「繋ぎ五星」紋
この紋は岐阜=美濃地方特有の「岡田」姓の紋と、今まで考え、この地方しか無い紋だと思っていました。
ところが、以前に袱紗の注文で、神奈川の「岡田」さんから同じ紋「繋ぎ五星」で注文があったのを思い出し、先日メールで問い合わせてみました。
すると、意外なというより新事実が判明して驚いています。
この岡田さん、というより岡田氏はお若い(私の息子よりまだ3つも年下です)のにご自身の先祖に興味を持たれ、ルーツを調査されて来られました。
そのレポートによると、岡田氏の曽祖父(明治時代)は江戸に居住し、その先代たちは列記とした徳川幕府の旗本で、武監にも記されている、という事です。(多分武監に家紋がきされていると思われるが、私はまだまだ勉強不足ですー泣ー図書館で調べます))
さらに、岡田氏の先祖は、戦国時代に尾張に居住し、織田の諸侯に仕えていて、戦国時代から江戸初期は、岡田伊勢守善同(よしあつ)として、美濃ー揖斐城下に拠点を構え、美濃郡代・奉行として勤めていた。
善同の六男・善政の又六男・善紀は美濃・揖斐川沿いに清水陣屋を構えていた。
さらに善同が前田家にも仕えた事もあり、その長男義村は加賀・前田家に仕えていた。
又、岡田家の直系は、現在千葉県内に在住、との事。
以上のことを考え併せると、岡田家の「繋ぎ五星」紋は、東京・千葉・神奈川・金沢・岐阜ー美濃の地域に分布していること、一地域の特殊な紋でなく全国的な紋だと推察されます。
ただ、岡田氏の正紋は「片喰」か「剣片喰」とされ、副紋かもしれないが、墓石にはこの「繋ぎ五星」が描かれている。
私が見つけた岡田姓の「繋ぎ五星」紋の墓石が多くあった墓地は、岐阜市東部の岩地地区にあり、何らかの理由で、揖斐から岩地に移住したことも考えられます。
因みに「繋ぎ五星」紋の由来
岡田家には、先の善同が朝鮮出兵のの時、敵将の首級を五つ荒縄で繋いで帰陣したことから、褒美としてこの「繋ぎ五星」紋を賜った、という事が言い伝えられているそうです。
私の東京・池袋が在所の友人の岡田君の家紋は「丸に亀甲に花菱」です(関係ないか~)