本当にあった怖い話なんだけど
— KBU@医学生→EU内転校中 (@kabtabi) November 6, 2019
学習障害とか多動性の生徒が3人日本からキエフに送られたことがあるんだけど、みんなキエフに来たら全く問題なく友達もできて楽しく過ごしたらしい
ただ、日本に帰ったらまた馴染めずダメだったらしい
日本てルールが多いのかな
私がややこしいことを考えるのに、「病気は病気であるか? 」と言うものがある。
例えば、我々の多くは3色型色覚で、先天的に発病する2色型色覚、1色覚の人間は機能的欠損であると認識するだろう。
それでは3色型色覚は先天的な病気ではないのだろうか。
何を言っているんだ3色が十全で、そこから欠損している機能があるから2色型色覚、1色覚の人間は疾患なのだろう、と。
相わかった。
それではイギリスに二人確認されている4色型色覚の人間から3色型色覚の人間を見るとどうだろう。
4色型色覚が十全であり、そこから機能が欠損している、現代社会のマジョリティである3色型色覚の人間は機能欠損した疾患を持つことになる。
だが、3色型色覚のマジョリティ達はいつ疾患になったのだろうか?
同様に、今現在、多くの人口マジョリティは風邪などについての免疫系を獲得し、免疫が無い人間を病気として扱う。
ここまでは良い。
それでは、多くの人口マジョリティはHIVウィルスに対する免疫系が無いが、北欧と中央アジア系のごく少数にみられる遺伝変異ではHIVに対する免疫があると推定されるが、その人たちから見ればHIVウィルスに対する免疫系が無い病人である。
しかし、その多くの人口マジョリティはいつ病気になったのだろうか?
病気とは、その多くが苦痛をもたらすものだが、そうでないものとに分ける必要がある。
本人に病識なく社会生活上に苦痛をもたらさない病気とされるものについては、社会人口比における、機能欠損発現における人口マイノリティが病気として認識されるというのが私の考えである。
もっとシンプルに言えば、病気によっては、その苦痛ではなく、機能欠損の発現人口比で病気であるかどうかが決定されるということだ。
そしてその機能欠損は何に寄って定義されるのかというと、その生物(ここでは人間)が住まう社会である。
人間が仮に夜行性だとしたならば、色覚異常であっても夜目が効く人間が機能上優位なマジョリティになるだろう。
もっと言えば、人間における高度社会の構築に到達できない人間が病気であるとも言える。
現代社会においては、じっと座っているだとか、話に集中する、利発な会話ができる、相手の機嫌を損なわないなどのスキル、空気を読むなどの技能が必要となる。
それができない場合は障害者扱いだ。
冒頭で挙げたツイートの件は、本来は存在しなかった病気であるか否かの判定の線を、「日本社会が引いた」可能性があると私個人は考える。
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