現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

ダンボ

2019-04-08 16:41:44 | 映画
 1941年公開の、有名な同名のディズニーアニメ(ディズニーの作品は、最初の長編アニメの「白雪姫」を初めとして、アニメも実写も原作物が多かったのですが、「ダンボ」はオリジナルストーリーです)を原作とした、2018年制作の実写作品(CGで何でもできるようになってから、かつてのアニメ作品の実写化が可能になりました)です。
 リメイクといっても、「耳が大きくて空が飛べる子ゾウ」と「サーカスが舞台」などを除くと、ほとんどオリジナルなストーリーで、ティム・バートン監督得意のデフォルメされた世界が展開します。
 しかし、今作は、子ども向けを意識しすぎたのか、いつものおどろおどろらしさが不足していて、ティム・バートンのファンには物足らないかもしれません。
 ただし、ダンボが空中を駆け巡る疾走感はなかなかのもので、一種のアトラクション・ムーヴィーとしては十分楽しめます。
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大塚英志「つげ義春をノベライズして、日本の近代文学史を追体験する」物語の体操所収

2019-04-08 16:24:27 | 参考文献
 冒頭で、著者は自分の生徒たちの大半が「つげ義春」を知らないことに愕然として、「おたく的教養」の崩壊だと嘆いています。
 もともと「教養主義」を否定して小説技術(正確には物語技術)を養成しているにもかかわらず、こういった文章が出てくると、彼の本心が透けて見えるような気がします。
 つまり、実は著者は本質的には「教養主義者(おたく的教養も含めて)」で、「教養」のない彼の生徒たちを内心では「ブルーカラー物語作家」(予備軍)と名づけて軽蔑し、かつての社会主義リアリスム的表現を使えば、「資本家」的に「労働者」を搾取(専門学校でお金を取って養成し、将来的には下働きさせる)しているのでしょう。
 これは、アニメ業界で、美大や専門学校でセル画を描く人たちを養成して、安い賃金と長時間労働で搾取しているのと、よく似た構造です。
 どちらも、働いている若者たちは、セル画を描いたり、物語を作ったりするのが好きなので、あまり不満が表面化していませんが、基本的にはいわゆる「ブラック企業」となんらかわりはありません。
 さて、本題に入ると、「つげ義春」のマンガを生徒たちにノベライズさせて、日本の近代小説の主流であった私小説および、内面と外界をどのように写生するかを学ばせて、日本の近代文学史を追体験させています。
 さらに、「つげ義春」の「私」は実は仮構されたもので、一種のキャラクター作品なのではないかと推定しています。
 そして、日本文学におけるキャラクター小説の起源を、庄司薫の「赤頭巾ちゃん気をつけて」にあるとしています(ということは、そのルーツはサリンジャーの「キャッチャー・イン・ザ・ライ」のホールデン・コールフィールド(その記事を参照してください)であることになります)。
 そこから、橋本治の「無花果少年」、栗本薫の「ぼくらの時代」と辿って、新井素子の「あたしの中……」に行きつきます。
 新井の「ルパン三世のような小説」をめざしたというこの作品では、それまでの自然主義リアリズムの代わりにアニメ・まんが的リアリズムが採用され、現在のキャラクター小説(コバルト文庫の少女小説やライトノベルのファンタジー小説やミステリー小説など)を確立したとしています。
 この著者の推定はおおむねうなづけますし、現在の児童文学のエンターテインメントの大半はキャラクター小説になっているので、著者の論は多くの示唆を含んでいます。
 著者のこの本は、ここで小説家志望の生徒ならびに読者たちを、「私小説」作家になるか「キャラクター小説」作家になるか、二つの途があると突き放して終わっています。
 しかし、ここまでの流れをふり返ると、他人の「世界観」に基づいて創作する方法や漫画のノベライズの方法は教わりましたが、これで「小説」が書けるようになったとは思えません。
 せいぜい著者のいうところの「ブルーカラー物語作家」になる方法を教わっただけで、「ホワイトカラー(こんな言い方は差別的ですが著者に倣っています)物語作家」になる方法は教わっていません。
 しいて小説家になる方法を推測すると、平野啓一郎のように「教養」を身につけて、村上龍のようにマルチメディアと親和性の高い「世界観」を生みだせるようになり、重松清のようにノベライズをしながら小説技法を磨いて「ブルーカラー物語作家」から「ホワイトカラー作家」へのしあがるということでしょうか。
 「あとがき」も含めて読んで、「物語の体操」というタイトルには異論はありませんが、副題の「みるみる小説が書ける6つのレッスン」は、「羊頭を掲げて狗肉を売る」のように感じられてなりません。

物語の体操―みるみる小説が書ける6つのレッスン (朝日文庫)
クリエーター情報なし
朝日新聞社
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