「安藤美紀夫 追悼」の特集の中の論文です。
副題の「子どもの人権と子どもの論理」が示すように、「現代児童文学」論者(つまり著者)側にかなり引き寄せた論になっています。
弔辞や他の媒体に発表した文章をそのまま引用したり、著者が当時大学で担当して苦労していた「児童文化」に関する自分の意見の表明があったりして、論文としてのまとまりはあまり良くありません。
著者のあげた安藤の仕事を整理すると、以下のようになります。
1.児童文学の創作
2.イタリアを中心とするラテン系児童文学の翻訳
3.2の研究を含む児童文学論
4.後進の育成
5.日本女子大学の教師としての活動
6.日本児童文学者協会での仕事
7.地域における児童文学、児童文化の活動
8.児童文化論、子ども論
1における代表作は、1972年に発表されて翌年の児童文学の賞を総なめにした「でんでんむしの競馬」でしょう(これについては、別の記事で詳しく述べています。なお、安藤の「風の十字路」に関する記事もあります)。
2における重要な作品は、イターロ・カルヴィーノの「マルコヴァルドさんの四季」でしょう(著者も述べていますが、「でんでんむしの競馬」にはこの作品の影響が見られます。これについても、別の記事で詳しく述べています)
3におけるもっとも重要な仕事は、「世界児童文学ノート」でしょう(古今の世界児童文学について英米児童文学に偏らずに論じられる児童文学者は安藤以外にはいませんでしたし、その後も今に至るまで現れていません)。
4においては、村中李衣をはじめとした日本女子大学出身の作家や研究者を輩出しました。
5は4とも関係しますが、多くの教え子たち(私の日本女子大生だった友人たちも含まれています)に敬愛される教師だったようです。
6.現在の児童文学作家の互助会のようになった姿からは想像できませんが、かつての日本児童文学者協会は革新勢力の一翼を担っていました。
7.著者が紹介しているように、地元の東大和市の児童文学活動や図書館、児童館の建設などに、先頭に立って活躍していたようです。
8.大学での講座の関係もあって、この分野での研究に関しても何冊もの著作があります。
以上のように、安藤の活動は非常に広範な分野にわたっていましたので、とかく社会主義リアリズム(著者をはじめとした「少年文学宣言」のグループを中心にして)や英米児童文学至上主義(石井桃子たちの「子どもと文学」グループを中心にして)に偏りがちだった日本の児童文学に新たな視点を与えるものでした。
もし安藤がもっと長生きしていれば、日本の児童文学の流れは、かなり違ったものになっていたかもしれません。
日本児童文学 2013年 12月号 [雑誌] | |
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