「この子らに何かお話を」といわれて、
「印刷という仕事は将来どうなると思う?必要なくなると思う?」と聞いてみた。
すると「ハイ」と頷く。
「わたしはそうは思わない」と答える。
「長く支持されてきたものはそんなに簡単にはなくならないと思うよ。形は変わっていくかもしれないけど」
さらに、
「昔、ラジオが出現した時の話があるんやど、その時、もう新聞は必要なくなると言われたらしいんやね。だけど生き残ってるからね。また最近ネットの出現で不要論が出てるけど、どうなんかな?
本なんかも電子書籍に変るとかいわれるけど、わたしはそうは思わない。紙の本は紙の本の良さがあるから残ると思う」
ほかにもいろいろ話しました。
そして最後に、
「わたしの言うことをすべて信用したらあかんよ。最後は自分で勉強して自分で考えるようにしないとね」と。
『コーヒーカップの耳』 もう二度と書けないだろう傑作本。
本屋さんでふと手に取った本が、わたしの地元が物語のスタートになっているのを知り、購入して読み始めた。
二カ月ほど前だ。「津門、今津が舞台の小説」と題して書いている。
これがすこぶる面白くて参った。
というのも、すでに13巻と特別編2巻が出ていて、全15巻。
これではほかの大事なことが出来なくなってしまう。
なので、思い切りブレーキをかけながら読んでいる。
自分一人で楽しむのは…、と思って、妻にあらすじを話してやりながら。
ところが、妻もはまってしまって、続きを要求される。
そのうち、大事なところを朗読してやることになった。
妻は忙しくて本を読む暇がない。
なにか仕事をしながらわたしの朗読を楽しんでいる。
本のタイトルは『あきない世傳 金と銀』(高田郁著)。
面白すぎる。
涙とほっこり気分が交互に訪れる。そしてスッキリさせてくれる。
なんとも感動的。
今、5巻の途中だ。
ゆっくり読もう。

エッセイ集『虹の歌声 卒寿を超えて』(楢崎秀子著・編集工房ノア刊)。1800円+税。
この人は十数年ぐらい前に一度「輪」にご来店下さったことがある。
そして以前にもこのブログに何度か書いている。
「雲の上の寺」。
「美しい調和」。
「八十路の初詣」。
もっと書いていると思うが、スーパーレディーといっていいだろう。
今回の「あとがき」です。

「もうこれが最後と思っている」とあります。
いやいや、そんなことはないでしょう。
この人はまだまだ書く人です。
現在93歳。100歳は通過点でしょう。
卒寿の時のお写真です。

高校の教師をしておられたのだが、58歳で退職し、有料老人ホームに入られる。
そしてこんなことを書いておられる。
「私が言いたいのは、『有料老人ホームというのは、よれよれになってから入る所ではなく、ある程度元気なうちに、ホテル感覚で、(できればそれなりの目標を持って)入る所だ』ということである。」
う~ん、それが理想かもしれないけれど、だれもがそうできることではないですよね。
しかしお元気な人だ。
こんなことをなさっている。
《書、随筆、コーラス、俳句、絵手紙、グラウンドゴルフ、情報誌編集、そしてパソコンでのカードゲーム。》
やはり100歳は通過点だ。
体力、気力の衰えている人にはこの本、お勧めです。
わたしも改めて元気づけられました。
楢崎様、ありがとうございます。

