流行歌手のハシリの一人で、戦前の一時期はエノケンよりも人気があった歌手兼コメディアン(というよりはヴォードビリアン)の二村定一について書いています。
器用でなんでもこなす独特の感性の持ち主だったのですが、持続力に決定的に欠け、スターの座からどんどん転げ落ちて、戦後すぐに深酒のために血を吐いて死んでしまいます。
こうした浮き沈みの激しさは、かつての芸人の典型的な一例かもしれません。
現在でも芸人の世界は経済的に厳しいですし、本来のネタの素晴らしさよりもフリートークが重視されて、うまく立ち回ってひな壇芸人になり、やがてはMCになるのが出世コースのような現状では、本当の意味での芸で食べていくのは、かえって今の方が難しいのかもしれません。
この文章に限らず、読んでいていつも驚かされるのが、著者がこうした戦前の芸人たちと実際に交流があったことです。
なぜなら、その時の著者は、小学生かせいぜい旧制中学生だったからです。
学校をさぼって東京のあちこちの盛り場をうろついていた著者には、はるかにスケールは小さいですが同じような性癖(電車通学をしていた小学校、中学校、高校をさぼって、そのころはあちこちのちょっとした駅には必ずあった小さな映画館に入り浸っていました)があったので、考え方やモノの見方に共感できる点がたくさんあります。
そして、そのころの著者の経験は、阿佐田哲也名義の「麻雀放浪記」などの作品に生かされています。
器用でなんでもこなす独特の感性の持ち主だったのですが、持続力に決定的に欠け、スターの座からどんどん転げ落ちて、戦後すぐに深酒のために血を吐いて死んでしまいます。
こうした浮き沈みの激しさは、かつての芸人の典型的な一例かもしれません。
現在でも芸人の世界は経済的に厳しいですし、本来のネタの素晴らしさよりもフリートークが重視されて、うまく立ち回ってひな壇芸人になり、やがてはMCになるのが出世コースのような現状では、本当の意味での芸で食べていくのは、かえって今の方が難しいのかもしれません。
この文章に限らず、読んでいていつも驚かされるのが、著者がこうした戦前の芸人たちと実際に交流があったことです。
なぜなら、その時の著者は、小学生かせいぜい旧制中学生だったからです。
学校をさぼって東京のあちこちの盛り場をうろついていた著者には、はるかにスケールは小さいですが同じような性癖(電車通学をしていた小学校、中学校、高校をさぼって、そのころはあちこちのちょっとした駅には必ずあった小さな映画館に入り浸っていました)があったので、考え方やモノの見方に共感できる点がたくさんあります。
そして、そのころの著者の経験は、阿佐田哲也名義の「麻雀放浪記」などの作品に生かされています。
怪しい来客簿 (文春文庫) | |
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