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紋やのつぶやき

職人?たる上絵師のグチリ・知られざる失敗談・紋のウンチクを気の赴くまま語ろうと思いますが、どうなりますやら?

思い込み・・・・・野田姓の「又の字」紋

2010年02月01日 18時35分59秒 | 墓石を訪ねて
   

上の紋は「野田」姓に多い紋で、今まで字面から「ヌの字」紋だと思い、家紋ギャラリーでもそう紹介してきました。

ところが、先日岐阜市から南、足近町北宿の墓地を訪ねると、この様な紋の墓石が数多く見られました。もちろん野田姓の墓石で、墓地の80パーセント近くが野田姓でした。



   

又の字にも見え、近くで畑作業をしていた地元の人に確認すると、「まるまた」と言い、「又」の字でした。
一瞬、野田姓の「又の字」紋の発見のうれしさと共に、自分の思い違いの恥ずかしさを味わいました。

話によりますと、江戸末期まで野田なにがしと云う庄屋がいて、明治になって姓を付ける時に、村の皆が庄屋の「野田」姓を名乗った、又野田には三系統あったらしい、という事です。

一昔の私でしたら、姓を持たない或いは名乗れなかった村民のほとんどが、庄屋の姓を名乗る事は、疑いませんでしたが、今は、一部の人はそうかもしれませんが、江戸時代のいつ頃からか野田氏がこの地に来て営農し累々と子孫を増やしてきて、一族を形成したのではないかと、推測します。

もっと江戸時期の村落の有様を勉強しなければなりません(汗)

田中さんの紋 (美濃限定)

2009年12月02日 17時15分39秒 | 墓石を訪ねて
田中姓の紋は、今現在調査した中では「鷹の羽」紋と「剣片喰」紋が多く、次いで「梅鉢」「澤潟」「橘」「桔梗」・・・・となっています。

因みに私(田中)の家紋は「丸に鷹の羽」で、戦前は岐阜の町の中を転々としていたと聞いてますが、出身地は不明です(親によく聞いておけばよかったと後悔してます)

墓石巡りをしている中に、田中=鷹の羽と結びついた墓石群が見つかるかな、と密かに期待を持っていましたが、なかなか出合えませんでした。

   

先日黒野町・小野地区の墓地を調査したら、上のような「丸に澤潟」「丸に梅鉢」「丸無し梅鉢」紋の田中姓の墓石が数多く見つかりました。

この黒野町ー後ほど詳しくレポートするつもりですがー鵜飼七郷・九郷と云われ、その中に小野(小埜)村があって、その鎮守深坂大明神の祭頭は田中姓であったと、黒野史誌に記載されています。その後明治初期の村会議員にも名を連ねるような地元の有力者であった事が伺えます。

この地区の田中さんは、何故二通りの紋があるのかは未だ不明ですが、「澤潟」紋、「梅鉢」紋を受け継いできたの事は確かです。



安田さん、岸野さん、伊藤さんの紋ー岐阜限定

2009年10月21日 17時55分54秒 | 墓石を訪ねて
先日岐阜市東部・蔵前墓地を訪れましたら、今まで珍しい紋として描いて来た紋が、たくさん見つかりました。

安田さんの紋は、以前に書いた「水流」紋もありますが、変った紋として「見本・干し網に水」(詳しくは干し網に水に雲)もあります。

去年か一昨年、この紋が入った瓦の写真を持ってきていただいて、この紋・安田姓の由来を聞かれた事がありました。その時は、今と同様勉強不足でしっかり答えられなかった。(メールアドレスがなくなり連絡できませんでしたのでここで報告しますー汗)ここの紋は、雲と網先の形が違いました。

この紋は、この地より南方・笠松地区にも多いと聞いていますが、まだそちらまで足を運べません。
この地は、川・木曽川から離れていますが、昔は木曽川が近くまで蛇行していた、と地元の人から聞きました。
又、この安田姓の家のほとんどが、今は衰退しましたが、機屋を営んでいた事も聞きました。(川仕事と関係ないですが・・・・・・・・・)

墓石紋の形はパターンは同じですが、それぞれ違います。





岸野さんは、今まで「亀甲に見本・二段菊水」「六角に菊水」「澤潟」「菊水」と描いてきましたが、この蔵前墓地に「亀甲に・二段菊水」紋が多く見つかり、形もいろいろでした。





伊藤姓には「下り藤」「木瓜」「剣片喰」「片喰」とポプラーな紋も多いですが、↓ のような「見本・編笠」紋もあります。
  

珍しき紋の棲み家?

