一つのテーマに絞りきれなかったが掲載。
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どんぐりこ - 海外の反応 海外「英国とは大違い!」日本で料理の愛に涙した英国人たちの体験談に海外が興味津々
http://dng65.com/blog-entry-7849.html
・西洋人はラーメンと寿司しか知らない。
・お好み焼きは普通だね。実際食べるとふーん→取り消せよ。連れてった人はみんな食戟のソーマを体験してるよ。
・でもB級でしょ。松屋がいいよ。松脂お好み焼きがあっても食べない。牛丼と豚丼がB級グルメのキングだから。
・でも夏祭りにはないでしょ。→近くの松屋を探す。
・外国人が知るべき日本食ってなんだろう。つけ麺はもう言ったけど。
・日本は美味しい料理の基準を完全に変えてくれた。英国の料理に比べたら日本はすべてがS級グルメだよ。
・ツイッターで日本とスイスはなぜうべての基準が高いのかって記事を見た。UKだと100ドルだしてもゴミが出てくる。日本だとまず無いし、高いものを頼めば本当に美味しいものが出てくる。松屋でも美味しい。
・海外旅行する日本人はマジ悲惨だろうね。日本の好きなものを聞くと、料理は必ずトップ3に入ってる。
・あと日本は料理が美味しいって言ったときに、日本食のことだと思われてるけど、あらゆる料理のことだから。
・外国料理でもハズレがない。イタリア料理とかも日本流だけど美味しい。ニューヨークピザみたいな感じ。本格的じゃないかもしれないけど、マジ美味しいから関係ない。
・インド料理もすごく美味しかった。お腹も壊したし。壊さないインドカレーは美味しいカレーじゃないね。
・最後にうなぎを出したい。すごく高いけど価値がある。夏料理でシンプルだけど満足感がある。
・上手く言えないけど、うなぎは魚とお肉の中間を食べてるみたい。
・高級店に行って60ドル払ったけど、アァーって感じだった。夏料理のキングだから絶対おすすめ。
・とにかく日本ではハズレはない。ポジティブか人生が変わるほどのもののどちらかだけ。
・日本で食事をすると泣きたくなってくるんだよね。誰かの思いやりがひしひしと伝わってくる。
・俺はマジでつけ麺で泣きかけたよ。
・フルーツもそう。すごく高いけど、食べると手間暇が伝わってくる。誇りを持って作ってるから。
・シェフに会って握手したくなるのは日本だけだよ。
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と言う点での
>・日本で食事をすると泣きたくなってくるんだよね。誰かの思いやりがひしひしと伝わってくる。
>・フルーツもそう。すごく高いけど、食べると手間暇が伝わってくる。誇りを持って作ってるから。
の部分。
これは日本人や日本社会の特性として「誰かのために」と言う、普通であれば歯がガタガタ浮いてあごごと飛んで行きそうなセリフを結構マジにやる習慣があり(と言うか私もそうした部類の人間であったはずだったのだが、過去に企業労働をした際に「これだけやったのに全然認められない」とかなり裏切られたような感じになって潰れて、そこから現実を見て無気力になって、何かに奉仕しよう、企業に貢献しようという気力とモチベーションがゼロになった)、その結果が料理などのサービス業に現れる。
それで誰かが助かったり良くなったり、あるいはいい気分になってもらったりすれば良く、その対価として報酬を貰う。
これは資本主義以前の中世〜近代に見られた欧州ギルドなどの職人集団でその社会性が見られたはずだ。
これが資本主義の行き過ぎた発展に伴い、金銭と契約とビジネスライクな交渉へと変節していく。
日本ではそれが過渡期にある。完全なビジネスライクの交渉シーンもあれば、旧知の店の顔を立てるために非合理な選択をし、人情を大切にする面まで様々にある。
イギリス人も元々こういうものに感動するのであれば、そういう感性が備わっており、そしてそうした物質加工や食品加工での奉仕と感謝、人付き合いと人情のDNAが刻み込まれているはずであり、近代からの資本主義の発展と製造とビジネスの現場がそれを取り去ってしまったのであれば、それを再び再現することは可能なはずなのである。
無論、日本が何が何でも良いと言う訳ではない。日本には取り除いて次に進むべき旧態依然とした第三世界の社会構成がまだ残されていることは有名だ。FAXが残っており、印鑑の過剰な運用があり、役所手続きの完全電子化・ネット化が済んでいない。
が、昔のところを何が何でも残しているというところには、こうしたデメリットの他に意外なメリットもある。
日本に見るべきなのは人間とはそもそも何であったのかと言う再発見なのだ。
それはアフリカやインド、東南アジアや南米に見ることができるだろうが、日本でもその地域社会と行動体系の摂取により、それが体感できる安全な国と言う意味で意義があるのである。
資本主義とは何か?
