たまには、作曲家の生涯にふれてみてはいかがですか?
今日はヨハネス・ブラームス(第5話)です。
≪作曲家の肖像≫
【Johannes Brahms】
シューマンと出会い、大きく雑誌に評価されるブラームスでしたが、そのシューマンが大変な事になってしまいます。ブラームスはどうする?今日はその続きからです。
(第5話)【ブラームスとクララ】
「シューマン自殺」の一報を受けたブラームスは、すぐにシューマン夫妻の住むデュッセルドルフに駆けつけます。幸いにもシューマンは助けられて一命を取り留めていましたが、精神病院に入院。残されたシューマン夫人クララは呆然と立ち尽くしているのでした。
シューマンとクララの間には、この頃既に6人の子供がおり、更にクララはもう一人身籠っていたのでした。自分の事を高く評価してくれたシューマンのためにも、今はこの残されたクララ婦人を助ける事が最優先だ。と考えたブラームスはクララを助けるべくデュッセルドルに住み込みクララの世話をするのでした。
更にブラームスから少し遅れてヨアヒムがクララの元へ駆けつけると、ピアニストでもあったクララの演奏旅行を企画して経済面から支えていきます。その頃ブラームスはクララが演奏旅行中の子供たちの世話をして、家政婦バリに奮闘してクララを支えていくのでした。
シューマン一家の留守を支えるブラームスとクララは手紙で近況のやり取りをする事になりますが、この文通を何度も繰り返すうちに21歳の若きブラームスは34歳を迎える大人の女性クララに恋愛感情を抱くようになります。
ブラームスがクララに宛てた手紙の呼びかけも最初は「尊敬する婦人」でしたが、1年が過ぎる1855年には、いくつかの変化を遂げて「愛するクララ」となっていますから、この頃は、もう恋人気分だったんでしょう。
一方、クララの方も全力で尽くしてくれるブラームスに次第に魅かれていったようです。ブラームスへの返信にも「早く会いたい」「一分でも長くいたい」など明らかにブラームスを想う文面が見られています。そして文末の締めくくりには、「心から、あなたのクララ」と書いていることを見ればその、ブラームスに寄せる気持ちはただならぬものがあったと言っても過言ではないでしょう。
ただ、この頃はまだシューマンが精神病院に入院してはいるものの生きていますから、クララの気持ちにも複雑なものがあったんだと思います。
夫シューマンが生きてはいるものの、精神状態の悪化にともないまともな会話すらままならず、しかも病院からは面会謝絶にされ、一方通行のクララにも自分の気持ちのやり場が無かったはずです。更に、多くの子供を抱えながら先行きの見えない生活に不安を感じていたとしてもなんら不思議はないはずです。
そこへ、若き青年音楽家ブラームスは惜しみない援助を与えてくれます。自分にこれだけ深い愛情を注いでくれる人に対して好意を持ったとしても、それを罪だと片付けてしまうのはあまりにも酷な話なのかもしれません。
そして1856年、シューマンの入院する精神病院から「シューマン危篤」の一報がクララに届きます。精神病院でクララが夫シューマンの最期を看取ると、シューマンはクララに最後の言葉を残すのでした。「Ich kenne」(僕には分かるよ)この言葉は一体何を意味するのでしょう。
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さて、このシューマンの最後の言葉「Ich kenne」(僕には分かるよ)という一言が現在もその意味をめぐって論議が続いているようです。
精神錯乱状態にあったシューマンが最期を予感して、「クララが来てくれて看病してくれている事が分かるよ」と言いたかったのか?
一方「クララがブラームスと親密な関係になっている事を分かっているよ」と言いたかったのか?現在もその真意は謎とされているようです。
さて、そんな渦中の??ブラームスはその後どうなってしまうんでしょうか?つづきはまた明日。
【その他の作曲家の生涯はこちら】
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≪作曲家の肖像≫
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シューマンと出会い、大きく雑誌に評価されるブラームスでしたが、そのシューマンが大変な事になってしまいます。ブラームスはどうする?今日はその続きからです。
(第5話)【ブラームスとクララ】
「シューマン自殺」の一報を受けたブラームスは、すぐにシューマン夫妻の住むデュッセルドルフに駆けつけます。幸いにもシューマンは助けられて一命を取り留めていましたが、精神病院に入院。残されたシューマン夫人クララは呆然と立ち尽くしているのでした。
シューマンとクララの間には、この頃既に6人の子供がおり、更にクララはもう一人身籠っていたのでした。自分の事を高く評価してくれたシューマンのためにも、今はこの残されたクララ婦人を助ける事が最優先だ。と考えたブラームスはクララを助けるべくデュッセルドルに住み込みクララの世話をするのでした。
更にブラームスから少し遅れてヨアヒムがクララの元へ駆けつけると、ピアニストでもあったクララの演奏旅行を企画して経済面から支えていきます。その頃ブラームスはクララが演奏旅行中の子供たちの世話をして、家政婦バリに奮闘してクララを支えていくのでした。
シューマン一家の留守を支えるブラームスとクララは手紙で近況のやり取りをする事になりますが、この文通を何度も繰り返すうちに21歳の若きブラームスは34歳を迎える大人の女性クララに恋愛感情を抱くようになります。
ブラームスがクララに宛てた手紙の呼びかけも最初は「尊敬する婦人」でしたが、1年が過ぎる1855年には、いくつかの変化を遂げて「愛するクララ」となっていますから、この頃は、もう恋人気分だったんでしょう。
一方、クララの方も全力で尽くしてくれるブラームスに次第に魅かれていったようです。ブラームスへの返信にも「早く会いたい」「一分でも長くいたい」など明らかにブラームスを想う文面が見られています。そして文末の締めくくりには、「心から、あなたのクララ」と書いていることを見ればその、ブラームスに寄せる気持ちはただならぬものがあったと言っても過言ではないでしょう。
ただ、この頃はまだシューマンが精神病院に入院してはいるものの生きていますから、クララの気持ちにも複雑なものがあったんだと思います。
夫シューマンが生きてはいるものの、精神状態の悪化にともないまともな会話すらままならず、しかも病院からは面会謝絶にされ、一方通行のクララにも自分の気持ちのやり場が無かったはずです。更に、多くの子供を抱えながら先行きの見えない生活に不安を感じていたとしてもなんら不思議はないはずです。
そこへ、若き青年音楽家ブラームスは惜しみない援助を与えてくれます。自分にこれだけ深い愛情を注いでくれる人に対して好意を持ったとしても、それを罪だと片付けてしまうのはあまりにも酷な話なのかもしれません。
そして1856年、シューマンの入院する精神病院から「シューマン危篤」の一報がクララに届きます。精神病院でクララが夫シューマンの最期を看取ると、シューマンはクララに最後の言葉を残すのでした。「Ich kenne」(僕には分かるよ)この言葉は一体何を意味するのでしょう。
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さて、このシューマンの最後の言葉「Ich kenne」(僕には分かるよ)という一言が現在もその意味をめぐって論議が続いているようです。
精神錯乱状態にあったシューマンが最期を予感して、「クララが来てくれて看病してくれている事が分かるよ」と言いたかったのか?
一方「クララがブラームスと親密な関係になっている事を分かっているよ」と言いたかったのか?現在もその真意は謎とされているようです。
さて、そんな渦中の??ブラームスはその後どうなってしまうんでしょうか?つづきはまた明日。
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