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ちいちゃんのひとりごと

ちいちゃんのひとりごとを勝手気ままに書いています。

体調が思わしくなかった。

2018年02月21日 | 介護
2018.2.21
友達と近所のファミレスでランチした。
帰ってきたら体調が思わしくなかった。
そのまま暖房もつけずに死んだように横になった。
たった2時間半ランチしてお茶しただけなのに…。
やたらと寒かった。
10度にも満たないこの部屋で凍死するかと思った。
どうも死ぬことに興味を覚えていないので、死ぬのは嫌だと思う。
目覚めてぼーっとしていた。
寝ぼけ眼だった。
曇り空から時折日野さす中、季節の変わり目は苦手だと思った。
精神疾患にあけない朝が着て夜になるのである。
暖房は付けたが寒かった。
心も身体も冷え込んでいるのだ!
すっかり意欲も低下してしまった。
夕食を作る気力もないに等しい。
さりとて外食をするのもおっくうだ。
団扇の件はパソコン教室の先生にメールした。
この団扇出来上がったらどうしましょう?

私と言う女遠い記憶part32

2018年02月21日 | 介護
2018.2.21
それはそれは遠い記憶だった。
友達の作り方も他人との交わり方も知らない私は、休日に誰かと約束して出かけると言うことはほぼなかった。出かけても一人で出かける方がはるかに多かった。したがって一人でお茶をすることも食事をすることも大丈夫だった。夢も希望もすべて打ち砕かれた私にこれといった楽しみさえも無かったのである。唯一の楽しみは今倉千代子のコンサートや芝居を見ることだけだったと言っても過言ではない。彼氏も作れず、いやあ、作り方も知らなかった。それ以前に彼氏の作り方を教えてもらわなかったのである。
恋愛に関しては奥手だったかも知れない。相手に気持ちを伝えると言うことが出来なかった。自ら好きだとか言ったことも無かった。今の主人にめぐり合うまでいくつかお見合いもしたが、帯に短したすきに長しでうまくはいかなかったのだ。
恋に関してお手本がなかった。そして見本もなかった。自由に恋愛をすると言う気持ちもほぼ持ってはいなかった。夢も希望もすべてかき消された私の人生に、これからどうやって生きてゆくのかという指針さえも見えなかったのだ。
まったく恋愛をしなかったと言えば嘘になる。恋愛はしたがきちんとした恋愛の方法を習ったわけでもないので、どのような恋愛が正しいかさえもわからなかったそしてデートの仕方さえも分からなかったのである。相手の好きなところについてゆくことしかできなかったのであった。
ある日付き合った男とデートをした。男の車でディズニーランドに行った。ビックサンダーマウンテンで男はやたらと怖がっていたが、私は平然を装った。付き合った男といきなり男の車で船橋競馬場なんてこともあった。彼女とデートでいきなり競馬場に嫌な男だと思った。
憧れていたデートは男と美術館や博物館やクラッシックのコンサートに行ってその後、予約していた店でフランス料理を食べるというシチュエーションだった。しかし現実はそれとは程遠いものだった。まったくそのようなものに興味も無い男とたいした会話も無く、食事して帰ると言うのが現実だった。食事に関しては何を食べたかも覚えていない。
今の主人に関して言えばデートと言えば上野のじゅらくが多かった。素敵な店でフランス料理などと言うことは皆無に等しい。主人と付き合う前に付き合った男とどこへ行ったかも今では覚えていない。覚えているのはディズニーランドと船橋競馬場だけである。
ディズニーランドでは男がお土産を買うと言い、選んで欲しいと言うのでてっきり私へのプレゼントだと思ったらそれは男の自分に対するプレゼントだったのにはがっかりした。そのころ恋愛の指南書などがあれば読んで学習して置けば良かったと思う。それ以前に付き合った男が女に対する喜ばし方を知らなかったのかも知れない。