その中に気になる人の名前が。
まず香月泰男。
この人のシベリア抑留をテーマにした絵、わたしは実際に見たことはないのですが、テレビの番組で見てから忘れられません。
というのも、わたしの父が抑留経験者だったからです。その過酷な体験を聞いていました。
次に港野喜代子さん。
交流のある近所のご住職(今は引退されています)が若き日に親しくされていた話をお聞きして文章にしたことがあります。
港野さんがお亡くなりになった日に西宮でお会いになる予定だったと。
次に『山陰を旅する人たち』の著者、上村武男さん。
「武男」というのがわたしの父と同じです。と、そのことではなかった。
この上村さんは尼崎の八幡神社の宮司さんで作家さん。
その神社へは以前よく行ってました。
そこで朗読会のイベントがあったのです。朗読会というより「語り」でしたが。
竹崎利信というプロの語り師さんが、そこで趣向を凝らした「語り」の舞台を催されていたのです。
時には琵琶奏者とのコラボレーションもありました。
わたしは支障のない限り観劇させていただいていたのです。
その竹崎さんは、わたしの詩集『コーヒーカップの耳』(2001年刊)を一冊全部朗読するというイベントを催されたことがありました。
阪神尼崎の駅前にあった「丸木舟」という文化的な喫茶店で、でした。
そこのマスター、田中さんがロマンチストで後に『夙川の岸辺から』という本を出されたことがあり、それにはわたしの名前もチラリと出ています。
竹崎さんは満員の聴衆の中で、朗読劇を見事に演じ切られました。
わたしは感動して涙を抑えることができなかったという思い出があります。
次に野見山(この人は知りません)という人のことで、
「百歳まで長生きして下さい」と言った。すると、野見山さんが苦笑するように、
「あと、六年か」
と言われた。
というのがある。これに関連した話を思い出しました。
西宮の情報誌「宮っ子」の2008年5月号に「不死身の人」と題して書いています。
これは笑い話ですが、涸沢さんのは文学的で高尚だ。まあ、どちらも人間の心の綾を語っているのですが。
しかし涸沢さん、毎回いい題材でいい文章を書かれますね。

『あきない世傳金と銀』(高田郁著・角川春樹事務所刊)。
まあその間に贈って頂いた本や勉強のための本を沢山読んでいるのですが。
著者の高田さんは宝塚のお生まれ。
いわば地元です。
で、この本の初めに物語の舞台となる地図が載ってます。

わたしが住んでいるあたりです。
今津の浜にはよく孫たちを連れて行ったのでした。
この物語は三百年近く昔なのですが、知ってる地名や歴史がたくさん出て来て楽しくなってしまいます。
また著者の高田さんの文章がわたしに馴染んで読み易いです。
今のところほのぼのとした気持ちにさせてもらってます。
さて今後この主人公(と思われる)幸という女の子はどうなってゆくのでしょうか?
大いに楽しみです。
『完本・コーヒーカップの耳』 日本の喫茶店文化の結晶。

カラーページも楽しめます。

編集は岩田一平さん。
拙著『完本 コーヒーカップの耳』を編集して下さった人です。
楽しみにゆっくりと読ませてもらいます。
自転車で。結構遠かったです。
でもはじめは歩いて行こうかと思っていたのです。
やめといて良かった。
「みどり文庫」さん、以前の場所からは引っ越しておられます。
今は甲子園六番町2~9 旧国道沿いです。
最寄駅は阪神甲子園です。
写真撮影もSNS発信もOKを頂きました。

店内スッキリしていて、棚が見やすいです。
棚にはわたしが尊敬する足立巻一先生や宮崎修二朗先生の本がたくさん並んでました。
わたしは全て持ってますが。
中に掘り出し物もありましたよ。「これ値段安すぎますよ」と言ったのでした。
ほかにも大好きな詩人、京都の天野忠さんの本も。


通路も余裕があり、小さな腰掛けも何個か用意されてて、下の段を探すのに便利。
ゆっくりと本を選べます。
隣にコイン駐車場もあるので、次は車で行こう。

『人間走馬灯』(市川久夫著)と『論説記者』(畑専一郎著)です。
今『人間走馬灯』を読んでいますが、全部詳読するのはちょっと…ですので、気になるところだけ。
市川久夫は中野さんが親しくなさっていた映画プロデューサーで、池波正太郎とも親しかったのだと。
目次には市川さんと交流のあった映画人の名前がズラリ。
中に火野葦平や阿部知二など作家さんの名前も多くあって、これは興味が湧きます。
『論説記者』の畑専一郎は「畑専さん」と言って、神戸新聞の論説委員長だった人。
これも詳読はできないので、斜め読みしながら気になるところを読もう。
中野さん、お借りしておきながらすみません。
図書館でお借りしてきた本。

『現代俳句文學全集・日野草城集』(角川書店・昭和32年刊)。
俳句集ですが、中に散文が結構載っていて、これが目当て。
昭和32年の発行。古い本です。
裏表紙の裏に貸し出しカードを入れる袋が貼りつけてあります。カードが入ったまま。