2009年10月19日 18時09分39秒 | 墓石を訪ねて
  
左から「見本・梶に櫂」 「荒枝右五階松」 「抱茗荷に三星」
紋帖にも掲載されていなく、珍しい紋に加えられます。

これらの紋の姓は<姓と家紋と集落>の「姓からの検索」で調べる事が出来ますが?今のところは不問にして、この紋に近い墓石が見つかりました。


正確に一致する紋ではありませんが、「山本」姓で、岐阜市から西、牛牧(うしき)地区の墓地に多く見られ、墓石、墓石で形も少しづつ違った紋がありました。


これも同じ紋だとはいえませんが、「五階松」という点で、同じような紋が見つけられ、驚きました。
岐阜市から西北、高屋地区の「臼井」姓で五基の墓石がありました。


前の高屋から少し南の馬場地区の「堤」姓で多く見かけました。


紋入れで描いている時は、変った紋だな、どんな所の人か、と考えていましたが、少しづつ分かってきたような気がします。

岡田氏の「繋ぎ五星」紋ー訂正

2009年10月02日 17時27分15秒 | 墓石を訪ねて
先日、岐阜市岩地地区の墓地の岡田姓の「繋ぎ五星」が、岡田(善明)氏の末裔がこの地に移住して、受け継がれてきた、と書きましたが、岡田氏の紋は「丸無しの繋ぎ五星」紋で、岩地墓地の岡田姓の紋は墓石紋にも見られるように「丸に繋ぎ五星」です。

この違いをどう考えたらいいか今の所分かりませんが、同じ「繋ぎ五星」紋でも、「丸無し」と「丸付き」の違いがある、という事を付け加えます。

因みに、岡田氏から「善明氏の位牌」(左)の写真を送っていただきましたので、 ↓ に紹介します。
左上に紋が描かれています。

 

「逆さ上り藤」紋 判明?

2009年09月30日 18時55分51秒 | 墓石を訪ねて



以前紹介した後藤姓と棚橋姓にあったこの「逆さ上り藤」紋。
何らかの理由で間違って伝えられて来たのか、と思っていましたが、歴史絵巻にこの紋が描かれていました。

先日、近くの歴史博物館で「岐阜市の変遷?」が特集され、学芸員の講演を聞きに行きました。講演自体はあまり参考にならなかったけど、販売所に置かれていた同館出版の「戦国合戦図屏風」が目にとまり、何かの参考になるだろうと思い買い求め、帰宅して見てみました。

 
関ヶ原の合戦の島津勢の撤退の屏風絵に「逆さ上り藤」が描かれていました。
この紋は古くからあった由緒ある紋だったのです。
「小笠原・・・・・」と書かれていますが、この小笠原氏の末裔が姓を変えて、この「逆さ上り藤」紋を受け継いできたのでしょうか?

時間が出来ましたら、再度歴史博物館を訪れて、学芸員さんに伺おうと思います。

「墓石巡り」(11) 賑やかな墓石

2009年09月17日 17時10分10秒 | 墓石を訪ねて
墓石を訪ねるのも、もう50回を超えてきました。最近はアメリカンナイズされた墓石も多く見かけるようになりましたが、昨日賑やかな墓石に出会いましたので、紹介します。

  
故人が生前山桜が大好きだったのでしょうか。一面山桜があしらっていました。
さらに家紋も、「変り向う山桜に丸に三鱗」紋
  
いまだかつて「林」姓で、「桜」紋はかいていません。又「三鱗」紋は「地抜き三鱗」を二度ほど描いています。
数少ない「三鱗」紋を持つ林さんが、大好きな山桜を組み合わせて、新たに「変り向う山桜に丸に三鱗」紋として、作られたのでしょうか。
花の好きなお方、墓石の紋は如何しますか?

