比較します。
全開記事と同じ動画を貼りますので、視聴済みの人は視聴不要です。
1.日→中の差別
「中国人へ 当店の食材は全て福島県産です」
丁寧に意味合いを書くと次のようになる。
「当店の食材は全て福島県産です。
中国の方は福島県産の食材は危険だと言う主張をし、その考えの人もいます。
しかし、店長の私は安全だと考えています。
なので、私はそうした中国の人の考え方には反しますが、福島県産の食材使うことをご承知おきください。納得出来ない方は入店して頂かなくともこちらは構わないし、そしてそうした私の店にうっかり入店するトラブルもこの看板で避けられるでしょう」
「私はこういう店を出すための自由と権利を持っています。あなたがたも、そうした店を選ばないようにするための自由と権利を持っています。」
「どこかで〇〇をせねばならない、と言うような一方的な強制を出す体制とは異なるのです。」
「一方において、この表現では直接的に表面上表現していませんが、中国人のそうした『福島県産の食材は危険だ』と言う主張に反抗していることも含意しています。」
「更に奥に隠れた意味として、中国人の『福島県産の食材は危険だ』と言う考え方は行き過ぎなのではないか、と言う疑義も呈しています」
「人として一旦止まって冷静に考えても見て下さい。宜しくお願いします。」
で、こうした含意を受け止めて、中国人が苛立つのも尤もである。
自分の持っている考え方に反抗されている気がするからである。
で、そうした揶揄に対してあれこれ抗議することまでは分かる。
一方において、警察と弁護士を出すのはある種の行き過ぎではないかとも思う。
ただそれを呼んでもいい。そういう自由と権利が中国と違って確保されているからだ。
私が気になったのは、「これは差別だ」と言う主張と、「すべての食材が福島産なのは本当か。でなければ詐欺ではないのか」と言う主張だ。
まず中国人と指定されて苛立つのは分かる。
が、この場合正しいのは「日本人へ、ならば安全性を証明してみせよ」と主張するのが正しい。
差別と言うのは、社会において平等に受ける利益・権利・認識が、その意識や認識によって減少することを示す。
今回の場合はそれがない。日本人はどこまで行っても日本人だし、中国人はどこまで行っても中国人だ。仮に来日する中国人が教養人ばかりで、「中国人は凄いんだな」と言う認識を日本人の殆どが持てば、こういう看板を出す店側の方に「野卑な言い方をするな」と言う批判が日本国内で発生する。しかし現実としてそうでないのは今ある中国人自身が出している中国人自身のイメージの問題なのだ。
また、「すべての食材が福島産なのは本当か。でなければ詐欺ではないのか」と言うのは完全に論点がずれている。
そもそもが、日本人の私から見れば、中国人の認識が、ちょっと違うんじゃないですか、と言う主張をしますよ、と言うウィットのある批判だったことに、中国人自身が不快感を憶えたと言うことが論点である。もし仮に食材を全量検査してそれが一つでもそうでないものが見つかった時、「ほら、お前の言うことは嘘だったじゃないか」と言いたいのかというとそれは違う。
そういう主張は、福島県産の食材が食べたくて食べたくて仕方がなくて、食材が全量福島県産だと聞いたのでこの店に入ったが、そうでないものを食わされた(偽物を掴まされた)ので怒る、と言うのであれば筋は通る。が今回の主張はそうではない(逆に聞くが、そんなに食べたかった? )。
言うなれば今回のこの2番目の主張は完全なる言いがかりである。
2.日→中の差別
「日本人与狗禁止入内」
(日本人と犬は入ることを禁ず)
丁寧に意味合いを書くと次のようになる。
「日本人は既に人として見ていません。
犬と同じレベルにいるとみなしているし、犬に出す商品もサービスもありません。
よって日本人と犬は入ることを禁止します」
と言うことで日→中と中→日は、それぞれ相手を人間としてみなしているかどうかにおいて、どのような差別があるでしょうか?
