まくとぅーぷ

作ったお菓子のこと、読んだ本のこと、寄り道したカフェのこと。

ゆり児OGの皆さんへ。

2022-02-11 12:29:29 | 日記

突然のお知らせにとても驚かれたと思います。

一体何があったの?と気にされていますよね。

私には説明する役目があると思いますので、書いてみます。

他に方法が思いつかず、全宇宙に発信のブログになってしまいます。

なので固有名詞は伏せます。

 

最初にY姉さんと私の関係について。

姉さんも私も1967年生まれですが、姉さんは早生まれだったので学年一つ先輩でした。

実家が歩いて90秒のところにあります。ちなみにボイトレのS先輩の実家も同じくらいです。

今思い出してびっくりするのが、中学生の頃の姉さんと半年前の姉さんと見た目がほとんど変わらないことです。

こちとらどんどん老けていくのに、「ねえなんで髪がそんなに黒くて艶々なんですか」と詰め寄ったことがあったくらい。

ゆり児あるあるで、最初はソプラノ配属され、音程がちゃんと取れて響きが付いてくるとメゾやアルトに移籍させられるって言うね。姉さんも最初はソプラノで隣にいたのに、気付いたらアルトの主みたいになってました。

そうそう、もう一つ、あのマシンガントークも中学時代からずっと変わらないわ。恋愛妄想トークに爆笑してたんだけど、ここ数日何故かそればっかり思い出します。もっと高尚な思い出を噛み締めたいのに。

 

 

そして今回の経緯について。

 

2021年夏の50周年記念定期演奏会に参加させてもらえることになり、毎週のようにお会いしていました。

何かの時にゆり児のCDの話になり、私聴いたことないかも、と言うと、翌週持ってきてくれました。

喜んで聴いてしばらく経って、うっかり借りていたことを忘れ、年明けに発掘されました。非道いね。

姉さんの東京の住まいに送り、ごめんなさいメールをしました。いつもならそういうの素早く返信くれるんだけど、お忙しいのかなあと思っていたら、姉さんのメールアドレスから知らないアドレス同報で着信がありました。それが2022年1月25日です。

Yの兄の〇〇です。妹に頼まれて代筆しています。という文章で始まっていました。

2年前に癌を患い、ずっと治療を続けてきた。そのことを家族以外に絶対知られなくないと言っていた。今は末期で緩和ケアに入院していて、スマホでメールすることが出来なくなっている。でもきっと知香が返事なくて気にしてると思うし、言えばゆり児の誰彼にこの状況が伝わるから、と頼まれた。ご連絡をお願いできないか。

そういう内容でした。

 

文字は日本語でわかるように書いてあるのに、読んでも頭に事情が入ってこないので、お電話させてもらえないかとお願いし、お話ししました。お兄さんとしては、近所の後輩の知香っていうのには聞き覚えがあって、連絡しやすかったようでした。コロナのせいで緩和ケアには家族が二人しか面会に行けなくて、ご高齢のご両親に変わってお兄さんが全て采配してるとのこと。医者からは持って今月いっぱいと言われてると。ご両親は明後日に会いにくるがおそらくそれが最期だろうと。その時がきたら、本人の希望で家族葬にする。来てもらうことはできないが、また連絡はします、と言ってくださいました。

知られたくない、という姉さんの希望は、心配かけるのが申し訳ないという気持ちからだと思いました。なので今の状況については最低限お伝えすべき方にだけお話ししようと思いました。知ってて言わないのは騙しているみたいで気が咎めたのですが、それも何年にも渡ることではないのと、知ってもお見舞いに行ったりできるわけではなく、ただ悲しい時間が長くなるだけだと思ったので、そうすることにしました。団の事務局長さんと、S先輩に電話でお伝えしました。

 

お兄さんから次にメールが届いたのは2/8でした。昨日、亡くなったと。まぶたを開けることさえ辛いはずなのに、と、医者が生命力と忍耐力に驚いていたと書かれていました。余命宣告から1週間がんばったのは、ご家族への思いやりなんだろうなと思います。かけがえのない、自慢の妹です。とありました。当初の予定通り家族葬にすると。皆様にはお世話になり大変ありがとうございました、と結ばれていました。

 

こうしてお兄さんと直接お話しした私でさえ、現実感がありません。半年前にとても久しぶりにソプラノで隣で歌えてすごく楽しかった、こんな世の中だから打ち上げすぐにできないけどまた落ち着いたらねと別れた、そこから一足飛びにそんなことを伝えられても、信じることができません。なので、これを読んでいる皆さんも、同じ気持ちなのだろうと思います。

 

OGと団を繋ぐという役割はものすごい労力と気力を使うことだと思います。私は隣で見ていて、たまに少し手伝ったりしながら、Y姉さんこれ全部一人でやるの大変すぎる、もっと投げてくれていいですよ、って言ったことがあります。姉さんは笑いながら、まあ、私のライフワークみたいなもんだから、っておっしゃっていました。この仕事が、ゆり児が、歌うことが心底好きなんだな、と思いました。誰かが代わって全部やれることではありませんが、何かの時には協力しあっていけたらいいなと思っています。

 

世の中落ち着いたら皆さんと集まって姉さんの話をしたいと思います。実現するまではみんなちゃんと元気でね。