2006年4月から2009年6月まで、私はとあるところで働いていた。
その職場で通常の会話ができなかった人が3人いる。
一人が元々先天性なものか何かでしゃべれなかった人で、通常の会話の出だしが上手くいかない。
「こ、こ、こ、こ、これの要件ですが」とワンフレーズの頭の部分でつっかかる。
(周囲の人たちはみんな「頑張れ、頑張れ」と思っていると言うことだった)。
これはパーキンソン病で最初の一歩が踏み出せない症状に似ている。
ちなみにカラオケは普通に歌えるらしい。
(パーキンソン病の人も、会談模様のある床は普通に歩けるから、これと同じことなんじゃないかと)
一人は当初は普通だったが、2009年になると上記の人のような形に後天的になったケース。
電話に出る時、「は、は、は、は、はい、〇〇です」と最初の「は」を4〜5回繰り返す。
〇〇さんはかなり仕事に真面目で、多量の仕事をまわす人だった。
どう考えても仕事のしすぎでこうなった感じだった。
周囲の人から、〇〇さんを気遣った上で、仕事の分量を減らす意味で「〇〇に電話をまわすな」と言う支持を回していたが、いやそうじゃないだろうと。まず会社が〇〇さんに仕事をさせすぎたのが原因なんだからまず〇〇さんが普通になるまで休養させろよ、と。それでその原因を探ってそういう仕事の配分にならないように労働設計を組み直せよと。
私は〇〇さんが普通に仕事をしていた時から、上記のように変化したところまでお付き合いがあったから、そう変化をしたのを見て、足をもがれながらも懸命に働く働き蟻を思い出した。
ただ、この職場の対応にかなり疑問と違和感がある。足をもがれた蟻に対して、仲間の蟻が「大丈夫? 大丈夫? 無理はすんなよ」と心配するのは美しいかもしれないが、まずその蟻を休養させて足を復活させろよ、と。そして足をもぐ原因になった何某かの要因を特定して、それがない労働環境にしろよと思ったのだが、この両者は両者とも実行されなかった。ただ周囲はひたすらに心配して声をかけてそれで終わるのである。日本の労働環境は腐っている。
最後の一人であるが、それは私である。
何がどうしゃべれなくなったのかというのは過去の記事に記載したが、再掲すると、しゃべれなくなるのにはいくつか種類がある。1つ目はしゃべるべき言葉が正しい文章構造の体裁を持って発せなくなる。2つ目はろれつが回らなくなり「ら行」が発声できなくなる。3つ目は声が極端に小さくなる。私はこれらのことが一気にどかっと来て、最初は自分自身に何が起きたのか分からなくなっていた。と言うより認識能力もそこそこ低下していたので、自分の現況を十全に分析することもできなかった状態だっただろう。一つ一つ点検して、ああ、自分はこういうことができなかったのだ、と言うことが後で徐々に分かっていく形である。
近年これに4つ目があることが分かった。肺活量が従来の七割程度に減っているので、今までワンフレーズで喋れていた文章の文末が発声すべき空気が肺に入っていないので発声できなくなるのである。
そのような職場が、2006年4月から2009年6月までであったことである。
勿論、全員が全員そんな状態になっていた訳ではない。
ただ、そうした症状を起因させるような、過剰に仕事を延々と振るような労働思想が是認され、それで運用していたと言うのがこの職場の特徴であっただろう。
なお、そうした傷病者が出た場合は、基本的に人間は皆優しいので心配こそしてくれるが、組織体は何もしないという冷酷な組織運用をしていたと言うのも事実である。
その職場で通常の会話ができなかった人が3人いる。
一人が元々先天性なものか何かでしゃべれなかった人で、通常の会話の出だしが上手くいかない。
「こ、こ、こ、こ、これの要件ですが」とワンフレーズの頭の部分でつっかかる。
(周囲の人たちはみんな「頑張れ、頑張れ」と思っていると言うことだった)。
これはパーキンソン病で最初の一歩が踏み出せない症状に似ている。
ちなみにカラオケは普通に歌えるらしい。
(パーキンソン病の人も、会談模様のある床は普通に歩けるから、これと同じことなんじゃないかと)
一人は当初は普通だったが、2009年になると上記の人のような形に後天的になったケース。
電話に出る時、「は、は、は、は、はい、〇〇です」と最初の「は」を4〜5回繰り返す。
〇〇さんはかなり仕事に真面目で、多量の仕事をまわす人だった。
どう考えても仕事のしすぎでこうなった感じだった。
周囲の人から、〇〇さんを気遣った上で、仕事の分量を減らす意味で「〇〇に電話をまわすな」と言う支持を回していたが、いやそうじゃないだろうと。まず会社が〇〇さんに仕事をさせすぎたのが原因なんだからまず〇〇さんが普通になるまで休養させろよ、と。それでその原因を探ってそういう仕事の配分にならないように労働設計を組み直せよと。
私は〇〇さんが普通に仕事をしていた時から、上記のように変化したところまでお付き合いがあったから、そう変化をしたのを見て、足をもがれながらも懸命に働く働き蟻を思い出した。
ただ、この職場の対応にかなり疑問と違和感がある。足をもがれた蟻に対して、仲間の蟻が「大丈夫? 大丈夫? 無理はすんなよ」と心配するのは美しいかもしれないが、まずその蟻を休養させて足を復活させろよ、と。そして足をもぐ原因になった何某かの要因を特定して、それがない労働環境にしろよと思ったのだが、この両者は両者とも実行されなかった。ただ周囲はひたすらに心配して声をかけてそれで終わるのである。日本の労働環境は腐っている。
最後の一人であるが、それは私である。
何がどうしゃべれなくなったのかというのは過去の記事に記載したが、再掲すると、しゃべれなくなるのにはいくつか種類がある。1つ目はしゃべるべき言葉が正しい文章構造の体裁を持って発せなくなる。2つ目はろれつが回らなくなり「ら行」が発声できなくなる。3つ目は声が極端に小さくなる。私はこれらのことが一気にどかっと来て、最初は自分自身に何が起きたのか分からなくなっていた。と言うより認識能力もそこそこ低下していたので、自分の現況を十全に分析することもできなかった状態だっただろう。一つ一つ点検して、ああ、自分はこういうことができなかったのだ、と言うことが後で徐々に分かっていく形である。
近年これに4つ目があることが分かった。肺活量が従来の七割程度に減っているので、今までワンフレーズで喋れていた文章の文末が発声すべき空気が肺に入っていないので発声できなくなるのである。
そのような職場が、2006年4月から2009年6月までであったことである。
勿論、全員が全員そんな状態になっていた訳ではない。
ただ、そうした症状を起因させるような、過剰に仕事を延々と振るような労働思想が是認され、それで運用していたと言うのがこの職場の特徴であっただろう。
なお、そうした傷病者が出た場合は、基本的に人間は皆優しいので心配こそしてくれるが、組織体は何もしないという冷酷な組織運用をしていたと言うのも事実である。