以前に、墓石紋で「逆さ上り藤」紋を紹介しました。その時は多分後藤姓だったと思いますが、今回は棚橋姓でマタマタ見つけました。
棚橋姓では「上り藤」は描いたことがなく、「下り藤」は多く描いていますので、、「上り藤」紋を逆さにして「下り藤」紋風にしたのでしょうか?決して写真を逆さに撮った訳ではありません(笑)
  


  
金魚も大きいのでは二センチ近くの大きさになり、元気に育っています。
そして、何故か<つぼどん>=たにし、が生息するようになりました。わざわざ連れてきた訳でなく、気が付いたらあちこちにいます。
鳥が何らかの形で持ち込んだのでしょうか??????





仕事の範囲の狭さ・実感

2009年09月09日 22時51分57秒 | 墓石を訪ねて
墓石巡りを重ねてくると、今まで描いて来なくノーマーク、または1、2度しか描いたことがない紋(問屋経由で来てるかも知れませんが)に出会うことがあり、改めて自分の仕事の狭さと云うか、客筋の偏りを感じさせられます。

  
「丸に見本・軍配」 片岡姓
片岡姓は「・軍配」「五三の桐」「根笹」「桧扇に丸に二引」を1,2回描いただけですが、水海道霊苑でまとまって見つかりました。

  
「丸に揚羽蝶」 小酒井姓
小酒井性も描く紋は少なく「並び矢」「桧扇」「揚羽蝶」「橘」を一度づつ描いて来ただけでした。
これも上記の水海道霊苑にありました。

  
「丸に一の字」 和田姓
次木上吹霊園ですが、「五瓜に一の字」紋もありました。
和田姓は「丸に三引」「下り藤」「五三の桐」「剣片喰」の順で何回か描いてきましたが、「一の字」紋は無かった。

  
「丸に切竹笹に傘」 日比野姓
日比野性も「並び矢」「荒枝左三階松」「違い矢」・・・・・・と薄く広く描いてきましたが、この紋はノーマーク(涙)

  
「丸に反り桔梗」  太田姓 「丸に桔梗」もあり。
太田姓も「橘」「隅立四目」「左三巴」「桔梗」・・・・・・と薄く広く描いてきましたが、ノーマークで、那加の新加納霊苑にありました。

話は違いますが、墓石の紋は、殆ど彫って描かれていますが、編集していて初めて気が付いたのですが、「紋ペタくん」(カッティングシート)を貼ってありました。こういう使い方は知りませんでした。
  

金魚も、日が経つにつれ大きく成長し、金魚らしくなってきました。

  









墓石で確認!

2009年08月12日 17時13分11秒 | 墓石を訪ねて
日頃紋を描いていて、こんな形の紋が本当にあるのか?と思う事もあります。
最近「珍しき紋」で取り上げた ↓ の紋

     
 「見本・寄せ三引き」      「見本・九曜」       「葉澤潟」
(いちばん右の葉澤潟は以前のものですが)

「寄せ三引き」の本来の紋は(細輪ですが) → 

最近の墓石巡りで、このような紋を発見して、「ヤッパあるんだ~」と感心し、変に疑う自分を戒める次第です。

  北川家

  堀江家

  川瀬家

50の墓地を巡り終えたら、一度整理して(只今整理格闘中)アップする予定にしています。


あれから三週間、金魚というよりサカナという姿ですが、大きく育っています。




「墓石巡り」 (10) 珍しい紋

2009年07月09日 17時22分19秒 | 墓石を訪ねて
もう30数か所の墓地を回りましたが、いろいろと珍しい紋とも出会う事が出来ました。逆に考えれば、私の経験不足かも知れませんが(汗)・・・・・・・

  
  「見本・開き柏」 「加納」姓
抱柏紋はありますが、このように上部が開いた柏紋は初めて見ます。

 「柏」紋

  
  「丸に二つ星」 大橋姓
「三星」「五星」「三つ並び星」などはありますが、二つ星は初めてです。

  「星紋」

  
  「伊豆蝶」 高倉姓
この紋は紋帖にもありますが、初めて出会いました(汗)

  
  「丸に中陰地紙に揚羽蝶」 高木姓
この紋は、この墓地に五基ほどあり、以前にも描いた事があります。

    天野姓
    平岩姓
上の紋は何かを紋章化(デザイン化)したものでしょうが、よく分かりません(汗)

このようにデザイン化された紋章は、最近よく見かけられます。<うちの個紋>さんのように個・独自の紋を作るようになったかもしれません。