御託専科

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ロラン・バルト「表徴の帝国」

2009-05-16 17:54:23 | 書評
まじめな顔して舟木一夫が烏帽子を被った姿の大写しで始まり、その笑顔で終りを迎える。その間には力士や龍安寺の石庭のようないかにも日本趣味のものもあれば、丹波哲郎だとか町の少年、全学連のデモなどの、1970年の日本の風物を挟みつつ評論は進む。
さて、この書物はどう理解すれば良いのか。ソシュールとサルトルを好んだ現代フランス哲学を背景とした批評がそう簡単にわかるはずもないのだが、案外この人の面白がり方が面白く、それで最後まで読んでしまった。たとえば「瞼」と題する一節には次のような文がある。
「筆跡は、単純、直裁、瞬間的であり、しかも、習得するのに全生涯を必要とするほどの、絶妙な一息の筆遣いの円転滑脱の練達があり、つまり完璧なのである。日本人の目は、そういう具合にして、上下の縁の平行線と、平行線の端で(切れあがる)二つの曲線との間に包まれている。」
まあたまげたもので。こんな記述が1ページ半にわたるのだ。日本人の眼窩の浅い一重瞼の目を記述した文章としては恐らく空前絶後の傑作であり怪作である。

という具合に、筆者のいっていることの理解ということを少し離れて考えると大変興味深い本だ。この場合はたまたま日本だが、どのような被観察体であってもその人の感受性と体系の中で随意に消化し再表現すれば良い、ということを改めて認識する。あるいはこれは現象学であったり、赤瀬川翁の「トマソン」にも通じるかしらん。

バルトをもっと知ったら読み直し!


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