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ここあコテージ

風景、鳥、畑、クラフト、ハンドメイド「みつより」情報など発信♪

3.11、語り続けよう

2013-03-11 09:12:26 | 震災関連
今日で震災から丸2年。

昨日の事のように、「あの日」のことが浮かんできます。

今までにない大きな揺れ、
停電と寒さの中で過ごした数日。

連絡が取れない被災地で生活していた娘の安否。

日々連続して起こる地震の揺れの恐怖。


原発事故の恐ろしさと、
先行きの見えないいらだちと不安。


まだまだ復興していない現実。

原発問題は復興とは裏腹の、
政府の無策と原発推進。


矛盾した、どうにもならないように見える
この世の中で、どうやって生きていったらいいのだろうか。

正直、途方に暮れる思いが勝ることさえあります。







昨日、私たち家族は、車の中で話をしていました。

「私たちは「3.11の語りべ」にならないとね!」と。


語りべ。

かつての戦争、原爆体験者はだんだんと老いて、
亡くなる方々も増えています。
もっともっと語って欲しいと願いつつも。


私たちのこの体験は、大地震、大津波、原発事故、
語るには重すぎる体験ですが、

今後も体験していくであろうことを含めて、
すべての体験していることを、次の人々のために
語り続けていく義務や責任を負わされていると感じます。


どんな形でもいいから、
語り続けて行こうと思います。


語ることによって、
私たち自身が決して忘れません。


まだまだこころの整理がつかなくて、
語りたくても語れない、被災された方々のためにも、
私たちが代わって語って行きたいと思います。


見たこと、聞いたこと、感じた事、考えたこと。


拙いことばをつなぎ合わせて、
パッチワーク的であっても
語り継いで行かなくてはと思います。



そのためには、いろんな被災された方たちの声を
今日も聞いて行きたいと思います。


聞くこと、語ること、
そして、やはり記録しておくこと。


残念ながら、3.11あおもりネットワークは、
この年度末をもって活動終了となり、解散します。


わたしは思います。

記録だけは残しておいてほしいと。
今までの活動と感想の記録を。




休止中の「虹の会」は、
別の新しい形ではじめたいと計画中です。

保養プロジェクトを支える形になるかと思います。

これからの話し合いの中で、
具体的になっていくと思います。


お祈り下さると嬉しいです。




ここあでした。






















ボランティア報告

2012-06-28 19:46:51 | 震災関連
きのうの夕方、3人は無事に帰宅。
お祈りに覚えて下さった皆さん、
ありがとうございました。


さて、今回は、宮古市で宿泊し、
そこから更に南へ距離を延ばし、
山田町と釜石市で活動をしてきました。


山田町の海は、津波があったとは思えない穏やかさ。


遠くで牡蠣とホタテが養殖されているそうです。



山田町にも少しずつ復興が進んでいます。
その名も「復興食堂」

そして、

「ほっかほっか亭」まで。


ここは山田のプレハブの食堂。




今回訪れたのは、先日も紹介した「いっぽいっぽ山田」。
マギンティー宣教師ご夫妻とクリスチャンの本間兄姉の
協力で運営されています。
火曜から土曜まで、ここが解放されていて、
自由にお茶やお菓子を頂いています。
一種の「サロン」とか「カフェ」ですね。


プレハブですが、きれいで、広いそうです。



ここにお茶やお菓子が置かれています。


ここが1階のカフェスペース。


ここが2階の宿泊も出来るスペース。



こういう風にして、朝から夕方まで近所の人々が
集っています。無料です。


あ!この人達が手に持っているもの・・・
そう、私の作った綿毛糸のコースター。

ここにコースターを置かせて頂くことになりました。
これから来る方々にわたって、
さりげなく御言葉が伝わって欲しい。


「いっぽいっぽ」で作ったうちわだそうです。
宣伝に使えます。



テラスがあって、お花もたくさん置かれていて、
すてきです。



先日もお話しした一輪車。



なんと、ここに置く事に!

私も使っていただけるか半信半疑でした。
でも、本間さんたちが、ちょうど通ってくる子ども達に
こういうものが必要だったっておっしゃっていたようです。

神様のタイミングはやはりすごい。

私の心を動かして、一輪車を捨てるのでなく、
献品する事にさせ、ちょうど必要な場所に
遣わす・・・

まことの神様は生きておられるから、
それができるのよね!




「ちびっこ公園」という小さな公園の中には
仮設住宅がありました。


ここは、人目につきにくいのか、情報が伝わりづらく、
物資もあまり届いていないという事がわかりました。

大きな仮設は、たくさん物資が届くが、
小さい群れの仮設とか、人目につきくい仮設は、
なかなか届かない、という現実を知りました。



ここにお米を届けました。


この仮設はまた他の場所です。
ここにもお米を届けました。


仮設間の格差、これは現地でないとわからない、
テレビなどでもあまり伝えられない事でした。




山田町には温泉がありました。


その名が珍しい「御蔵の湯」といいます。
「おくら」です。



なんとこの温泉、タダです。無料なんです!