400字詰め原稿用紙1枚に書いて提出下さい(10点)。
全開記事と同じ動画を貼りますので、視聴済みの人は視聴不要です。
1.日→中の差別
「中国人へ 当店の食材は全て福島県産です」
丁寧に意味合いを書くと次のようになる。
「当店の食材は全て福島県産です。
中国の方は福島県産の食材は危険だと言う主張をし、その考えの人もいます。
しかし、店長の私は安全だと考えています。
なので、私はそうした中国の人の考え方には反しますが、福島県産の食材使うことをご承知おきください。納得出来ない方は入店して頂かなくともこちらは構わないし、そしてそうした私の店にうっかり入店するトラブルもこの看板で避けられるでしょう」
「私はこういう店を出すための自由と権利を持っています。あなたがたも、そうした店を選ばないようにするための自由と権利を持っています。」
「どこかで〇〇をせねばならない、と言うような一方的な強制を出す体制とは異なるのです。」
「一方において、この表現では直接的に表面上表現していませんが、中国人のそうした『福島県産の食材は危険だ』と言う主張に反抗していることも含意しています。」
「更に奥に隠れた意味として、中国人の『福島県産の食材は危険だ』と言う考え方は行き過ぎなのではないか、と言う疑義も呈しています」
「人として一旦止まって冷静に考えても見て下さい。宜しくお願いします。」
で、こうした含意を受け止めて、中国人が苛立つのも尤もである。
自分の持っている考え方に反抗されている気がするからである。
で、そうした揶揄に対してあれこれ抗議することまでは分かる。
一方において、警察と弁護士を出すのはある種の行き過ぎではないかとも思う。
ただそれを呼んでもいい。そういう自由と権利が中国と違って確保されているからだ。
私が気になったのは、「これは差別だ」と言う主張と、「すべての食材が福島産なのは本当か。でなければ詐欺ではないのか」と言う主張だ。
まず中国人と指定されて苛立つのは分かる。
が、この場合正しいのは「日本人へ、ならば安全性を証明してみせよ」と主張するのが正しい。
差別と言うのは、社会において平等に受ける利益・権利・認識が、その意識や認識によって減少することを示す。
今回の場合はそれがない。日本人はどこまで行っても日本人だし、中国人はどこまで行っても中国人だ。仮に来日する中国人が教養人ばかりで、「中国人は凄いんだな」と言う認識を日本人の殆どが持てば、こういう看板を出す店側の方に「野卑な言い方をするな」と言う批判が日本国内で発生する。しかし現実としてそうでないのは今ある中国人自身が出している中国人自身のイメージの問題なのだ。
また、「すべての食材が福島産なのは本当か。でなければ詐欺ではないのか」と言うのは完全に論点がずれている。
そもそもが、日本人の私から見れば、中国人の認識が、ちょっと違うんじゃないですか、と言う主張をしますよ、と言うウィットのある批判だったことに、中国人自身が不快感を憶えたと言うことが論点である。もし仮に食材を全量検査してそれが一つでもそうでないものが見つかった時、「ほら、お前の言うことは嘘だったじゃないか」と言いたいのかというとそれは違う。
そういう主張は、福島県産の食材が食べたくて食べたくて仕方がなくて、食材が全量福島県産だと聞いたのでこの店に入ったが、そうでないものを食わされた(偽物を掴まされた)ので怒る、と言うのであれば筋は通る。が今回の主張はそうではない(逆に聞くが、そんなに食べたかった? )。
言うなれば今回のこの2番目の主張は完全なる言いがかりである。
2.日→中の差別
「日本人与狗禁止入内」
(日本人と犬は入ることを禁ず)
丁寧に意味合いを書くと次のようになる。
「日本人は既に人として見ていません。
犬と同じレベルにいるとみなしているし、犬に出す商品もサービスもありません。
よって日本人と犬は入ることを禁止します」
と言うことで日→中と中→日は、それぞれ相手を人間としてみなしているかどうかにおいて、どのような差別があるでしょうか?
400字詰め原稿用紙1枚に書いて提出下さい(10点)。