とめどもないことをつらつらと

日々の雑感などを書いて行こうと思います。
草稿に近く、人に読まれる事を前提としていません。
引用OKす。

マイナスがないと言う資産、マイナスがないと言う価値とインフラ

2018-05-13 14:38:52 | 哲学・社会
ローマ街道はまっすぐで平坦だ。それはなぜ? 
それは社会インフラを構築する上で、その必要があったからである。

下手に緩やかな坂道があればそれだけで手引き車などは疲れる。
道が開けていれば強盗の心配もない。
ローマ兵は土木工事要員でもあったので、必要があれば、せっせとそれを作った。
道路を作る場所に木の根っこがあればそれを掘り起こして石を敷き、道路を通す行き先に山があればそれを切り崩して、極力まっすぐで平坦な道にした。

こうして道路をまっすぐ平坦に整備すると言うかなり地味な作業を行い続けた結果、社会内部での流通がよくなり、人体で言う動脈が太くなり、血流がまわった結果、ローマは未曾有の繁栄を手にすることになる。
(それを逆手に、ハンニバルに攻め込まれてしまう要因ともなったが、しかしその多大なデメリットがあっても、流通網が存在するという圧倒的メリットは帝政後半まで変化しなかった。)

この時の本質は、流通は国家の繁栄につながるということである。
それはマイナス要因、つまり流通の中の勾配がなくなって輸送コストが低減したのと、輸送中の安全性が確保されたことにあろう。

センメルヴェイスが手洗い慣行を提唱する前まで、世界の病院では手を洗うことをしなかった。
よって感染症が広がっていったわけだが、手洗いをすることにより、それが激減した。
つまりウィルス感染という日常的コストを低減したのである。

現在、難民受け入れ、移民導入において、経済規模を維持することを世界各国は画策しているが、それは正しい選択だろうか? 
「移民を入れると治安が悪化する」「いや、数字上はたいしたことがない」と移民問題についてはまだ議論が盛んだ。
私は移民反対派なのだが、治安の悪化が多少とも起こるのであれば、それは防いでおいた方がいいというスタンスなのである。
「「マイナスがないという資産」がある」と言うことは多大なメリットなのだ。

移民を入れないと何が困るか? と言うと、経済規模が維持できないと言うことなのだが、しかしそれは総合的なGDPなのであって国民一人あたりのGDPが維持できるか、あるいは高くなるのか、というとそこには影響がない(イギリス・ドイツ・フランスの米ドル換算のGDPを見てみよう)。
各国、2007年のピークの後に2009年まで急落し、2014年まで2009年と同じレベルまで上昇、2016年まで反落、と言うパターンになっている。
移民導入による効果が認められるのであれば、これが右肩上がりの上昇を続けなければならないが、各国現状を維持したまま膠着している。

これは様々な意見があり、議論が必要だが、人口規模を維持することによってGDPを維持する、と言うのであれば、移民導入以外にも方策はある。

例えば、人口が減ることによって洗剤が売れない、テレビが売れない、スマホが売れない、と言うのであれば、「人口が増えている国に行ってそれを売ればいい」と言うことになる。
勿論、国ごとによって物価は全く異なるから、安易にこの選択は採れないが、ある程度の物価を見込め、人口が増えている国と言うのは探せば存在するし、市場規模もある程度まで見込める。

ここでメリットを享受できないのは地域密着型の例えば電力会社などになるが、日本の加工貿易体制を考えれば、結果的には輸出を推し進めれば良い。
特に欧州では食器用洗剤は洗わずに拭くだけという思想のために商品を変更せねばならないが、衣類用洗剤においてはまず洗剤粉末をお湯に溶かす必要があり、日本の「水だけでいい」という利便性がない。ここに商機がないだろうか。

あるいは環境対策を全面に出してもいい。
ゴミの流れる川からゴミを改修し、天日干しにした後、焼却する。
ゴミを川に流さないという教育と社会体制の整備、罰則を伴う法整備、(あと警官の賄賂禁止もできれば・・・)をする、と言うのだけでも全く異なる方式ができるだろう。

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