ぶつぶつ地蔵

地蔵 呟く ひーの言葉を。ぶつぶつと…。

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ただのオタクのたわごとです。

2009-07-29 10:20:21 | D'Artagnan
最近読んでいる本は、『二人のガスコン』とゆー本である。
ひできがね、シラノをする前に読んでたってブログに書いてあったので、遅ればせながら買って読んでいるのである。
シラノと三銃士の主人公、ダルタニャンが組んで仕事をするってお話なのですが、めっちゃ面白いんですね。
っちゅーか、こちらのダルタニャンがめっちゃ好みの男性なんですよ。
とにかくコレを読み終えたら、三銃士も読もうと思ってます。

ひできがシラノの本番までにいろいろブログに書いてくれていたので、シラノに出てくるかなりの人が実在人物だってことは知っておりました。
かくいうひできが演じたリニエールも実在の詩人。

対して、アレクサンドル・デュマ・ペール作の三銃士(正確には『ダルタニャン物語』)はといいますと・・・
オイラ、ずっと架空の人物だと思ってたんですよね~。
で、少し調べてみたら、ダルタニャン、実在人物でした。(シラノの時にも一応調べてたけど、忘れてました^^;)
もちろん、三銃士のお三方も!
コレはびっくり^^;(←アンタが知らないだけじゃね?)

ダルタニャンの本名は、シャルル・ド・バツ=カステルモールと言います。
当時からダルタニャンとも名乗っており、こちらは母方の姓なんだとか。
1615~20年頃に生まれ、1633年には銃士隊に所属していることが閲兵書に載っております。
リシュリュー枢機卿の時代は国王付きの銃士隊でしたが銃士隊解散後、マザラン枢機卿の腹心として働いていたようです。
かなり有能で、ルイ14世によって銃士隊が再編成された折には、銃士隊長代理に着いており、後に銃士隊一番隊長にまでなっております。
フーケ事件では逮捕・護送・監視に活躍。実直であったらしいが情の人でもあったらしく、「フーケを護送中、止まってはいけない」という命令に、群集の中にフーケの家族を見つけたダルタニャンは、速度を遅くし別れをする時間を作ったと言われております。
『王には忠義あり、かつ護送する囚人には人道あり』と称えられました。
もーこの件で、惚れちゃいますよ。ね。
1673年6月25日、マーストリヒトの戦いの最中、銃弾を頭部に受けて戦死。
ルイ14世は王妃に宛てた手紙でダルタニャンの死をこう書いております。
「マダム、朕はダルタニャンを失ってしまいました。朕が最も大きな信頼を寄せていた男です。何事につけても朕によく仕えてくれた男です」
史実のダルタニャンってすごい人だったんだなーと。
当分は、ダルタニャンの人生を追っていこうと思っております。
あー。フランスに行きたい・・・
んで、ココがダルタニャンが生まれたところ~とか、馬で通った通り~とかなんとか、悶々としたい~(笑)

ちなみに、三銃士のお三方は・・・
アトス・・・アルマン・ド・シレーグ・ダトス・ドートヴィエイユ
ポルトス・・・イザック・ド・ポルトー
アラミス・・・アンリ・ダラミツ
であります。正確に言うと、モデルになった人物ってことなんですがね。
ま。いろいろ実際に活躍した年代から、出会っている可能性は少ないようですが・・・

ダルタニャンの実家は今でも続いており、マルキ・ド・モンテスキューというお名前で、アルマニャックを作っておられるとか♪
お会いしてみたい~^^
しかも、ブランデー・オブ・ダルタニャンとゆーラベルまであるとか!
こりゃ、入手せねば!!!・・・と思ったら、1995年に紹介されたのが最期なんだって。残念!!
飲めなくてもいい・・・せめてラベルが見たい~~~~!!!
(マルキ・ド・モンテスキュー及び、ブランデー・オブ・ダルタニャンの情報求む、です。高かったら買えないけど・・・せめて、一目見たいのです)

参考:wikipedia 三銃士、シャルル・ダルタニャン 他