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ここあコテージ

風景、鳥、畑、クラフト、ハンドメイド「みつより」情報など発信♪

DVD鑑賞3 津田梅子

2013-07-26 06:47:11 | 映画・テレビ
昨日は、教会の読書会と
第三弾DVD鑑賞をしました。


読書会は「讃美歌物語」。これもあと数篇でおしまい。


さて、DVDの第3弾は、津田塾大学創立者・津田梅子の生涯。



これまで、新島(山本)八重、荻野吟子の生涯を観てきました。
最終回も、波瀾万丈の生涯を歩んだ津田梅子。


津田梅子は、江戸幕府が終焉を迎える三年前に誕生。

梅子の父親がアメリカの影響を受けていたため、
梅子は3歳から英語を習わされ、

7歳のとき、岩倉具視使節団の一員として、4人の女子とともに
アメリカへ渡りました。
これは、日本初の女子の留学生です。


そこで、子どものいないクリスチャンホームの
ランマン夫妻宅にホームステイ。

夫妻のキリスト教の価値観、教会生活など、
梅子に多大な影響を与え、梅子は1年後に洗礼を受けました。

梅子が渡米する前と、アメリカ在住中に、日本の2人の弟が亡くなる
という事態になりましたが、
悲しみに暮れる母親に、幼い梅子は、「天国への望み」を語り続け、
母もやがて洗礼を受けます。


梅子が帰国したのは、17歳の時。

アメリカで得たものすべてを、日本のために返したいと思ったが、
当時の日本は、女性の地位も低く、相手にはされなかったのです。

そして、日本の結婚観とアメリカの結婚観の違いにも
ギャップを感じていました。


やがて、梅子は海岸女学校の教師、伊藤博文宅での家庭教師を務めます。
その頃から、「女性の自立」を目標とする教育を伝えたいと願うようになります。


ちょうどそのころ、アメリカ人宣教師J・タムソン・コールが来日。
コール師は、1889年、聖愛教会を創設。

梅子が、アメリカの教会を懐かしく思っていた事もあり、
聖愛教会の設立は、梅子にはとても心強かったようで、
友人であった石井筆子とともに、日曜学校教師や
奏楽の奉仕をしていました。



半年後、再び渡米。24歳。
ブリンマー大学で学び、数々の人脈もできてきました。


更にイギリスへも渡り、
ここで、ヨーク大聖堂の大司教と出会います。

ここで、梅子は、とても大切なことを得ました。

自分が何かをなすのではなく、
キリストにどれくらい倣えるかが大切
」と。


明治33年、とうとう梅子の願っていた女子教育の場として、

「女子英学塾」(東京の麹町)が設立されます。

生徒はわずか10人。津田塾大の前身です。

しかし、多くの人々の協力を得て、生徒の人数も増えていきます。


学校の隣には、梅子が奉仕していた聖愛教会があり、
梅子にとっては、最高の場所でした。



梅子自身は、とても熱心な教師で、
こぶしを机にたたきつけながら、生徒には、
「No、No、Once more・・・」と
英語の発音を教えていたほど熱い人でしたが、

時には、タフィーなどの甘いお菓子を生徒たちに作る、
優しい女性でもありました。

アメリカ育ちであっても、決して日本を見下さず、
武士の家系に生まれたせいもあり、武士道に通じる
サムライのような教師であったとも言われています。


当時は、男尊女卑の世の中。
人間が不平等に扱われていました。

一女性が、男性社会の中で何かを達成するには、
相当の努力が必要な社会です。
しかし、努力してもなしえない壁がはだかりました。


梅子は、女性の地位向上に必要なのは教育と考えました。

女性が自らを高めていくことが大切であると。


しかしそれは、

男性と肩を並べるのではなく、

男性の良き協力者なるためであると。


次の世代に与える影響を考えて、
種まきを心がけていた津田梅子でした。


梅子は1929年に天に召されました。






男尊女卑の世の中・・・
今は当時に比べて、まだ平等が謳われている分、
ましだとは思います。

看護師、保育士などの名称の統一制にも表現されますね。
職業の採用面では男女の別なく平等とされています。


でも、現実面を見ると、

たとえば、国会議員の女性の割合は、諸外国より低い。
これまで女性の首相は一度もない。
(ふさわしい器が現れなかったのか、それともそれ以前に、
女性の政界進出自体が少なかったためか。)