はじめ連れは、「ここはきっと町で運営しているんだろう」
と思って入りました。

しかし、聞くと、個人経営
NPO
の経営であるとのこと。
それなのにタダで運営している。
2年間の限定経営らしいです


自分たちが入っていいのか、それもタダで・・・
戸惑った連れ。

町かあるいはどこかの融資をいただけないものか?
資金がなくなったら、ここはたぶん閉鎖。




そして、2日目には釜石へ。

どうして釜石かというと、
実は彼らは前にも釜石へ活動に行っていて、
そこで何人かの被災者の人達と知り合っていて、
今でも、連れの所に連絡を下さる方がいるのです。

久しぶりの再会に喜んで下さったようです。


ここ釜石の仮設前でも、移動販売トラックが来て、
物資や野菜などを販売していました。

ここで再会しながら、しばし交わりの時を持ちました。

釜石にも、「いっぽいっぽ釜石」という集いが
これから始まります。

そこに以前、東京で牧会されていた牧師ご夫妻が
宣教団体との協力で働きを始めています。

まだ開所していませんが、徐々に拠点を改築しながら
準備を進めています。

連れに連絡してくる方は、
一日も早い開所を願っていました。



こうして3日間、
といっても、実質2日間のボラ活も終わり、
無事に帰ってきた牧師達。


あれ?

「芸」は?

そう・・・芸ですが・・・

「しなくても良くなった」ので、「大丈夫」だった。
これが結論でした。

芸を期待した方、ごめんなさい。

彼らは、芸をしなくて済んで、
胸をなで下ろしたとか・・・。(笑)


私のごく身近でも、
「もう岩手と宮城は、必要がなくなった、
今度は福島だ!」

なんて言っている方もいますが、
全く事実は違っていて、
ボランティアの数は減る一方だそうです。

まだまだ手の届かない仮設や地域があることを
つくづく感じて帰ってきた3人でした。



ボラの主体団体「3.11あおもりネットワーク」では、
岩手のボラ活動と共に、福島や他県のホットスポットの
地域の人々、放射能を心配している人々の
保養を受け入れる活動もしています。

この7、8月も、夏休みを利用して、
福島を中心に、青森クリスチャンセンターでの
保養計画が進んでいます。

このブログを見て下さっている方で、
保養を希望する方や、
保養をしたい方をご存じの方が
いらっしゃったら、
是非コメントを下されば御案内します。


ここあでした。























今日から被災地へ他

2012-06-25 16:15:15 | 震災関連
今日は晴れています
久しぶりのすっきりした青空。
そして暖かい一日。

6月もまもなく終わりだというのに、
ずっと寒くて、変な感じでしたが、
今日は25℃前後の
すごしやすい気温になりました。


朝、となりの畑のカブを初収穫
小カブなので、玉が直径3センチ以上になれば
収穫できます。
ついでに混み合っているカブを間引いて・・・



間引き分の小さいのも合わせて
10かぶのカブが穫れました。なんちゃって~

洗ってそのまま、がぶっと生食したら、

甘~~~い!

みずみずしい~!

さすが穫れたて、無農薬。

今日の夕飯の材料にします♪。




さて、今日から水曜まで、
連れたち3牧師は、宮古市に宿泊しながら、
そこから更に南に位置する山田町での
ボラ活動の為にでかけていきました。

今回の荷物の無いこと!

そういえば、一番最初にボラ活をしにいった
去年3月末の荷物は、自分の荷物も多かったし、
それに救援物資、ガソリン缶、寝袋などなど
車がびっちりでしたよね。


今日の荷物と言えば、
自分のDパック一つと、
私の作ったコースター2箱(小さめ)、
そして一輪車。昔娘が遊んでいたもの。



え?これで「芸」かって?

いえいえ。
残念ながら違います。
家のお蔵入りになっていた一輪車だから、
もしかして仮設の子ども達の中に、
欲しいって思う子がいたら、
あげたいな・・・と思ったんです。

(もしかすると不必要なら、
また手元に戻って来ますけど。)


