大人になって、私はひねくれ者になった。
この言葉の裏には何が潜むのだろう、この言外の意には何があるのだろう・・・
そう思っては類推し、そしてある時は当たったが、その他の多くはハズレていた。
そんな中でも本やネットの記事を大量に読むに当たって、「ああ、あの時のことはこういうことを言いたかったんだな」と言う裏舞台や背景が見えてくる。
さて、そんな中、西城秀樹さんの「走れ正直者」と言う歌がある。
作詞はちびまる子ちゃんで有名なさくらももこさん。両名とも今年にお亡くなりになった。
この軽いフレーズで軽く歌える歌は、なんとなく心の中に残っていたものの、さて、私の心のひねくれ色眼鏡のスモークをMAXにしてこの歌詞を見るとどうなるであろうか。
まず、さくらももこさんのアンニュイでニヒルな冷笑がこの背後に浮かぶ。
正直者だって? いや実態は単に思慮の足りないバカなだけでしょう。
100円ごときを浮かれ気分で交番に届ける、それが正しい、そう心から信じて、そしてそれ以外のなにものも推察の対象に入れない。そんな人が近所でもそういう風に評判であるのだ。
そんな彼を皆、心の中ではそんな風に思っていても口には出さない。人である以上、人を蔑視する言葉を口にするのは品がないからだ。
せいぜいそれを呼称したところで「正直者」となる。
そして歌の中では走る速さを自慢し、それを客観的に突き放して「私とまあ関係ないところで頑張るといいよ」と言う冷たさ、しかし、それと同時に、冷笑を贈るその「正直者」を社会に許容し、「人間、誰しも時折は、あんな風にバカになったっていいのさ」と愛のあるメッセージを入れ込む。
そう、この歌詞はぎりぎりのところで揶揄を入れた「バカ」に対する蔑視と愛情の歌なのだ。