これに書かれている言葉が面白い。
《皆さん ○読書の前後によく手を洗い ○ゆびをなめずに頁をひらき ○表紙を巻きかえさず ○書込みや折目の跡もなく ○いつも気持がよいように 読みましょう》
自分が十分老人なのですがね。まあ、元気なのでボランティアで。
そこでもらってきたと言って本を二冊。

『「秋子への手紙」亡き妻へ』(坂口哲生著・2023年11月25日刊)と『太陽から星になった妻』(宮崎山動著・2023年9月1日刊)。
著者は別だが、これは偶然なのか?
どちらも妻を追慕するもの。しかも高齢者。長年連れ添った奥様を最近亡くされてのもの。
『「秋子への手紙」亡き妻へ』は二段、三段にびっしり書かれていて、しかも330ページもある。
ちょっと読んでみたが…。
もう一冊の『太陽から星になった妻』は句集である。丁度100ページほど。
これは読みやすい。
しかもその俳句がいいのだ。心が素直に出ている。
心情あふれるものが多い。
俳句と書いたが、季語のないのもたくさんあるから、これは川柳なのか。
年の暮れ若返った顔で旅に発ち
手も足も首も温か妻は逝く
頬ずりを温もりのある頬に添え
安置室「寒いだろうがこらえてくれ」
久しぶり口紅見たよ安置室
明日からの僕の服は誰に問う
窓拭いて吾が妻の「星」を決めようか
死んだなんてウソだ妻は生きている
このあとも涙を誘う句が並ぶ。
追記
驚いた。この著者のことをネット検索したら、二人は同一人物だった。
だから二冊の本は偶然ではなかったのだ。
そういえばタイトル文字の筆跡が同じだ。うかつなことだった。
それにしても内容の趣が違う。句集は読めるがもう一冊の方には手が伸びない。
同一人物とは思えない。わたしの勘が鈍いのか。

活字中毒ですのでうれしいです。でも、わたしは遅読ですので読むのに時間がかかりそう。
「街の草」さんです。
この寒いのに店開けてはりました。
店の脇にあるメダカの水槽(多分お隣の)には氷が張ってました。午後2時過ぎてたのに溶けずに。
残念ながらわたしの気になっている本はありませんでした。
「以前はあったんですけど」とおっしゃる。
でも、どうやら市に出してしまったかもと。
「街の草」さんの倉庫が店の向いにあるのだが、そこを立ち退かなくてはならなくなって整理しているのだと。
そういえば工事用のシートが張り巡らされてました。
この前、西宮のえべっさんでの古本市である人から聞いた話。
「街の草さん、最近大量に本を市に出してはるから廃業しはるんちゃう?」というもの。
今日、確かめたら「やめません」とおっしゃってました。
「街の草」ファンの人、ご安心ください。
「行けるとこまで行きます」と。
わたしも安心です。
文庫本、2冊だけ買いました。

どちらも過去に読んだかもしれないです。特に新子さんのは単行本がどこかに。
でも病院通いのお供に便利なので。

これまでにわたしが読んだことのない文体の小説
内容はすさまじく陰惨なのだが、文体が弾むような軽いものだから読み進めてしまう。
もしこんな話が重い文体で書かれていたら読むのを途中で止めてしまうだろう。
自分が陰鬱になってしまう。
さて、読み切った後は、どんな風に感じるのだろうか?
この作家のものは二度と読みたくないと思うのか、あるいは中毒になってしまうのか。
とにかく個性が強烈な作家さんです。
頒価500円。
カラーページも多く、ページ数が350ページもあり、値打ちがあります。

毎年贈って下さいます。
次年度の(令和6年)の目録誌代の振込用紙が同封されてます。
わたしこれまでお送りしたことはありません。
注文もしてませんしね。
でも送ってきてくださるんです。ありがとうございます。
過去になにか高価な本を購入したのでしょうねえ。
カラーページに小林秀雄の署名本が載ってました。
その文字に注目しました。
わたしが所有する小林秀雄の署名と一緒でした。
そのハガキを載せて写した写真です。

ほかにもわたしが所有する直筆の文人のものがいくつかあります。
楽しませてもらいます。
『触媒のうた』 多くの文人の秘話が載ってます。