最近、寝つくのが遅くなりいつも寝るのが朝の8時半から9時頃、その日は9時に寝ついて3時間後に腓(コムラ)返りで目が覚めた。トイレをしてあと1時間寝ようと2階に下りると妻の携帯電話が鳴っていた。その後すぐに私の携帯も鳴った。
「これはヤバい!」と電話を取ると「お父さんの様子がおかしいので、先生から家族を呼ぶようにと言われた」と義姉から電話。案の定、不安は的中した。
妻を起こして車を走らせるが渋滞気味。妻は「親不孝ばっかりしてるから、死に目に会われへん」と嘆き、私は心の中で「神様、キセキを起こして下さい」と祈りながらハンドルを握った。
病室には午後1時に着いき一目散に義父のベッドのそばにかけ寄り手を握って、「頑張ってや」と声をかけた。義姉は「一緒に住もな。面倒みるからな」、孫たちも「キセキ起こして」「お爺ちゃん、みんなで看るで」「一緒にタイガース(私の店)に行こな」「お爺ちゃん、よう保育所に送ってくれたなあ、覚えてるか」と思いつく言葉で励ましていたが、到着時に35あった血圧が次第に下がり12、3を計測。
当初、温もりがあった手が徐々に冷たくなり、赤みがかった顔色も徐々に血の気が無くなり、期待から絶望に変わる。妻は「耐えられへん」と取り乱した。
やがて呼吸が止まり、心拍も停止。1時58分、担当の医師が「ご臨終とさせていただきます」と告げると妻は「こんなん信じられへん」と号泣した。
そう言えば9年前、25歳で亡くした娘の時と同じ光景が目に浮かんだ。
あの時も病院から「娘さんの容態が急変したので、急いで来てください」との電話があり、心の中で「神様、キセキを起こして下さい」と祈りながら車を走らせて病院へかけつけた。
病室では枕元の血圧計や心拍数のモニターとにらめっこしながら、娘の手を握って何度も何度も「キセキ」を祈りモニターの数字が上昇する事を願った。
そして娘の元に駆けつけてから3時間後、医師の「ご臨終です」の冷たい言葉が私たちの胸を突き刺し妻は号泣した。私は冷静さを装うも溢れる涙をこらえられずにいたのを思い出し、あの時の辛さや悲しみが甦った。
「これはヤバい!」と電話を取ると「お父さんの様子がおかしいので、先生から家族を呼ぶようにと言われた」と義姉から電話。案の定、不安は的中した。
妻を起こして車を走らせるが渋滞気味。妻は「親不孝ばっかりしてるから、死に目に会われへん」と嘆き、私は心の中で「神様、キセキを起こして下さい」と祈りながらハンドルを握った。
病室には午後1時に着いき一目散に義父のベッドのそばにかけ寄り手を握って、「頑張ってや」と声をかけた。義姉は「一緒に住もな。面倒みるからな」、孫たちも「キセキ起こして」「お爺ちゃん、みんなで看るで」「一緒にタイガース(私の店)に行こな」「お爺ちゃん、よう保育所に送ってくれたなあ、覚えてるか」と思いつく言葉で励ましていたが、到着時に35あった血圧が次第に下がり12、3を計測。
当初、温もりがあった手が徐々に冷たくなり、赤みがかった顔色も徐々に血の気が無くなり、期待から絶望に変わる。妻は「耐えられへん」と取り乱した。
やがて呼吸が止まり、心拍も停止。1時58分、担当の医師が「ご臨終とさせていただきます」と告げると妻は「こんなん信じられへん」と号泣した。
そう言えば9年前、25歳で亡くした娘の時と同じ光景が目に浮かんだ。
あの時も病院から「娘さんの容態が急変したので、急いで来てください」との電話があり、心の中で「神様、キセキを起こして下さい」と祈りながら車を走らせて病院へかけつけた。
病室では枕元の血圧計や心拍数のモニターとにらめっこしながら、娘の手を握って何度も何度も「キセキ」を祈りモニターの数字が上昇する事を願った。
そして娘の元に駆けつけてから3時間後、医師の「ご臨終です」の冷たい言葉が私たちの胸を突き刺し妻は号泣した。私は冷静さを装うも溢れる涙をこらえられずにいたのを思い出し、あの時の辛さや悲しみが甦った。
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