それは、人間性や人情を取り払った高度社会を築くための契約システムなのであろうが、社会構成というものは薬品と同じく、メリット(ベネフィット)もあればデメリット(リスク)もある。
資本主義社会は資本集約と科学技術への投資という両輪によって正のスパイラルを描いてきたが、一方において人間関係も本来あるべき幸せのラインから剥奪した罪がある。
大量生産や金儲けなどによって、こうした味の感動、サービスの感動というものは得られない。
無論日本が全てそうした奉仕で成り立っている訳ではなく、旧来の日本で美辞麗句とされた滅私奉公なる言葉は、これは日本社会では搾取構造にかなり使用される例があって私個人としては嫌いな言葉の部類に分類している(これが通用したのは武家社会から昭和後期までだろう)。
ただ、資本主義による人間性の剥離が日本には行われていない部分もあるので、それを接して自分の血肉とするのが日本への旅行をする目的の一つになるだろう。
ただ、これが日本だけにあるというわけではない。
アメリカでは正義を、イギリスでは経験則に基づく理知を、フランスでは理論に基づく理知を、ドイツでは真面目さと哲学を、ロシアでは人間性に基づく哲学をそれぞれに得られるのではなかろうか、と言うのが私の勝手な意見である。
いずれにせよ、旅行によって自分が文化的衝撃を受けるというのは悪いことではない。
それは自分の引き出しに新たな考えが入るということによって、武器が一つ増え、観点が一つ増え、そして困難を攻略したり、あるいは迂回して衝突を避けたりする知恵が一つつくのかもしれない。
そうした自分の知体系的理知の筋肉を増強するのは旅行が一番手っ取り早い手段になるのではないのだろうか。
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どんぐりこ - 海外の反応 海外「英国とは大違い!」日本で料理の愛に涙した英国人たちの体験談に海外が興味津々
http://dng65.com/blog-entry-7849.html
・西洋人はラーメンと寿司しか知らない。
・お好み焼きは普通だね。実際食べるとふーん→取り消せよ。連れてった人はみんな食戟のソーマを体験してるよ。
・でもB級でしょ。松屋がいいよ。松脂お好み焼きがあっても食べない。牛丼と豚丼がB級グルメのキングだから。
・でも夏祭りにはないでしょ。→近くの松屋を探す。
・外国人が知るべき日本食ってなんだろう。つけ麺はもう言ったけど。
・日本は美味しい料理の基準を完全に変えてくれた。英国の料理に比べたら日本はすべてがS級グルメだよ。
・ツイッターで日本とスイスはなぜうべての基準が高いのかって記事を見た。UKだと100ドルだしてもゴミが出てくる。日本だとまず無いし、高いものを頼めば本当に美味しいものが出てくる。松屋でも美味しい。
・海外旅行する日本人はマジ悲惨だろうね。日本の好きなものを聞くと、料理は必ずトップ3に入ってる。
・あと日本は料理が美味しいって言ったときに、日本食のことだと思われてるけど、あらゆる料理のことだから。
・外国料理でもハズレがない。イタリア料理とかも日本流だけど美味しい。ニューヨークピザみたいな感じ。本格的じゃないかもしれないけど、マジ美味しいから関係ない。
・インド料理もすごく美味しかった。お腹も壊したし。壊さないインドカレーは美味しいカレーじゃないね。
・最後にうなぎを出したい。すごく高いけど価値がある。夏料理でシンプルだけど満足感がある。
・上手く言えないけど、うなぎは魚とお肉の中間を食べてるみたい。
・高級店に行って60ドル払ったけど、アァーって感じだった。夏料理のキングだから絶対おすすめ。
・とにかく日本ではハズレはない。ポジティブか人生が変わるほどのもののどちらかだけ。
・日本で食事をすると泣きたくなってくるんだよね。誰かの思いやりがひしひしと伝わってくる。
・俺はマジでつけ麺で泣きかけたよ。
・フルーツもそう。すごく高いけど、食べると手間暇が伝わってくる。誇りを持って作ってるから。
・シェフに会って握手したくなるのは日本だけだよ。
