とめどもないことをつらつらと

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マンガ:盛り上がり時の見開き・大ゴマについて(ネタバレ注意)

2020-09-03 00:16:16 | マンガ
ダンジョン飯、トライガン、平野耕太作品、燃えよペン、コードギアスをまだ未読・未視聴の方がいらっしゃいましたら、引き返しをおすすめします(ネタバレあり)。


マンガの表現手法で「見開き」と言うものがある。

通常は単行本か漫画雑誌を開いた時に、その片ページずつにコマ割をしているのだが、見開きの場合は、その開いた左右のページを通したオオゴマと見立ててダイナミックな演出を行う。

先月発売のハルタにあったダンジョン飯では、
・最終的のドラゴン(キメラ)を殺す
・妹を殺害する
と言うある種のクライマックスではあったのだが、しかしあまり盛り上がることもなくこの回が終わってしまった。
と言うのも、本来であるならば、精神的葛藤やその克服、あるいはあるべき倫理点を超えた人倫ならざる決断の実施などがクライマックスにあるべきだったが、それらが前段になかった。
そもそもがダンジョン飯での主人公たるライオス自身が少しサイコパスが入っている人格であるので、どうしても「他人を思いやる人間が殺人を侵すに躊躇し、それを乗り越える」と言う描写が困難であるためと思われる。

さて、この他に見開きで評価が高い作品はいくつかあり、それはネット上での評価に委ねたい。


大ゴマに対しては、平野耕太先生がかなりうまい。大ゴマそのものには感動しないのだが、大ゴマを入れるとなるとある種の違和感やインパクトが出てきてしまうものを、これをあたかも一つの自然のコマのようにすっと入れる。本当どうなってんでしょうかこれ。

他にもTRIGUNは1話につき1つの見開きを描いていた。
ホッパード・ザ・ガントレットの見開きは漫画史上において一番の出来合いではないかと思う。
が、一方において「そこにそんな見開きは必要か? 」と言うのもあるので、ある種の実験ではなかったかと思う。
ただ、そうした多数のものの上に上記の傑作が出てきたので、その未踏の地への冒険は間違っていなかった。

さて、こうした「見開きはどこで使うべきか」論については、これはもう燃えよペン(島本和彦先生)のものを見て欲しい。「見開きをどこで書こうが作者の自由じゃねえかあ! 」と言う熱い叫びが見られる(と言うかそういう説明を実際にしている)。この回本当無駄な見開きがあって笑った(都合3回か? )。

さて、見開きには、その表現的手法だけではなく、その場面を印象づけるための下味をつける作業、伏線の消化やどんでん返しや衝撃的展開が無ければいけない。

これが短時間に詰まった秀逸な作品が「コードギアス」である。

例)
1期16話:
・ルルーシュセルフギアス
・スザク親殺しバレ
・マオにギアスかける
・マオ殺害
これが2分弱で起こるとかすげえ展開の速さだ。

2期最終話:
・ルルーシュ以外のゼロ登場
・スザクとルルーシュの約定
・スザクがルルーシュ殺害
・思い出フラッシュバック
・ナナリー号泣
これが物語ラスト15分で起こるとかすげえ展開の速さだ。

こういうのに見開きや大ゴマを使うべきだが、しかしアニメだから出来た部分もあって、相性とかもあるよなと。
そもそもアニメは画面が一定の大きさだしな。
漫画みたいなドン(小)ドン(小)バン(大)! みたいなコマの大きさでインパクトを出すことができない。
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