天皇家では、直系の男系男子が皇位継承権を持つ。


イギリスの王室は、男女の別なく王位継承権を持つわけで、
この前、出産したキャサリンさんは、
どちらが生まれても悩むこともなく、
今後の出産も、プレッシャー無く産めるわけなのです。


イギリスは女王が即位しても、イギリス自体の品位をおとしめたり、
外国から揶揄されたりはしていませんよね。
むしろ好感を持たれています。

イギリスのみならず、ヨーロッパの国々の王室は、
女性の即位を認めています。


日本は、まだまだ封建的だということでしょうね。


そんな日本の女性の先駆者であった3人の女性に共通していたのは、
いかに自分の人生に向き合ってきたのか、ということ。

どんなに辛い人生でも、逃げなかったことかもしれませんね。

彼女たちを根底で支え、励ましたのは、聖書のことばでした。



このDVD、とても励まされます。
教会の婦人会や、伝道会でも用いられるかもしれませんね。


前作の「聖書を読んだサムライたち」もよかったですけど、
こちらの方がもっと良かったですよ。


お薦めです。


  


今日は、まりまりは、キャンプの手伝いで参加。
青森のキャンプは、スタッフとしての参加は初めて。

今日は蒸し暑くて、青森は29℃予想です。
弘前は31℃予想。

キャンプファイヤーもあるらしいので、夜は晴れたらいいね!



ここあでした。

DVD「東京原発」を観て

2013-07-18 07:34:07 | 映画・テレビ

2つ目は原発関連映画。



先日、弘前脱原発映画会で観られなかった
「東京原発」のDVDをゲオから借りて観てみました。

110分の映画。

出演者は、役所広司さんを筆頭に、有名な俳優さんばかり。


役所さん演じるところの、東京知事・天馬は、
東京の新宿公園に原発を誘致したい旨、会議を招集する場面から。

東京の経済性を考えて、原発を誘致するというもの。

もう一つの理由は、福島や新潟、福井など、東京の電気を
地方で作っている事に対して、都民があまりにも無知・無関心であること。

3つめは、原発の捨てられている70%の電気や温排水を使って、
東京都が都民に冷暖房を提供すること。


東京に原発を誘致するという事で、知事以外の都職員が、
原発について知識がないため、御用学者ではなく、
原発に対して危機感を抱いている大学教授を呼び、
原発に関するいろんな知識を受ける場面がいい。

この教授を通して、実に詳しくレクチャーされている。





会議の時間中に、高レベル放射性廃棄物が外国から日本に、
秘密裏に船から陸路・トラックで運ばれていた。

ところが、ひょんなことから、ある男子高校生が、
その秘密を知ってしまい、爆弾を使って、トラックを爆破しようと
たくらみます。


(ちなみに、廃棄物の搭載されたトラックが、首都高を走るなんてことは、
秘密裏に何回も行われているようです。)



