今日は兄の49日法要。2、3日前の天気予報では台風10号が大阪を直撃するとの報道で大丈夫かなと危惧していたが、朝起きたら晴れていて問題なく兄宅にたどり着けた。これは仏様の思し召し?
仏前の在りし日の兄の遺影の微笑みは、今もなお残された者たちの心に寄り添い、闇を照らす灯火となって導いてくれるみたいだ。
室内に響き渡る僧侶の低い声の読経と時々打ち鳴らされるおりんの澄んだ音、その旋律には独特のブルージーなムード感があり哀愁が漂う。
それを目を閉じて耳にしていると、実家で兄が幼い私の娘を抱いている映像が目に浮かび、兄の温かな笑顔と娘の無垢な表情が重なり合い、時が止まったように感じた。
その光景は、まるで過ぎ去った風が木々を揺らし、落ち葉がひとつ舞い上がるように、静かでありながらも確かな温もりを感じさせるものであった。
時間を越えて愛情の記憶が織りなす繊細な糸が、目に見えぬ手で二人を繋ぎ、今もなお守り続けているかのように感じられた。
天国では娘が先輩であるが、人生では遥かに年上の兄さん、娘を宜しくお願い致します。
※慕嬢詩(ボジョウシ)=亡くした娘を慕う気持を綴った詩・文。私の創作語。
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