初心者のクラシック

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リヒャルト・ワーグナー(第2話)

2007年06月05日 | 作曲家の生涯
たまには、作曲家の生涯にふれてみてはいかがですか?

今日はウィルヘルム・リヒャルト・ワーグナー(第2話)です。

≪作曲家の肖像≫
ワーグナー・ブラス・セッション
バイロイト祝祭管弦楽団員, カナディアン・ブラス, ワーグナー, エド・デ・ワールト
ユニバーサルクラシック

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【Wilhelm Richard Wagner】

兄の誘いを受けて、ヴェルツブルクへ向かうワーグナー。果たして音楽家として成功することができるのでしょうか?

(第2話)【流浪の日々】
1833年、兄アドルフの誘いを受けて、ヴェルツブルクで合唱指揮をしながら、歌劇「妖精」などの作曲も行っていきます。

翌1834年、今度はマグでブルクのベートマンの率いる巡業歌劇団から指揮者の誘いを受けると、次はここで指揮をする事になります。ここは小さな歌劇団だった事もあり、各地の劇場を巡業しながら公演をしていきますが、当然、上演する劇場も小規模なものだったため、あるときは数人程度のまばらな客席を前に上演することも、しばしばだったようです。(若手お笑い芸人のライブみたい…)

そんな中、作曲を続け更に歌劇「恋愛禁制」を完成させると、ベートマンの劇団で初演を行いますが、まだ名もない作曲家の作品に名もない劇団の初演がうけるはずもなく、これは失敗に終わってしまいます。

しかし、ベートマンのこの歌劇団にはミンナ・プラーナという女優がいて、ワーグナーは4つ年上のこの女性に心を奪われてしまうのでした。二人はすぐに恋に落ちて2年後の1836年に結婚します。ワーグナー23歳、ミンナは27歳のことでした。

結婚したものの、ワーグナーもミンナも小さな劇団の団員でしたから、大した収入もなく貧しい新婚生活を送っていたようです。しかし、学生時代からのワーグナーの酒癖の悪さも手伝ったせいか、借金を重ねる生活が続くと、ミンナとの関係も次第に悪くなっていきます。

1837年、当時のロシア領、現在はラトビアのバルト海に面した都市リガの劇場から、声が掛かったため、リガに向かいます。リガでは歌劇「リエンツィ」の台本を仕上げて、これの作曲に取り掛かりますが・・・、

度重なる借金の取立てが厳しくなってしまいリガを夜逃げ同然に離れることになります。リガからバルト海を渡りロンドンへ向かう船に乗り込みますが、普通ならロンドンまで1週間程度の道のりのはずが、途中天候に恵まれず嵐に遭ってしまったため、危うく難破しそうになりながら、3週間もかけて、ようやくロンドンにたどり着きます。

このときの、苦難の航海が後の楽劇「さまよえるオランダ人」を作曲するときに役立つことになります。

1839年ワーグナーはロンドンから、すぐにフランスのパリを目指します。パリには当時オペラの大家マイヤベーアが居たため、作曲した「リエンツィ」の上演を実現するべく、パリにこの作品を売り込みに行きます。

しかし、音楽の都パリでは、このときのワーグナーはほとんど相手にもされず、パリでの生活も、写譜や知人への借金に頼り日銭の稼ぐのが精一杯で、相変わらずの貧しい生活を送る事を余儀なくされます。



兄の誘いを受けて、一応楽団の指揮者にはなったものの、その後も楽団や地方を転々としながら苦難の日々を送るワーグナー。このつづきはまた明日。

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