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ちいちゃんのひとりごと

ちいちゃんのひとりごとを勝手気ままに書いています。

ある日突然心の糸がほどけたら(続き)

2022年09月27日 | 介護
私がキッチンでガチャガチャしていたら主人が起きてきた。
夜中だった。
履いていた紙パンツと尿漏れパッドを取り替えると言う。
何気に洗面所に行き、手伝う。
数年前からトイレが近いので紙パンツ愛用の主人です。
男性と言うものは間に合わずに漏らすこともあるようです。
忘れたころにトイレから出てきた男性のズボンの前が濡れている他人を見かけたことがあります。
一人は知り合いでなおかつ奥さんも知っています。
かなり広範囲で濡れたズボンを見つけた私はそれとなく彼に言いました。
「大丈夫!大丈夫!すぐ乾いちゃうから!」
これには私も幻滅しました。
「彼の奥さんでなくて良かったわ」と、思ったものです。
それから数年し別の知り合いの男性もトイレから出てきてズボンの前が濡れていました。
失礼ながら「この人の奥さんでなくて良かったわ!」と、思いました。
この日は主人が「ありがとう!」と私に言った。
私は笑顔で答えた。
ここ何か月と自分の睡眠時間を削って介護をしている。
夫婦だから出来るのです。
少しの愛があれば出来るのです。
とぎれとぎれの睡眠でまともに布団で寝ていません。
2時間おきに主人を起こしてトイレに行ってもらいます。
私は座りにくいパソコンの前の椅子に座り、パソコンを開いて主人を見守ります。
もう座り方が悪いので身体のあっちこっちが痛いです。
キッチンの椅子に座ったら背もたれが痛いのです。
そもそも私の背中の肉が介護でそげたようです。
あっちこっち具合の悪い身体をおしての介護です。
長時間の外出が出来ないので自分の病院は後回しになります。
私もすっかり病気のデパートのようになりました。
それでも自分のことは後回しです。
優先順位が主人→母→私の順です。
あっちこっち不具合な身体をおしての介護です。
仕方がありませんね。
どうしても介護が優先になるので、家事は手抜きです。
すっかり片付けと掃除が苦手になりました。
少しでも部屋をきれいにし、住みやすい環境を作るべきだと思うのですが、洗濯機を回し、干し、取り込んでたたんで箪笥にしまうだけで疲れてしまいます。
食事も主人は以前のように食べなくなり、おかゆとおかずを少しだけになりました。
おかずも出来るだけ一口大にして出します。
少量のおかずとおかゆのような柔らかいご飯を好むようになったのです。
おかずは作っても残ります。
少量作るのですが残ります。
92歳の母は小食になり、母も入れ歯が合わなくあり噛めないものが増えておかゆのような柔らかなご飯を好みます。
この柔らかなご飯は炊飯器で炊いても思うように炊けません。
そもそも炊飯器でおかゆはどうも炊飯器の上に出る湯気で炊飯器の蓋がべちょべちょになるのです。
いちいち炊き上がったら蓋を拭く。
それで炊飯器でのおかゆはやめました。
おかゆ用の鍋でも買おうかと思います。
キッチンの背もたれの痛い椅子に座りながらブログを更新していたら白々と夜が明けてきた。
食べなくなったホームベーカリーで焼いたパンはオーブンレンジでパンプティングにしている。
炊飯器が音を立てている。
このところ私も食欲が無く少しだけ痩せた。
何もかも一人で背負う。
相談に行きたくてもその間に何かが起こったらと思うと長時間家を空けるのは難しい。
整形外科も行きたいが混んでいる。
長時間待たされる。
歯医者も行きたいが予約制で予約時間に行っても前の患者が押して待たされる。
そんなこんなで整形外科と歯医者はお預けを食らっている。
眼科も行きたい。
母が通っていた眼科は予約時間に行っても待たされるのだ。
とにかく遠出が出来ない。
長時間の外出も出来ないでいる。

