最近の絵本や幼年童話は、ますます紙数が少なくなり、逆に活字はますます大きくなっています。
とうぜん、場面数は減少して、物語は単純化されていきます。
1983年に、安藤美紀夫が「日本語と「幼年童話」」という論文(その記事を参照してください)で、当時の安直な幼年童話を嘆いた中で、「少なくとも二十場面前後の<絵になる場面>が必要なことはいうまでもない。そして、<絵になる場面>を二十近く、あるいはそれ以上用意できる物語といえば、いきおい、起承転結のはっきりした、ある種の山場を伴う物語にならざるを得ない。」と、述べました。
現在では、こうした理想は望むべくもなく、児童文学というよりは、四コマ漫画やショートコント、一発ギャグのような味わいの本が増えています。
あらかじめ、ページ数や本の大きさなどが定められている一種の鋳型のようなものに、お話の素が流し込まれてできあがった絵本や幼年童話たち。
これを退廃と言わずして、何と言えばいいのでしょうか。
とうぜん、場面数は減少して、物語は単純化されていきます。
1983年に、安藤美紀夫が「日本語と「幼年童話」」という論文(その記事を参照してください)で、当時の安直な幼年童話を嘆いた中で、「少なくとも二十場面前後の<絵になる場面>が必要なことはいうまでもない。そして、<絵になる場面>を二十近く、あるいはそれ以上用意できる物語といえば、いきおい、起承転結のはっきりした、ある種の山場を伴う物語にならざるを得ない。」と、述べました。
現在では、こうした理想は望むべくもなく、児童文学というよりは、四コマ漫画やショートコント、一発ギャグのような味わいの本が増えています。
あらかじめ、ページ数や本の大きさなどが定められている一種の鋳型のようなものに、お話の素が流し込まれてできあがった絵本や幼年童話たち。
これを退廃と言わずして、何と言えばいいのでしょうか。
日本児童文学 2016年 12 月号 [雑誌] | |
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