初心者のクラシック

有名な曲からおすすめの曲まで、できるだけ初心者にも分かり易く紹介します。

ウィルヘルム・リヒャルト・ワーグナー(第1話)

2007年06月04日 | 作曲家の生涯
たまには、作曲家の生涯にふれてみてはいかがですか?

有名な作曲家にはその真偽はともかくとして、たくさんの興味深いエピソードがあります。
そんな興味深いエピソードを中心に作曲家の生涯をたどっていきます。

今日はウィルヘルム・リヒャルト・ワーグナー(第1話)です。

≪作曲家の肖像≫
ベートーヴェン (ワーグナー編曲) / 交響曲第9番 「合唱」
緋田芳江, 穴澤ゆう子, 浦野智行, 桜田亮, バッハ・コレギウム・ジャパン, 小川典子, ベートーヴェン, 鈴木雅明
キングインターナショナル

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【Wilhelm Richard Wagner】

【ドイツ】
【1813-1883】
【ロマン派】

「タンホイザー」や「ローエングリン」そして「二ーベルングの指輪」など多くの楽劇を残したワーグナーはどんな生涯を送っていたのでしょうか?


(第1話)【ベートーヴェンに憧れて】
1813年、ワーグナーは、ライプツィヒに生まれます。フランス革命の熱気が冷めやらぬライプツィヒは当時フランス軍の占領下にありました。
父親フリードリヒは市の警察官をしていたようですが、フランス語を話すことが出来たので、職務に忙殺され、ワーグナーが生まれると1年も経たないうちに亡くなってしまいます。

母親ヨハンナは、その後すぐに俳優のガイアーと再婚し、ドレスデンへ移ります。ワーグナーには多くの兄弟が居ましたが、兄はオペラ歌手になり、二人の姉は女優に、もう一人の姉はやはり歌手になっていたようですから、幼い頃のワーグナーの周りには演劇一家に囲まれて育つ事になります。

そのため、ワーグナーは劇場に出入りする機会も自然に増えていきます。8歳の頃ドレスデンでウェーバーの歌劇「魔弾の射手」が上演されると、この作品に感激して、歌劇に出演していた歌手に熱烈なファンレターを送る程、熱をあげていたようです。

しかし、その頃義父ガイアーも亡くなってしまったため、ワーグナーは叔父のアドルフに引き取られライプツィヒに戻る事になります。
叔父アドルフが文学を大変好んでいたこともあり、ワーグナーも文学作品に触れシェイクスピアなどの文学を読みふけっていたようです。しかし、ライプツィヒでゲーテの作品をに着想を得て作曲されたベートーヴェンの劇付随音楽「エグモント」を聴くと、これに感動し、音楽を学ぶようになります。

やがてベートーヴェンの「第九交響曲」を聴くと、その音楽の虜になり、楽譜を手に入れてそれを写譜し、遂にはピアノに編曲してしまうほど、その音楽の魅力に取り付かれていくのでした。

1831年、18歳のワーグナーはライプツィヒ大学へ入学しますが、学生時代には酒や賭け事にハマってしまい、堕落した生活を送るようになっています。遊び歩いたワーグナーは手持ちの金が無くなると、母親の年金にまで手を出す始末でしたが、このときにトーマス教会で合唱指揮をしていたヴァインリヒに出会います。

ヴァインリヒはワーグナーの才能を見抜き、彼に音楽を教えていきます。ヴァインリヒの指導はとても丁寧だったようで、ワーグナーも彼の下で作曲の基礎を学んでいきます。
ヴァインリヒの下では1年にも満たない期間だったようですが、ひと通りの作曲法を学んだワーグナーは、ピアノソナタを完成しヴァインリヒに献呈します。

更に、1832年、交響曲第1番を完成させると、翌年初演を行い、まずまずの成果をあげて行きます。そんなワーグナーの噂を耳にしたのか?ヴュルツブルクでテノール歌手をしていた兄アルベルトから、合唱指揮者としてヴュルツブルクの劇場に誘われます。

ワーグナーは兄の誘いを受けてヴュルツブルクへ向かい、いよいよ音楽家としてのスタートを切る事になるのでした。


幼い頃には2度も父親を失い、学生時代には荒れた時期もあったようですが、ヴァインリヒに音楽を学ぶと、ようやく音楽への道を歩み始めますが、うまく進んでいけるのか?若干不の安がよぎりますが、このつづきはまた明日。

【その他の作曲家の生涯はこちら】

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