この荷物の量の違いからもわかるように、
震災当初の必要と、今の必要の違いがあります。

残念ながら、月日が経っていくと、
被災地が忘れられていく現実があって、
ボランティアの人数も減っています。

復興が完全になされて、
ボラ人数が減ったのであれば、
嬉しい事なんですけどねえ・・・。

当時は、泥あげなんかで、肉体労働の
必要も多かったんですが、

今は、交わりが必要です。
そして、現地に置かれている教会の
手助けが必要です。



山田町には以前から教会は0でした。
そこに震災がきっかけで、
OMF宣教師が中心になって
いっぽいっぽ山田」という名前で、
教会が始まりました。

週日はカフェのような、気軽に来られる
交わりの場を提供し、
日曜日は礼拝をしています。

そこで連れたちは、何か「芸」をと
頼まれましたよ

(ちなみに、この春から「いっぽいっぽ釜石」も
始められました。こちらはOMFと日本人牧師夫妻の
ご協力でなされています。)

すばらしいことですね。
教会が一つもなかった所に、
キリストの福音が伝えられる
拠点が作られていくなんて。

地域に根ざしていくよう祈っています。

私のコースターも、誰のお手元に届くか
わかりませんけど、何かわくわくします!
かわいがってやってね~



今日もバラ。


アイスバーグ。
白い花の中では圧倒的な人気種です。
微香です。
アイスバーグは「氷山」の意味ですが、
ドイツの別名は「白雪姫」を意味する
「スノービッチェン」だそう。

真っ白で清楚で可憐な姿が
まるで「白雪姫」のようだと
言いたいんでしょうね・・・

(最近「Snow White」の映画が来てますよね。
昔のディズニーアニメ映画とは違って、
ちょっと怖~い雰囲気ですよね。)



フィジーの巨大花と比較すると、
かなり小さいです。

朝、小さめのバラを切り、花瓶にさしました。

バラはアンジェラ、カクテル、ポリゴールド、
その他はアスチルベ。



これがアスチルベです。
これは白ですが、ピンクのものもあります。
香りはまるでお香のようなほのかな香り。



山あじさいも花が開いています。

もっと庭が広ければ、
たくさんの花とバラをコラボさせられるのに。
残念ですけどね・・・。



娘は車庫入れに苦心中。
連れはそんな娘に手取り足取り指南。

理論はわかる。
でも感覚はまだつかめてない

我が家の最大の課題は、
通りに面しているので、
時間によっては交通量が多いこと。
バス、トラックも何台も通りますからね。

それを気にしながらだから、
余計に面倒なわけ。
交通を止めてはならないし。

がんばれ、娘よ!


ここあでした。





































来週は被災地へ他

2012-06-20 11:40:25 | 震災関連
今日は台風の影響で雨です。

でも、どうやら青森はりんごの被害は
なさそうで安心しました。


今度は台風5号が来ているらしいので、
特に南方にお住まいの方々は
気をつけて下さいね。



さて、来週月~水まで、うちの連れと牧師2人の
3人が、久しぶりに被災地訪問をします。

今回はたぶん宮古市の近くの山田町で、
そこにある「いっぽいっぽ山田」という
集会(教会)があって、そこにお邪魔します。

ここは、北海道から来られた
マギンティ宣教師ご夫妻と本間兄姉が
協力して運営しています。

通常、ここでは日曜以外は毎日「お茶飲み会」
のようなものをしていて、
ご近所の人達が集まってきます。


ここに私が作った90袋の綿毛糸のコースターを
置かせて頂く事になりそうです。
(あるいは、もしかすると近くの仮設に配る可能性も。)

一人でも多くの人達に
みことばが届けられますように・・・


さて、一つ問題があって・・・

なんと被災地に行く日は、宣教師のご夫妻が
北海道に行って不在なんです。

それで、連れと他の牧師とで、何か「芸」をせよ
との本間兄姉からの伝言!!


うちの連れに「芸」があるかっていうと、
「芸ム」(ゲーム)くらいか?
ギター弾くか?
3人で下手な(ごめん!)歌でも披露する?

他の牧師達は「無芸」だと言うし・・・・
(あくまでも自己申告だけど。)

頭を抱えている牧師達3人。
こんな依頼は初めてゆえ、悩む3人

さて、この3人、一体どんな「芸」をするのか、
皆さん、良い知恵が与えられるように
お祈り下さいね!




さて、福島からの保養の受け入れ準備が
少しずつ行われています。

場所は青森市雲谷の青森クリスチャンセンター。


でも、保養受け入れには、周辺地図が必要。
それにHPも。

というわけで、私と娘が協力して、
地図とHPを作る事になり、今がんばってます

期限が7/10だそうで、必死にがんばっているのは
むしろ娘です。

でも、青森に戻って来て、
こんな形で用いて頂けるのも、
感謝なことです

このためにも応援、お祈り、
よろしくお願いしますね。

(ただし、あくまでも簡易なHPで、
頻繁に更新できるかはわかりません。
理事会にはそれを承知して頂いて、
初めは「無いよりまし」というスタンスから
入っているので、大目に見て下さい。)