トラックは、運転手のミスで、都庁に飛び込み、
爆弾もあと数分で爆発するというきわどい中、
何故か、知事自らが、爆弾の処理をして、あやうく爆発を止める。


爆発は食い止めたものの、みんながほっとしている間に、
予定していた知事の、原発誘致の発表をしていた時、

都庁につっこんだトラックに、
積まれた廃棄物のキャスクがむきだしにされ、
そこに大雨が降り、それに反応して、核分裂の青い光が発光し、
そこで、意味ありげに幕。


この監督さんは、出演者を通して、原発の怖さ、放射能の怖さ、
エネルギー問題、利権の問題、廃棄物の問題について
詳しく語らせています。


この映画のテーマは、おそらく、
「無関心ではいけない」ということを示しているのだと思います。

映画の中で、何度も「傍観者」という言葉がでてくるのが印象的でした。


是非機会があれば、観てみてください。

普通のサスペンスとしても楽しめる映画になっています。


ここあでした。


日本初の女医さん

2013-07-12 07:31:44 | 映画・テレビ
昨日は、教会の読書会の一環で、
日本人初の女医・荻野吟子さんのDVDを観ました。




先週観た八重さんと同じDVDに収録されてます。


荻野吟子さんは、埼玉の熊谷出身。
彼女が女医になるまでには、かなり苦難の道のりがあったんです。


若いとき、彼女は一度嫁ぎます。
しかし、夫から婦人病(性病と思われる)を移され、
2年で離縁させられました。


この状況は、彼女に、「差別を受ける女性たちを救いたい」という
切なる願いを抱かせ、治療後、医師を目指します。


しかし、明治初期ですから、医師は男性のみ。
女性と言うだけで、なかなか医学校への進学も困難でした。

ようやく一校のみ受け入れ先があり、
勉強して、ようやく医師の試験を受けられるまでになりました。


ところが、ここでも壁に当たります。
女性故に、前例がないとのことで、試験を受けさせてもらえません。


このころ、吟子さんは、キリスト教の集会に初めて出て、
聖書に出会います。

今までの価値観と全く違った考え方に、吟子さんは心を打たれ、
やがて、受洗。


これが原動力となり、試験を受けさせてくれるように
当局に何年も申請し、ようやく試験を受け、
医師としての一歩を踏み出しました。


東京で、彼女が医師として働く一方、
東京矯風会(女子のための社会福祉の働きをしている会)に加わり、
身売りされたり、病気や飲酒で困っている人たちを助けます。


また、滝乃川学園(知的障害児施設)では、当時の濃尾地震で
孤児になった女の子たちが売春業者に売られていく状況を憂いて、
自分の経営する医院を使わせるなど、
社会奉仕に尽力しました。


濃尾地震後、志方之善と出会い、再婚。

志方は、北海道に開墾を希望。
3年の後、吟子さんも北へ渡ります。

現在の北海道瀬棚郡にある「神丘」は、インマヌエルの丘とも呼ばれ、
今も、そこには日本キリスト教団・利別(としべつ)教会があります。

ここで、吟子さんは、淑徳婦人会と瀬棚日曜学校を創立。

その後、夫が病で天に召されると、吟子さんは東京に戻ります。


その頃には、女性医師も増えていて、
吟子さんは、女医の集まりの時にとても感動を覚えましたが、

その後、すぐに天に召されたとのことです。


何事でも、先駆者(パイオニア)というものは、
大変な苦労がありますよね。


その方たち、特に女性のパイオニアたちは、
私たち女性の「道つけ」をしてくれたのだと感謝しました。


八重さん然り、吟子さん然り。


3人目は、さ来週の木曜日に観ます。楽しみ。









さて、昨日も畑からきゅうりとピーマンを収穫。




少し前まで、少雨で日照りを心配されていたのに、
今は、毎日曇りか雨で、きゅうりにはうどんこ病が・・・

酢水をかけていますが、蔓延を食い止めるのがせいぜい。

それでもきゅうりは、がんばって実らせています。


夏には、きゅうりやトマトは欠かせませんね。
おやつや水分補給に夏野菜を摂るのはいいことです。


津軽はまだ梅雨まっただ中。
23~27℃あたりを行き来しています。


いつ梅雨が明けるのかわかりませんが、
まもなく本格的に暑さがやってきます。

冬将軍ならぬ夏将軍ですね・・・。





ここあでした。

脱原発映画を観て

2013-07-08 06:52:04 | 映画・テレビ
昨日の夜、弘前文化センターで行われた、
AFTER3.11 脱原発弘前映画祭へ行きました。

お昼からと、夕方からの2回でしたが、私たちは2回目の方へ。

センターの2階のロビーでは、森住卓さんの
「福島」という写真展もありました。

原発事故以後の福島の、特に飯館村や双葉町などの様子を
写真で紹介していました。



今回の映画は、「みつばちの羽音と地球の回転」ドキュメンタリーと、
「東京原発」という創作映画でしたが、
私たちは、「みつばち」のみを観ました。
「東京原発」はDVDでの貸し出しができる作品なので、
後に観ることに。