ある日突然心の糸がほどけたら

2022年09月25日 | 介護
自分に泣かないと言い聞かせていた。
ある日突然心の糸がほどけたらぽろぽろと涙が出てきた。
あれほど泣かないと決めたのに…。
泣くことは良くないと…。
側にあったテッシュで涙をぬぐう。
気温は21度だと言うのに暑かった。
テレビではヤクルトが優勝したらしくビールかけをやっていた。
特別ヤクルトファンと言うわけではないので、どうでもいいと思った。
作った食事を以前のように食べられなくなった主人が横で寝ていた。
薄くなった髪の毛の間からは痛々しい手術の後が見える。
一番太っていた時よりも5㎏は痩せたと思う。
食事の量が減り、一口の量が減り、大きなものが一度に口に運べなくなった主人です。
記憶が薄れ、思い出が遠ざかり、時折私は主人の前で主人の知っている歌を歌い「この歌は何?」と、聞いてみる。
少し間が開いても答えてくれればホッとする。
耳も遠くなり、目も悪いようです。
なぜ?こんなにも不幸が襲ってくるのか?
思えば私は子供のころから不幸続きだった。
主人も本当のことは話したことはないが、私と同じような境遇だったと思われる。
だた主人には兄がいた。
私は子供のころから私を助けてくれる姉が欲しかった。
けんかをしても負ける、勉強もそこそこできた弟よりおしゃれを共有したり、思春期になれば恋の話も出来る姉が欲しかった。
長女であることは嫌だった。
常に勉強が出来ない、他人より劣っている自分が嫌だった。
容姿さえも嫌だった。
低身長と言われたわけではないが、他人より低い身長に、目鼻立ちの整わない顔が嫌だった。
子供のころに虫歯で通っていた歯医者で歯列矯正をすすめられた。
出っ歯だった。
そのころ母の友達の娘さんが歯列矯正をし、磨き方が悪くて前歯が数本虫歯になり差し歯にしたと言う話を聞いてきたので、母は「大丈夫!しなくてもいい」と…。
最もそのころのお金で50万円はかかると言われ、しなくてもいいと言ったのかもしれない?
姉が欲しかった。
母方のいとこの中では私が一番年上だった。
どうも父方のいことは苦手だった。
おしゃれを共有し、恋の話も出来る、勉強も教えてくれる姉が欲しかった。
学校にも社会人になっても居場所はなかった。
陰湿ないじめにあい、友達も皆無にひとしかった。
高校を卒業するときに和裁の専門学校に行きたいと両親に話したら半反対されて仕方なく就職をした。
仕方なく就職したはいいが、職場ではたびたび陰湿ないじめにあった。
いったん就職した会社がどうも傾いていると知り、半年で辞めた。
その後、隣の職場のおばさんが遊んでいるならうちの会社にと、言われて面接してその会社に転職した。
転職したはいいが、職場では陰湿ないじめにあうことになるのだ。
上司に言って職場を変えてもらうもその繰り返しだった。
20歳のころに分けあってその会社を辞めた。
親の反対をおして家を出て別のところで住み込みで働いたが、わずか1か月と1週間でそこを辞めてしまった。
実家に戻った私は再びお願いして元の会社で働くことになる。
ところが弟が22歳で突然結婚することになると、私も結婚しなければと、働いていた会社を辞めてしまう。
そしてそのころクッキングスクールに通う。
ところがここでもグループで何かをすると言うことが向いていないとわかるのだ。
同じグループになった他人から注意を受けた。
そして、自宅では家事を強いられそうになったので、職安(ハローワーク)に行き、次の会社を見つけて就職することになる。
その間いくつかお見合いもした。
次の会社でも陰湿ないじめにあうのだ。
日々の生活には楽しいことなどなかったに等しい。
友達らしい友達も出来ずに、親友と呼べる人もいなかった。
付き合った相手もお見合いをした相手もろくなものじゃあなかった。
とにかく結婚をし、親元を離れ自由になりたかった。
寿退社を夢見ていた。
(続きがあります)

今日が何年の何月何日の何曜日?