反原発集会の御案内

6/30(土)午後2時より
「さようなら原発1000万人アクション青森県実行委員会」主催
署名報告会集会の開催です。

場所は青森文化会館(リンクステーションホール)
講師に鎌田慧さんを招いています。


1000万人アクションは日本全体で行われた脱原発署名運動です。
皆さんの中にも署名された方々もいると思います。

虹の会でも昨年50名の方に署名して頂いて提出しました。
ありがとうございました。

青森県内だけで11万筆を越えたそうです!
感謝な事です。

この委員会は、今月、三村知事に対話集会の要請をしましたが、
知事は「そのつもりはない」とその要請を断りました。
たぶん断るだろうと思っていましたが。
今の三村さんには、反原発団体の言葉などに
耳を貸すゆとりはないはずだし、
そういう態度をとれば、推進派や立地村に対して
顔が立たなくなる、そんなところでしょう。


でも、あきらめては何事も始まりませんよね。
こうして積み上げていけばいいと思います。


ここあでした。




































明日で震災から1年

2012-03-10 11:27:42 | 震災関連
今日はとてもよく晴れました。
明日から天気が下り坂だそう。



明日、3月11日で
東日本大震災から1年になりますね。

私は、この1年を振り返るために
自分のブログを振り返って見ました。

やはり3月11日からの1ヶ月間は、
娘への心配が先立っていたようです。

そして、連れ達の被災地ボランティアが始まり、
娘も一時帰宅できたのもこの頃でした。

4月に入って、まだ余震が続く中、原発問題に
私の心が吸い寄せられていき、そこから祈り、
まずはブログで伝達していこう、と思いました。

そして、虹の会の設立。
学びと祈りをメインに行い、私個人としては
脱原発の勉強会やデモやいろんな集会に
参加しました。



被災地にいる人達の現在と、
直接大きな被災をしなかった私たちとの
今現在の環境も心も、かなりの差があることは
十分承知しています。

1年経って、復興というけれども、
どれほど復興しているかと言えば、これ、と言える
材料が少ない気がします。

ただ、地震そのものは、当初よりは減りました。
が、直下型地震が、日本の全体で起こっていることは
驚異ですよね。



きのうのNHK9時のニュースで、
作家の高村薫さんがおっしゃっていた言葉が心に残りました。

要旨になりますが・・・
震災前と、震災後に、変化が何もないとしたら・・・
私たちは、今回の震災の事(原発も含め)を、
言葉にしなくてはなりません。



さっき、私は、「復興」という言葉を使いました。
テレビや新聞、周囲もみな、「復興」という言葉を使うため、
私もつい使用してしまいますが、
良く考えてみると、「復興」という言葉は、ある種、
元の姿に戻す」という意味合いが含まれるわけです。

でも、本当にそうなのだろうか?

高村薫さんの言葉が、私の心に残ったのは、
たぶん、この「何も変化がなかったなら・・・」
の次に来るのが、何かということです。

震災前に私たちは、あふれる物質中心の社会の中で、
エネルギーも含めて、「あるのが当たり前」という気持ちが
どこかにあったかもしれない。
原発問題に対しても、「わからなかった」のではなく、
政府や国任せにして、「知ろうとしなかった」のかもしれない。

震災後に、震災前と何も変化がないとしたら、
私たちは、一体そこから何を得たんだろうか。
何を悔い改めたんだろうか。

何も考えていない、何も反省がない、何も教訓を得ていないので、
安易に原発再稼働という事を叫ぶのだろうと思います。

「復興」というよりも、私はむしろ「新興」と言いたいと思います。

聖書の中には、多くの箇所で、
「わたし(神)は、新しくする」と言われています。


イスラエルの罪深い姿をご覧になった神様は、
元の姿にするのではなく、「新しく」変えて下さると。
どんな場合でも、「元の私のまま」なのではなく、
神様によって「新しい自分」に変えられる、ということ


だから、きっと、日本はこれから、「元に戻る」のではなく、
「新しい日本」に生まれ変わるための、この震災だったと
思いたいです。


以前も話しましたが、
この震災や原発事故は、決して喜ぶべき事は
一つもなかったけれど、

ただ一つあるとするなら、
私たちがそこから何を学び、何を反省していくのかを
考える材料をたくさん与えられた、ということかもしれない。

そして、高村薫さんの言うように、
この体験を、この教訓を、この反省を
それぞれの「ことば」にして、伝えて、残していくべきだって
思いました。




1年は早かったのか、遅かったのか、
人それぞれです。
被災された方々にしたら、まだ1年なのかも知れない。

娘は言いました。
「今でも震災の映像を見ると、心が動揺する」と。

被災地の人々が、心身共に癒されて、環境も整うためには
まだまだ時間がかかるでしょう。
物理的な時間も、精神的な時間も。

ただ、きょうも明日も、祈り続けたいと思います。

風化させないように、無関心にならないように。


ここあでした。