たまには、作曲家の生涯にふれてみてはいかがですか?
今日はヨハネス・ブラームス(第3話)です。
≪作曲家の肖像≫
お話ではまだ若いんですけど、絵だといきなり老けちゃうんですよね。
【Johannes Brahms】
演奏会場のピアノのトラブルにも、なんのその。さらりと弾きこなして次へ向かうブラームス。今日はどこへ行くのでしょうか?その続きからです。
(第3話)【出会い】
そんな荒業をこなしながら更に南下して、5月にはハノーファーへ到着します。ここではレメーニが以前からの知り合いだった、ヴァイオリニストのヨーゼフ・ヨアヒムを訪ねます。
ヨアヒムは宮廷楽団のコンサートマスターを務めていましたから、レメーニはここでの演奏活動を支援してくれるように彼に依頼するのでした。
しかし、ヨアヒムの目に留まったのはレメーニではなくブラームスのピアノだったようです。ブラームスの方は既にハンブルクでヨアヒムの演奏を聴いたことがあり、かねてからその実力を評価していたようですが、ヨアヒムの方もブラームスのピアノに深く感銘を受けたようで、このときから二人の間には強い友情が芽生えていたようです。
一方レメーニのヴァイオリン演奏会は・・・、ヨアヒムが演奏会の手配をする暇も無く、レメーニが革命運動をした亡命者だという事が判明し、ハノーファーからの退去命令が下される事になってしまい、演奏会どころではなくなってしまうのでした。
すると当然レメーニの同行者だったブラームスもここにいる訳にはいかず、止む無くハノーファーを後にするのでした。しかし、ハノーファーでブラームスたちの力になる事が出来なかったヨアヒムは、ワイマールのリストを紹介してくました。
当時41歳のリストは既にワイマールの宮廷楽長に迎えられており、「ピアノの魔術師」としてヨーロッパ中にその名を響かせていたのでした。そのため、リストを訪ねてくる若い音楽家たちも多く、ブラームス一行もそんな若い音楽家のひとりに過ぎませんでした。
ヨアヒムの紹介もあって、6月にはリストに会う機会を得たブラームスとレメーニでしたが、待っている部屋にようやくリストが現れ、自己紹介もそこそこに終わるとリストはブラームスの方に足を進め「君の作品を是非聴かせてほしいんだけど、何か一曲弾いてくれないかな」と持ちかけられます。
ところが、大御所を目前にして、神経質で自分に対する評価を極端に気にしていたブラームスは「き、き、き、緊張して上がってますから、こんな状態ではとても弾けません!」と演奏を断ってしまうのでした。
隣にいたレメーニにも、これには唖然としてしまった事でしょう。その後リストも再三ブラームスにピアノ演奏を催促しますが、結局その場ではブラームスが頑として譲らず、仕方なくリストがブラームスの作品「スケルツォ変ホ短調」を初見で演奏し、その場を収めたようです。
こうして、大ピアニスト、リストとの会見は成功とは呼べませんでしたが、リストはブラームスの音楽を、ある程度は評価していたようです。
ところが、気に入らないのはレメーニでした。せっかく巨匠リストとの面会が叶って、しかもピアノを弾いてくれと、わざわざ向こうの方から頼んできたにも係わらず、せっかくのチャンスを不意にしてしまった事に腹を立ててしまい、「君とは一緒に演奏できない」と言い放たれてしまい、旅先で別れる事になってしまうのでした。
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自分から誘っておきながらブラームスを放ったらかして置き去りにしてしまうレメーニ。確かにリストの前では大失敗でしたが・・・、ブラームスはどうなってしまうのでしょう。このつづきはまた明日。
【その他の作曲家の生涯はこちら】
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お話ではまだ若いんですけど、絵だといきなり老けちゃうんですよね。
【Johannes Brahms】
演奏会場のピアノのトラブルにも、なんのその。さらりと弾きこなして次へ向かうブラームス。今日はどこへ行くのでしょうか?その続きからです。
(第3話)【出会い】
そんな荒業をこなしながら更に南下して、5月にはハノーファーへ到着します。ここではレメーニが以前からの知り合いだった、ヴァイオリニストのヨーゼフ・ヨアヒムを訪ねます。
ヨアヒムは宮廷楽団のコンサートマスターを務めていましたから、レメーニはここでの演奏活動を支援してくれるように彼に依頼するのでした。
しかし、ヨアヒムの目に留まったのはレメーニではなくブラームスのピアノだったようです。ブラームスの方は既にハンブルクでヨアヒムの演奏を聴いたことがあり、かねてからその実力を評価していたようですが、ヨアヒムの方もブラームスのピアノに深く感銘を受けたようで、このときから二人の間には強い友情が芽生えていたようです。
一方レメーニのヴァイオリン演奏会は・・・、ヨアヒムが演奏会の手配をする暇も無く、レメーニが革命運動をした亡命者だという事が判明し、ハノーファーからの退去命令が下される事になってしまい、演奏会どころではなくなってしまうのでした。
すると当然レメーニの同行者だったブラームスもここにいる訳にはいかず、止む無くハノーファーを後にするのでした。しかし、ハノーファーでブラームスたちの力になる事が出来なかったヨアヒムは、ワイマールのリストを紹介してくました。
当時41歳のリストは既にワイマールの宮廷楽長に迎えられており、「ピアノの魔術師」としてヨーロッパ中にその名を響かせていたのでした。そのため、リストを訪ねてくる若い音楽家たちも多く、ブラームス一行もそんな若い音楽家のひとりに過ぎませんでした。
ヨアヒムの紹介もあって、6月にはリストに会う機会を得たブラームスとレメーニでしたが、待っている部屋にようやくリストが現れ、自己紹介もそこそこに終わるとリストはブラームスの方に足を進め「君の作品を是非聴かせてほしいんだけど、何か一曲弾いてくれないかな」と持ちかけられます。
ところが、大御所を目前にして、神経質で自分に対する評価を極端に気にしていたブラームスは「き、き、き、緊張して上がってますから、こんな状態ではとても弾けません!」と演奏を断ってしまうのでした。
隣にいたレメーニにも、これには唖然としてしまった事でしょう。その後リストも再三ブラームスにピアノ演奏を催促しますが、結局その場ではブラームスが頑として譲らず、仕方なくリストがブラームスの作品「スケルツォ変ホ短調」を初見で演奏し、その場を収めたようです。
こうして、大ピアニスト、リストとの会見は成功とは呼べませんでしたが、リストはブラームスの音楽を、ある程度は評価していたようです。
ところが、気に入らないのはレメーニでした。せっかく巨匠リストとの面会が叶って、しかもピアノを弾いてくれと、わざわざ向こうの方から頼んできたにも係わらず、せっかくのチャンスを不意にしてしまった事に腹を立ててしまい、「君とは一緒に演奏できない」と言い放たれてしまい、旅先で別れる事になってしまうのでした。
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自分から誘っておきながらブラームスを放ったらかして置き去りにしてしまうレメーニ。確かにリストの前では大失敗でしたが・・・、ブラームスはどうなってしまうのでしょう。このつづきはまた明日。
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