2022年09月25日 | 介護
髄膜種と左慢性硬膜下血腫で入院した主人はだんだん記憶が薄れていくようです。
今日が何年の何月何日の何曜日かわからないことが多くなりました。
突然明後日が病院だと言い出す始末です。
病院に行くのは来月の11日の火曜日と14日の金曜日です。
病院の先生からはその前に倒れたり頭をぶつけたらすぐ来てくださいと言われています。
この間は私の質問にきちんと答えられませんでした。
兄の名前と父の名前は思い出したのですが、自分の母の名前と兄嫁の名前が出てきません。
自宅の郵便番号を覚えていません。
固定電話の番号を最後の4桁しか思い出せませんでした。
脳を損傷し、ダメージを受けているので、仕方がないのかも知れませんね。
私の名前も少し考えて言えました。
その後は毎日「奥さんだよ。名前は?」と、聞いているので私の名前は思い出したようです。
今日言った一言は「今日が何月何日かわからなくなるんだよね」でした。
すぐに私が言った言葉は「いいんだよ。私の名前だけ憶えていてくれればね」でした。
脳を損傷すると言うことは他人によっては記憶の糸が薄れていくようです。
主人の出た学校を小学校から中学校から高校から大学まで聞いてみました。
ゆっくりと小学校から大学の学部まで言えました。
そうやって人は記憶の糸がつながったり離れたりするのでしょうね。
5月に突然の髄膜種です。
その後数か月もしないうちに左慢性硬膜下血腫でした。
そして今、その左慢性硬膜下血腫が再び主人を襲っています。
顆粒の漢方薬を処方されていますが、もともと粉薬系が苦手な主人です。
袋オブラートでも飲みにくそうにしています。
ゼリータイプの粉薬を飲みやすくするのもあるようなので、近所のドラックストアで探してみますね。
とにかくあれよあれよという間の出来事でした。
とにかく来月の総合病院の脳外科の先生の診察の時にいろいろ聞いてみますね。
とにかく今は私が落ち込んでいては始まらないので何事も前向きにくよくよしない。
いざとなったら時間を作って市役所の福祉課や地域包括支援センターんなどにも相談に行きますね。
一人で抱え込まないことを考えます。

すっかり老けたな

2022年09月25日 | 介護
昔から好きだった女優さんがしばらくぶりでネットで見たらすっかり老けたなと思えた。
若いころはきれいでチャーミングな女優さんだった。
身長も小さくなり、髪の毛も白髪になり、しわもありすっかり老けたなと…。
あれ?こんなはずじゃあなかったよな?
自分の中では彼女はまだ40代か50代のつもりだった。
彼女が80を過ぎ、身長も小柄になり、黒髪も白髪になったのだ。
もしかしたらあの島倉千代子さんも生きていたら白髪の腰の曲がったおばあさんになっていたかもしれない?
亡くなる数年前にお会いした時には銀座の山野楽器のイベントだと思われるが、身長は少し小さくなっておられた。
私でさえも年とともに小さくなる身長をごまかしている。
芸能人と言うものは会うと意外と小柄だったり、大きかったりもする。
いつまでも若くてきれいと言うわけにはいかないのだ。
耳も遠くなり、目も悪くなり、しわもシミも白髪も出てくるのだ。
積み重ねた人生と年輪は人それぞれだと思う。
それはそれとして、最初から若いころを知らないで芸能人のファンになったらその人の若いころを知りたくもなる。
昔の写真などを見たくもなる。
私などは若いころは童顔だった。
そもそも小柄。
体重も普通だった。
あれよあれよという間に太ってしまった。
シミもしわも白髪も増え、64歳ではあるが、老けて見える。
まあ、シミもしわも白髪も生きてきた証です。
お腹のぜい肉も生きてきた証です。

母と主人の介護をしながらも

2022年09月24日 | 介護
母と主人の介護をしながらも、時には息抜きも必要ですね。
すっかり遠出は出来なくなり、近所のお使いに行くのが関の山です。
それでも主人を見守りながらこの間は手縫いをし、最近は和紙工芸をしました。
お葬式のお返しのカタログでもらったホームベーカリーで今日は食パンを焼いたけど、ご飯党の主人と母はご飯の方が良かったようです。
夕食は主人も食べやすいように母も食べやすいようにシチューの具材を角切りにしてホワイトシチューにしたけど、食べないですね。
母も主人も少量食べただけで終わりました。
私は連日とぎれとぎれの睡眠です。
主人が寝てからほぼ2時間おきに起こしてトイレに行ってもらいます。
寝不足で睡眠不足です。
補うように昼間はうたた寝することもあります。
ただただ主人がこれ以上悪くならないことを願い、日々を過ごしています。
いったん髄膜種で退院してきて少しの間は良かったのですが、その後たびたび自宅で転倒し、嫌がる主人をタクシーに乗せて総合病院に行くと、検査の結果左慢性硬膜下血腫でした。
その日のうちに入院し、10日ほどで退院しましたが、再び転倒するようならすぐに病院に来るように言われています。
介護認定の変更と、障がい者手帳の取得も視野に入れていますが、脳外科の先生曰く、杖を突いているだけでは障がい者認定は無理だと言うことです。
とにかく自分が倒れないようにすることですね。
髄膜種は突然起こります。
予告も前触れもなかったのです。
頭痛も吐き気も無かったのです。
皆さんも気を付けてくださいね。