私と言う女遠い記憶part31

2018年02月20日 | 介護
昔々の遠い記憶をたどっている。忘れかけた遠い記憶です。
どこにいても自ら友達を作ることは出来なかった。学生時代もそうだった。それは社会人になっても変わらなかった。もしかしたら友達の作り方を習わなかったのかも知れない。
自ら「友達になってください!」とは言えなかったのである。休日に友達との外出はほぼ皆無に近かった。その頃の私は一人寂しく外出していた。
親に嘘をついて出掛けた。出掛けた先は無論今倉千代子のコンサートだったり舞台だったりした。しかし、嘘をついて出掛けても帰ってくるとなぜか母にばれるのである。
私は今倉千代子のコンサートや舞台を見に行ってもこれといった友達が皆無だったので、さっさと見ては帰る方が多かった。
今倉千代子はあれ以来私を普通のファンとしか見ていなかったのである。その証拠に出待ちしてカメラを向けたら怒られたことがあった。危うく係りの人に持っていたカメラを取られるところだった。私はすっかり一般のファンの人と同じ対応だった。
後々それはそれで良かったのかも知れない。
だから私は一般のファンの人と同じ扱いだったので、どこへ行っても他のファンの人から何も言われなかったのだ。それはそれでかえって良かったと思う。私だけ特別な扱いをされれば他のファンの人に何を言われるかさえわからない。

今朝も少しだけ泣いた。

2018年02月20日 | 介護
今朝も少しだけ泣いた。
オリンピックのスピードスケートの小平奈緒選手の会見をテレビで見て泣いた。
こんな娘いたらいいなと!
とてもいい子に見えた。
金メダルおめでとう!
最近ささやかなことで良く泣く。
もう、男性等は35歳以下二十歳未満は恋愛対象に無い。
親の目線で見てしまう。
二十歳以下なら孫に見える。
こんな息子欲しいな!
とか、こんな孫欲しいな!
とか、思ってしまう。
下手すると高橋一生等も息子感覚で見てしまう。
年下は恋愛対象に無い。
かといって年上はおじいちゃんです。
我が家は玄関ドアが壊れている。
なかなか開かない。
今朝も不便した。28日に新しいドアと取り替える工事をする。
それまで不便です。
今朝もおもいっきり力を入れたがびくともせず開かないドアと格闘した。
そんな日が続いている。
なかなか業者に頼んだが向こうの都合もあり、すぐに取り替えは無理らしい。
外からはすんなりと開くのですが!
玄関ドアの交換は28日です。
それまで不便ですね。

今日一番嬉しかったこと!

2018年02月19日 | 介護
今日一番嬉しかったことは初めてFacebookでろうあ者とお友達になりました!
相手が私に友達申請して来てろうあ者なのですぐにok!しちゃっいました。
それから彼女から返事が来るまでびくびくでした。
でも夜遅く返事が来ました。
良かった。
Facebook上で会話して、嬉しくて少しだけ泣きました。
地元の知り合いのろうあ者となら簡単な手話で話は出来ます。
母と同居して手話サークルやめました。
でも覚えています。
少しなら!
わからなければ指文字と筆談です。
初め彼女は怪しい人かと疑っていましたが、大丈夫でした。
とてもいい人です。
でも彼女はあまり手話が得意じゃあないみたいです。
友達は健常者の方が多いようです。
やめなきゃあ良かったよ!
手話サークル!
少し後悔しています。
手話はろうあ者の大切な言語です。
盲人に点字があるように!
残念ながら私の手話は地元の知り合いのろうあ者にしかほぼ通じません。
この前も駅前のスーパーで知り合いのろうあ者に声かけられました。
嬉しかった。
その前も市役所で知り合いのろうあ者に!
地元の知り合いのろうあ者にしかほぼ通じない手話ですが!
私も手話を習い始めて2年目に耳鳴りの病気に!
あっちこっち病院行ったけれど治りません。
ずーっと耳鳴りがお友達です。
みんなの話し声も歌声も耳鳴りの中から聴いています。
普通の人より聴力悪いんですよ。
補聴器は着けていません。
地元の手話サークルが夜なので母と同居したときにやめました。
みんなの声を耳鳴りの中から聞いているので正式な手話通訳は無理ですね。
でも街中で困っているろうあ者がいたら肩を叩き、手話と指文字と筆談で対応します。
もっとしっかり手話を学んでおけば良かったと思います。