瀬戸内海にある自然豊かな小さな「祝島」、漁業と農業を営む村民、
そこに中国電力・上関原発の建設問題が起こりますが、

祝島の人々・・・とりわけご年配の方々が多いのですが・・・
少数の若者たちも加わって、中国電力の一方的なやり方に、
果敢に立ち向かう記録の映画です。


おばちゃんたち、おばあちゃんたちも
負けずに立ち向かいました。


その結果、上関原発は建ちませんでした。


祝島では、漁業の他に、原発に頼らなくてもよいように、
びわの無農薬有機栽培なども作っていて、
ネットを駆使して、販売しています。


努力すれば、この島のようになれるのだと
勇気が与えられました。

あきらめてはいけない、小さいことからでも
コツコツと続けていくこと。


同時に、スイス、ドイツ、スウェーデンの例を挙げて、
自然エネについても語られていました。

特に語られていたのは、電力会社の独占体制の悪について。

こうした諸外国は、1社の独占は禁止されていて、
国民が自由に電力を選択できるんです。


そんな社会が一日も早く来て欲しい。


特に今、参院選を前にして、
なんとしても自民党・公明党の原発推進派に少しでもNOを
突きつけたいですもの!


このままでは、福島の事故で苦しむ人たちも報われませんよ。
まだ何も解決していないし、ましてや福島原発は今も危ないのですから。

再稼働なんてとんでもないことです。





先日のライフラインで本を買いました。
(ノブさんが。)



右の関根先生の本は、ヨハネの手紙からの解説です。
左は、いつものライフラインの先生方のメッセージ集。


これから読もうと思います。





東北も、いつ前線が消えて梅雨明けしてもおかしくない、
と、今朝のラジオで言っていましたね。

今年の梅雨明けは早すぎます。
関東以南の厳しい暑さ、
梅雨明けの青森は、どれほど暑くなるのか・・・

去年の9月は36℃まで上がりましたね。




涼しいうちに畑に行ってきたいと思います。
蒸し暑い毎日、お体に気をつけて下さいね。



ここあでした。


八重さんDVD

2013-07-05 07:48:21 | 映画・テレビ

昨日は、読書会の一環で、新島八重さんのDVDを観ました。

今、テレビでは、会津戦争の真っ最中、山本八重さんが勇ましく
銃を持って戦っている場面と、
一方で自らの身を傷つけ、死んでいく男女の姿が対照的。


戦争後の八重さんは、家族を失い、友人を失い、
失意の底にいましたが、兄との再会を果たします。


これ以上書くと、ドラマを見る楽しみがなくなるので、
なかなかテレビでは語られない(と、思われる)部分を・・・




覚馬さんや八重さんが、最も影響を受けたのは、
M・ゴードン宣教師という方。
八重さんは、この宣教師を通して聖書の言葉や神様を知っていくのです。

そして、新島襄との出会い。

やがて新島襄と結婚した八重さん。
実は、日本初のキリスト教式結婚式だったそうです。
八重さんが洗礼を受けて、すぐの結婚でした。


西洋の服、帽子、日本の女性とは全く違うライフスタイル、
そのため、八重さんは、日本の女性との見た目の差から嫌われました。

こうした中で、同志社大学の前身の学校の女性教師としての立場が失われても、
彼女は、「聖書をたくさん勉強できる時間が持てる」と言って、前向きでした。




八重さんの残した有名な言葉に、
美徳を以て 飾(しょく)と為す」があります。


つまり、外見的なものではなく、内面の美しさで身を飾りなさい、ということ。
これは、聖書から引用されました。


新島襄が、八重さんをこう評しました。

「八重さんは、姿は美しくないけれど、心はハンサムである」と。
(妻的には、ちょっと失礼?!、よねっ


それで、八重さんは、ハンサム・ウーマンと呼ばれています。


新島襄が臨終の床で、みんなに、
「goodーbye また会おう」と言って天に召されたとか。


この「good bye」は、もともと
God be with you」の短縮形らしいですね。

神様があなたと共においでになる。


八重さんは、86歳まで長生きされました。
当時としてはすごいですよね。


このDVDは、八重さんの他に、
日本最初の女医・荻野吟子さん、津田塾大の創設者・津田梅子さんが
紹介されています。是非、機会があればご覧下さい。本も出ています。
(いのちのことば社)







昨日はかなり蒸し暑い一日でした。
雨は予報に反して全く降らず、太陽の光で、
気温は30℃近くまで上がりました。

早くも扇風機が活躍していました。

これから本格的な夏を前に、乗り越えなくてはならない梅雨の蒸し暑さ。

少しずつ、暑さに慣れるための、この時期なんですよね。


感謝すべきなんですよね・・・。


今日は朝から大雨です。




ここあでした。