ぶつぶつ地蔵

地蔵 呟く ひーの言葉を。ぶつぶつと…。

コメント大歓迎!BUT訳の解らない書き込みはザクザク消しますッス!

正倉院見学会 その2 屋根編

2013-03-19 10:09:49 | 好き・応援
さて、更に上に登ると屋根の足場へとたどり着きます。

瓦がすべて下ろされ、身軽な感じの屋根。



北倉部分から見えた垂木の見える天窓状態の部分。上から見ると、屋根の層がわかるようになっています。


屋根を構成する部材の名前のほとんどは知らないんですが、野地板などは仕事でちょくちょく見かけるので「なるほど、こういうものか」って気持ちで見ちゃいますね。


展示コーナーに、実際に乗っていた瓦が展示されています。

ずらっと年代順に並んでおります。


こちらは創建当初の瓦。布地の跡や縄の跡が残っていて、造り方を今に伝えています。
全部で800枚ほど残っていたそうです。今回の修復の後、屋根に戻されるのはその中でも250枚ほどだそうです。
南側の条件の良いところに並べられるそうなので、工事が終わったらあの辺かな~とか言いながら屋根を見るのも楽しいかもしれません。


こちらは非常に条件の良い状態で残っていた鎌倉時代の平瓦。
唐草に縁どられた東大寺の文字。
この写真では見えにくいんですが、右から大東寺(写真通りの並びだと「寺東大」)と文字が並んでいます。(一文字づつでも縦書きなので、右から読むんですよ)
これはオイラの仮説ですが、丸瓦に東大寺の文字が入る場合、

  東
 寺 大

の形で丸の中に入ります。
平瓦にした時、至極素直に「ギュッ」と平べったくしたのではないでしょうか。
  東
  ↓   → 寺東大
 寺 大
こんな感じで、東がそのまま下に押されたって感じかな。違うかな(笑)


丸瓦も三つ巴紋だったり、連珠紋に東大寺の文字であったり正倉院の文字だけだったり、時代によって様々です。
平瓦も唐草があったりなくなったり・・その時代を反映しているようです。

鎌倉期にも大きな修復があったらしく、先ほど書いたように鎌倉時代の瓦は多く残っているそうです。しかも非常に良い作りなんだとか。
それに比べ、江戸時代の瓦は量産にありがちな質のよくない瓦なんですって。やっぱり江戸時代ダメだなぁ(苦笑)

今回の修復で乗せられる新しい瓦(約7~8割は新しくなるそう)は、東大寺さんの敷地から発掘された創建当初のものと思われる瓦を元に復元した、蓮弁の丸瓦と唐草の平瓦です。ちょっとゴテゴテっとしている感もありますが、風雪を凌いで時代が過ぎると、きっと今見る室町や鎌倉の瓦のような生々しさのとれた姿になるんでしょうね。


さて、瓦を説明してくれていたお兄さんをおばちゃんたちに乗っ取られたので(笑)屋根をぐるりと回ることに。

野地板の上に土居葺という、屋根全面に見えている薄い板があるんですが、これって大正の大修理の時に施されたものらしい。
土居葺を施してから土を乗せて瓦を葺くことで、垂木や野地板への負担が軽減し雨漏りなども少なくなるんだそうです。お茶室の屋根などに葺かれているんだって。
この他にも、屋根を支える小屋組(だったと思う)の方法が、大正の大工事の時に洋風に替えられたんだとか。それまでの組み方では、どうにも屋根が支えきれなかったらしい。(つっかえ棒をしてたんだよ)
今後の研究で、いつか創建当初の組み方に戻ることもあるっておっしゃってました。
そうそう、余談ですが南倉・中倉・北倉と内部は壁で仕切られておりますが、小屋裏は3倉がつながっているとのこと。ひとつの屋根を3倉に掛けているからでしょうか。質問しておけばよかった!!


綺麗な板は今回の修復でなおされた部分、鄙びた色は大正のお仕事。
修復って、今と昔が共存してて面白いですね。


垂木の中にも、綺麗な角ばった垂木と、角がとれて丸まってきている朽ちた垂木とあります。
使える木材を最大限に使い、どうにも使えない部分のみ新しいもので補う。これが修復です。


瓦を葺いたらこんな感じ。


棟部分に輪のついた避雷針のようなモノが幾つかあります。
「あれはなんですか?」と訊ねると、「昔の人が屋根に登った時に、命綱を繋ぐところです。瓦を乗せると輪っか出る程度で隠れてしまいますね。」とのこと。

今は立派な、200人程が乗っても大丈夫な丈夫な足場があるけれど、少し前までは命懸けのお仕事だったんだなぁと改めて感じた瞬間でした。


早めの時間をチョイスしたからか、人もまばらでゆっくりと、一時間以上正倉院の姿を堪能させて頂きました。

こんな素晴らしい技術の集大成が今日に残っているって、本当にすごいことだと思います。
今から見ると残念な修復ももちろんあるそうですが、それさえも打ち捨てていなかった証なのです。
日本は木の文化ですから、「残そう」「守ろう」という気持ちが働かないとこういった建物は残りません。
単なる美術的価値や技術の伝承ということだけでなく、人々の想いがあってこその遺産なのだなとつくづく思うのであります。


こーして、ゆかちゃんとテンションMAXで正倉院をあとにしたのでありました。


その3 お食事からフィニッシュ編へ続く












人気ブログランキングへ
↑イケイケどんどんではない奥ゆかしいゆかちゃんが、気づけばガシガシ係りの人をとっ捕まえて質問攻めにしてました(笑)。旅の恥はかき捨てだと思うあなたはポチっとな☆

*・゜¨゜゜・*:ランキング参加中です:*・゜¨゜゜・*
>