ちいちゃんのひとりごと

ちいちゃんのひとりごとを勝手気ままに書いています。

ある日突然心の糸がほどけたら

2022年09月25日 | 介護
自分に泣かないと言い聞かせていた。
ある日突然心の糸がほどけたらぽろぽろと涙が出てきた。
あれほど泣かないと決めたのに…。
泣くことは良くないと…。
側にあったテッシュで涙をぬぐう。
気温は21度だと言うのに暑かった。
テレビではヤクルトが優勝したらしくビールかけをやっていた。
特別ヤクルトファンと言うわけではないので、どうでもいいと思った。
作った食事を以前のように食べられなくなった主人が横で寝ていた。
薄くなった髪の毛の間からは痛々しい手術の後が見える。
一番太っていた時よりも5㎏は痩せたと思う。
食事の量が減り、一口の量が減り、大きなものが一度に口に運べなくなった主人です。
記憶が薄れ、思い出が遠ざかり、時折私は主人の前で主人の知っている歌を歌い「この歌は何?」と、聞いてみる。
少し間が開いても答えてくれればホッとする。
耳も遠くなり、目も悪いようです。
なぜ?こんなにも不幸が襲ってくるのか?
思えば私は子供のころから不幸続きだった。
主人も本当のことは話したことはないが、私と同じような境遇だったと思われる。
だた主人には兄がいた。
私は子供のころから私を助けてくれる姉が欲しかった。
けんかをしても負ける、勉強もそこそこできた弟よりおしゃれを共有したり、思春期になれば恋の話も出来る姉が欲しかった。
長女であることは嫌だった。
常に勉強が出来ない、他人より劣っている自分が嫌だった。
容姿さえも嫌だった。
低身長と言われたわけではないが、他人より低い身長に、目鼻立ちの整わない顔が嫌だった。
子供のころに虫歯で通っていた歯医者で歯列矯正をすすめられた。
出っ歯だった。
そのころ母の友達の娘さんが歯列矯正をし、磨き方が悪くて前歯が数本虫歯になり差し歯にしたと言う話を聞いてきたので、母は「大丈夫!しなくてもいい」と…。
最もそのころのお金で50万円はかかると言われ、しなくてもいいと言ったのかもしれない?
姉が欲しかった。
母方のいとこの中では私が一番年上だった。
どうも父方のいことは苦手だった。
おしゃれを共有し、恋の話も出来る、勉強も教えてくれる姉が欲しかった。
学校にも社会人になっても居場所はなかった。
陰湿ないじめにあい、友達も皆無にひとしかった。
高校を卒業するときに和裁の専門学校に行きたいと両親に話したら半反対されて仕方なく就職をした。
仕方なく就職したはいいが、職場ではたびたび陰湿ないじめにあった。
いったん就職した会社がどうも傾いていると知り、半年で辞めた。
その後、隣の職場のおばさんが遊んでいるならうちの会社にと、言われて面接してその会社に転職した。
転職したはいいが、職場では陰湿ないじめにあうことになるのだ。
上司に言って職場を変えてもらうもその繰り返しだった。
20歳のころに分けあってその会社を辞めた。
親の反対をおして家を出て別のところで住み込みで働いたが、わずか1か月と1週間でそこを辞めてしまった。
実家に戻った私は再びお願いして元の会社で働くことになる。
ところが弟が22歳で突然結婚することになると、私も結婚しなければと、働いていた会社を辞めてしまう。
そしてそのころクッキングスクールに通う。
ところがここでもグループで何かをすると言うことが向いていないとわかるのだ。
同じグループになった他人から注意を受けた。
そして、自宅では家事を強いられそうになったので、職安(ハローワーク)に行き、次の会社を見つけて就職することになる。
その間いくつかお見合いもした。
次の会社でも陰湿ないじめにあうのだ。
日々の生活には楽しいことなどなかったに等しい。
友達らしい友達も出来ずに、親友と呼べる人もいなかった。
付き合った相手もお見合いをした相手もろくなものじゃあなかった。
とにかく結婚をし、親元を離れ自由になりたかった。
寿退社を夢見ていた。
(続きがあります)
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