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と言う点での
>・日本で食事をすると泣きたくなってくるんだよね。誰かの思いやりがひしひしと伝わってくる。
>・フルーツもそう。すごく高いけど、食べると手間暇が伝わってくる。誇りを持って作ってるから。
の部分。
これは日本人や日本社会の特性として「誰かのために」と言う、普通であれば歯がガタガタ浮いてあごごと飛んで行きそうなセリフを結構マジにやる習慣があり(と言うか私もそうした部類の人間であったはずだったのだが、過去に企業労働をした際に「これだけやったのに全然認められない」とかなり裏切られたような感じになって潰れて、そこから現実を見て無気力になって、何かに奉仕しよう、企業に貢献しようという気力とモチベーションがゼロになった)、その結果が料理などのサービス業に現れる。
それで誰かが助かったり良くなったり、あるいはいい気分になってもらったりすれば良く、その対価として報酬を貰う。
これは資本主義以前の中世〜近代に見られた欧州ギルドなどの職人集団でその社会性が見られたはずだ。
これが資本主義の行き過ぎた発展に伴い、金銭と契約とビジネスライクな交渉へと変節していく。
日本ではそれが過渡期にある。完全なビジネスライクの交渉シーンもあれば、旧知の店の顔を立てるために非合理な選択をし、人情を大切にする面まで様々にある。
イギリス人も元々こういうものに感動するのであれば、そういう感性が備わっており、そしてそうした物質加工や食品加工での奉仕と感謝、人付き合いと人情のDNAが刻み込まれているはずであり、近代からの資本主義の発展と製造とビジネスの現場がそれを取り去ってしまったのであれば、それを再び再現することは可能なはずなのである。
無論、日本が何が何でも良いと言う訳ではない。日本には取り除いて次に進むべき旧態依然とした第三世界の社会構成がまだ残されていることは有名だ。FAXが残っており、印鑑の過剰な運用があり、役所手続きの完全電子化・ネット化が済んでいない。
が、昔のところを何が何でも残しているというところには、こうしたデメリットの他に意外なメリットもある。
日本に見るべきなのは人間とはそもそも何であったのかと言う再発見なのだ。
それはアフリカやインド、東南アジアや南米に見ることができるだろうが、日本でもその地域社会と行動体系の摂取により、それが体感できる安全な国と言う意味で意義があるのである。
資本主義とは何か?
それは、人間性や人情を取り払った高度社会を築くための契約システムなのであろうが、社会構成というものは薬品と同じく、メリット(ベネフィット)もあればデメリット(リスク)もある。
資本主義社会は資本集約と科学技術への投資という両輪によって正のスパイラルを描いてきたが、一方において人間関係も本来あるべき幸せのラインから剥奪した罪がある。
大量生産や金儲けなどによって、こうした味の感動、サービスの感動というものは得られない。
無論日本が全てそうした奉仕で成り立っている訳ではなく、旧来の日本で美辞麗句とされた滅私奉公なる言葉は、これは日本社会では搾取構造にかなり使用される例があって私個人としては嫌いな言葉の部類に分類している(これが通用したのは武家社会から昭和後期までだろう)。
ただ、資本主義による人間性の剥離が日本には行われていない部分もあるので、それを接して自分の血肉とするのが日本への旅行をする目的の一つになるだろう。
ただ、これが日本だけにあるというわけではない。
アメリカでは正義を、イギリスでは経験則に基づく理知を、フランスでは理論に基づく理知を、ドイツでは真面目さと哲学を、ロシアでは人間性に基づく哲学をそれぞれに得られるのではなかろうか、と言うのが私の勝手な意見である。
いずれにせよ、旅行によって自分が文化的衝撃を受けるというのは悪いことではない。
それは自分の引き出しに新たな考えが入るということによって、武器が一つ増え、観点が一つ増え、そして困難を攻略したり、あるいは迂回して衝突を避けたりする知恵が一つつくのかもしれない。
そうした自分の知体系的理知の筋肉を増強するのは旅行が一番手っ取り早い手段になるのではないのだろうか。