先日の銃乱射事件とその周辺のコメントが、今更ながらアメリカの異常性を映し出している。
そもそも異常とは、文化的慣習などによる通常の基準から離れたことを言うのだが、文化的慣習はその地域ごとに個別に発生するので、アメリカを外部から見れば異常であっても、内部から見れば、銃を使って銃を制す的なことは異常ではないのだ。
相対的観測によってのみしか人間は価値観を図れない。
なのでアメリカの異常性は異常性ではないかもしれないが、しかしやはり異常に見えるのが世界から見たアメリカだ。
この異常な思考が時に世界を席巻する時もある。代表的なのは、WW2終結における日本への原爆投下だ。
彼らの原爆投下の正当性は、「日本に本土上陸した時の被害を減らすために投下したのだ」と言うことなのだが、それであるならば、戦線を引けば単純に日米両国民に被害がでなくて済んだのではないか。それがアメリカ国内で議論されることのないのはなぜなのか?
そもそも異常とは、文化的慣習などによる通常の基準から離れたことを言うのだが、文化的慣習はその地域ごとに個別に発生するので、アメリカを外部から見れば異常であっても、内部から見れば、銃を使って銃を制す的なことは異常ではないのだ。
相対的観測によってのみしか人間は価値観を図れない。
なのでアメリカの異常性は異常性ではないかもしれないが、しかしやはり異常に見えるのが世界から見たアメリカだ。
この異常な思考が時に世界を席巻する時もある。代表的なのは、WW2終結における日本への原爆投下だ。
彼らの原爆投下の正当性は、「日本に本土上陸した時の被害を減らすために投下したのだ」と言うことなのだが、それであるならば、戦線を引けば単純に日米両国民に被害がでなくて済んだのではないか。それがアメリカ国内で議論されることのないのはなぜなのか?
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