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宇美、宇佐、宇治、宇治橋、宇治土公。分かりますか?

2013年01月16日 17時39分05秒 | Weblog
宇美、宇佐、宇治、宇治橋、宇治土公。分かりますか?

(新井信介 「京の風」)より


こんにちは、

一昨日は、大雪にもかかわらず、熱心な参加者が来られ、感激しました。

特に、「もう、パタダイムが変わったのだから、全部、話しちゃいましょうよ」

と言われた時には、ギクッとしました。

確かにそのとおりです。

2013年の今年は、690年に行われた伊勢の最初の遷宮と同じ次元で大きな節目です。

今につづく伊勢神宮とは、鵜野讃良(奈良時代末に持統と書かれた)が、

実子の草壁皇子の死の翌年に、伊勢に行き、そこの社を整備してからのものです。 

このとき、まだ、皇祖神アマテラスは、できていません。


このあと、701年に大宝律令が完成するまで、日本列島では、

またまた大きな節目がありました。藤原京に遷都した後です。

文武とは何者か、ということです。

この人物は、実は、「豊祖父」が正式な名前です。

「文武」というのは、「持統」と同じく、弓削道鏡事件のあとに天皇になった

白壁王の光仁天皇時代につけられた漢風諡号です。


さて、事務局より、すでに案内がありましたが、

3月初めに、宇治を中心にしたツアーを組みました。

 今回は、ヌナトクラブ以外の皆様にも、特別にご案内します。


 藤原道長の死を悼んで、その息子頼道が造った平等院で、宇治は大変有名ですが、 

実は、この地が、「国譲り」以来、日本の王権の移動に関わる聖地でした。 

「宇宙を治める」と漢字で書かれているのは、ダテではありません。


 日本で最初に架かった橋は、宇治橋で、「大化改新」の翌年、646年でした。 

この橋と同じ名前の橋が、伊勢神宮の内宮の前に架かっています。

五十鈴川に架かる橋は、宇治橋です。 

そして、ニニギの「天孫降臨」に欠かせないサルタヒコを祀るのが、

伊勢の猿田彦神社で、ここの社家の宮司さんの名前が、宇治土公さんですhttp://www.sarutahikojinja.or.jp/about/。


 聖徳太子の妃のひとりに、莵道貝蛸郎女(ウジノカイタコイラツメ)がいます。

莵道とは、宇治です。

さらに663年の白村江の戦いに倭軍が敗れた後、

唐は665年に朝散大夫の劉徳高を派遣し、この宇治に来て閲兵しています。

 宇治には、平等院と並んで世界遺産の宇治上神社があります。http://www.pref.kyoto.jp/isan/ujigami.html


 ここに祭られているのは、 ホンダワケ(応神天皇)と、

その息子の菟道稚郎子(ウジノワキイラツコ) と、オオサザキ(仁徳天皇)。

ホンダワケが生まれたとされるのは福岡県の宇美 で、

日本全国の八幡社の総本社は、大分の宇佐神宮。


日本列島の古代に、一体、何があったのか? 

文字に書かれていない真実の物語は、実際にその場に立ち、

丁寧に過去からの伝承を探り、そうしている自分の血のヒビキに耳をあてたときに、

天空のシリウス情報がダウンロードされ始め、時空を超えて、

一気に映像化して、知覚されていきます。


和歌の世界で、 「宇治」に掛かる歌の枕詞は、 「神」とともに、

 「ちはやぶる」 です。 

 お楽しみに。
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2013年1月16日 09:49

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