病室の大きな窓に広がる青空を
眺めれば、季節が「夏」であることを、
視覚では充分に感じられるが、
エアコンで調整された室温では、
皮膚で「夏」を感じることが出来ず
「今日も外は暑いですよ!」
何度も、この言葉をナースから聞かされ、
「夏」の訪れを耳で感じた。
7月後半の本格的な
「夏」始まりの12日間を、
私はそんな病室で過ごした。
愛犬は私の足の怪我で、大々好きな
「夏」定番の水遊びも行けず、
リトル・カントリーの短い夏休みの間も
ペット・ホテルで涼しいお留守番を
させてしまった。
私にも愛犬にとっても、
不完全燃焼の「夏」だった。
ところで、田舎に帰ると、
忘れていた感覚が蘇る。
田舎のことをを想い起こそうとすると、
先ず「景色」。
視覚的な記憶が優先する。
ところが、いざ、そこに足を運ぶと
いろんな感覚が蘇る。
活気を失った商店街のい古びた看板、
夕立ちに濡れて湯気の上がる
アスファルト道。
樹木や草や花の夏花の香り。
川のせせらぎや、鳥のさえずり、
あの人の声、そして方言。
肌に伝わる輝く陽射し、優しい風。
地きゅうりの漬物や、
本ダラの煮物の味。
視覚も、聴覚も、触感も、味感覚も、
全て蘇る。
中でも、
朝もやのひんやりとした空気と
外にあるもの皆、夜露濡れ
しっとりとした静かな朝のたたずまいは、
田舎でないと味わえない
素晴らしく、懐かしい世界がある。
「ここは、田舎だっ!」
全身の感覚が蘇る。
来年の「夏」は必ず、
キャッシュとバンクを
リトル・カントリーに連れていって
あげなくてはと、申し訳ない気持ちで
彼らにこの曲をプレゼント。
一緒に田舎に帰るたびに何度も
モーリーの露天風呂の前の川で
水遊びをしたことを
彼らは
思い出すだろうか?
村上ゆき - 夏の思い出
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