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古都奈良の演劇的空間 その2

2014-02-12 11:37:54 | 奈良
さて、続く演劇空間は、同じく修二会。
このブログでもお馴染みの花会式です。
今年から日程が昔の日程に戻り、3月26日~31日です。


○花会式○
薬師寺は680年に天武天皇が皇后・鸕野讃良皇女の病気平癒のため発願されたお寺。
発願後、皇后の病気は無事平癒。しかし次に天武帝が病気になります。そして平癒することなく686年9月9日に崩御。
薬師寺建立という国家プロジェクトは、後に持統天皇として即位した皇后に引き継がれます。
持統天皇が即位する経緯は省きますね。
687年8月28日に、持統天皇は飛鳥寺に300人のお坊さんを集め、袈裟をプレゼントしたそうです。その袈裟は天武天皇の衣服をほどいて作ったもの。
その説明をする途中、持統天皇は声を詰まらせて続けられなかったとのこと。この説明の感じは、光明皇后の「聖武天皇の遺品を見ているだけで崩れ落ちるほど悲しい」と似てますね。
688年、薬師寺にて無遮大会を設けたと記紀にあることから、伽藍がある程度揃っていたと推測されます。
698年、伽藍造営がほぼ完成し、僧侶を住まわせている。

薬師寺はこういった経緯で、天武天皇の発願から18年の歳月を費やして作られたお寺なのですね。

さてこの薬師寺。
日本で唯一、裳階という飾りの屋根をつけた伽藍となっております。
このお寺の姿を、高田好胤和上はこう例えたそうです。
「大きな屋根は天武天皇。小さな裳階は持統天皇。この姿は、天武天皇が持統天皇を抱いているお姿です。」と。
素敵ね。素敵な例えですね。
他の寺院では見られない裳階をつけた建築。
和上の仰られた例えには根拠はなく、直感であったと西山先生はおっしゃいます。
でもだからといって、裳階をつけた理由の文献がない以上、そうでないという根拠もないのだと。

この裳階をつけた建築様式は竜宮造りと称されています。
平安時代に書かれたお寺の人気投票では、1位大安寺 2位薬師寺・・とあるそうで、当時の大安寺の伽藍は寛仁元年の火災で失われているため、ある意味当時の姿を再現している薬師寺は繰り上げ1位ってことでしょうか(笑)

嘉承2年(1107)、堀河天皇が皇后の病気平癒をお薬師様に祈願したところ、無事本復されます。皇后は感謝の心を10種の造花(つくりばな)に込め、修二会ごとにお供えされたことが花会式の起源です。
以来、約900年途絶えることなく営まれているのです。
今年で908回目なんだそうな。すんごいね。

薬師寺の修二会も東大寺さんの修二会同様、①視覚:造花で美しく飾られたお堂の中で練行衆が法要を営む ②聴覚:独特の声明で悔過を行う(因に薬師寺の場合のお名前を呼ぶのは、南無薬師瑠璃光如来→南無薬(なむや)と変化します) ③触覚:お香水をいただく といった緻密な演出がなされています。

参詣者を自然とその内に引き込むように、完璧な演出がされているのが修二会なんですね。


さて次回はお話のトリを飾った演劇空間をまとめます。(へい、まだ続くんです・笑)













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↑ 日本の長い歴史の中で、唯一皇后様と並んで陵があるのが聖武天皇と光明皇后。唯一合葬されているのは天武天皇と持統天皇。

今上両陛下は火葬したのち、陛下のご意向の天武・持統形式ではなく、ご遠慮なさった皇后様のご意向で陛下の陵の横に小さく並んで作られる聖武・光明子形式なんだそうですね。ポチよろしく☆
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