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バンクシー絵画、1億5千万円で落札 直後にシュレッダーで「自滅」
2018.10.07
https://www.cnn.co.jp/style/arts/35126661.html
英国の覆面アーティスト、バンクシーの絵画が5日、競売大手サザビーズのオークションで落札された直後に額縁の仕掛けで破壊された。サザビーズの幹部は報道発表で、「我々はバンクシーにまんまとやられたようだ」と述べた。
作品は、ハート型の赤い風船に手を伸ばす少女を描いたバンクシーの代表的なモチーフ。ロンドンでオークションにかけられ、140万ドル(約1億5000万円)で落札された。
ところがその直後、額縁に仕掛けられていたシュレッダーが作動して、作品を細かく切り刻んでしまった。
バンクシーはインスタグラムに、シュレッダーにかけられた絵をぼう然と見つめる人々の写真を投稿。オークションの掛け声と「消えてなくなった」の意味をかけたとみられる「Going, going, Gone」というコメントを書き込んだ。
シュレッダーがどんな仕組みで作動したのかは明らかでないが、遠隔操作で動き出した可能性もある。
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さて、この価格が上がるという観測があるのだが、それはなぜであるか。
少し遠回りとなるが、バンクシーの意図から地道に紐解いていくことでその解説を加えたい。
まず、芸術の定義とは何かということをおさらいすると、このブログでの定義としては、「思想の発露」もしくは「思想の伝達」のことである。単なる美術品ではなく、そこの作品に含まれる礼賛や批判、インスピレーションや葛藤、煩悶、反駁、社会的躍動や冷酷さなどを表現し、伝えるために存在するのであった。
(無論、精神的枠組みを基にするため、これらを否定するメッセージも発したりする)。
バンクシーの意図とは、「今、我々が受けている衝撃そのもの」のことであるが、しかしそれを改めて言葉にするとどういうことになるのだろう。
「こうではないか」という私個人の推測を、私個人の意見を勝手に付け加えた上でここに記載しておくことにする。
元々バンクシーは芸術作品が金銭で売買されることを良しとしなかったように見える。
芸術作品とは人の手で作り出したものであり、本来であれば人の文化的生活を充足せしめたり、あるいは擬似的な人の暖かさや冷酷さ、世界の温情や残酷、怜悧や知性、インスピレーションを与えるために存在すると言う理由が第一義なのであり、資産家の税金逃れのための都合の良いツール、あるいは権威付けのための資産などでは決して無かったはずなのである。
また、芸術作品とは人の手で作り出したならば、それは擬似的な人の思いが籠もっており、それをあくまで大切にすべきなのである。それを無視して売買を行うなど、人身売買に似た人間にあらざる行為ではないか。
現代社会はあたかも理性的に動いているように見えて、実は金銭のやり取りでしか動いていない、グロテスクなエゴイズムの権化だ。しかもそれを発露しながら、さも「私は理性的です」だなんて顔で、街を闊歩していやがる。
そしてバンクシーは、そのように動いている野卑でエゴ満載のシステムを、ある種の抵抗でその幕を閉じることにした。
作品をサザビーズに出品後(額縁と一緒に出品)、その落札のタイミングを狙ってシュレッダーを発動させた。
シュレッダーにかけられたのは、「赤い風船と女の子」の内、女の子の部分だけである。
金銭で買われるくらいであるならば、自らがいなくなってしまおうという、人間の理性と感性の叫びである。
しかしバンクシーは誤算を犯した。
現代芸術とは、「思想の発露」もしくは「思想の伝達」のことであって、「その作品の美術性」ではない。
元からあるそのバンクシーの絵画の美術性に、「競売に対する批判」と言うメッセージ、言わば付加価値をつけてしまったが為に、その作品の価値が、金銭的な価格として上積み付与されてしまう可能性が出てきてしまったのである。
バンクシー絵画、1億5千万円で落札 直後にシュレッダーで「自滅」
2018.10.07
https://www.cnn.co.jp/style/arts/35126661.html
英国の覆面アーティスト、バンクシーの絵画が5日、競売大手サザビーズのオークションで落札された直後に額縁の仕掛けで破壊された。サザビーズの幹部は報道発表で、「我々はバンクシーにまんまとやられたようだ」と述べた。
作品は、ハート型の赤い風船に手を伸ばす少女を描いたバンクシーの代表的なモチーフ。ロンドンでオークションにかけられ、140万ドル(約1億5000万円)で落札された。
ところがその直後、額縁に仕掛けられていたシュレッダーが作動して、作品を細かく切り刻んでしまった。
バンクシーはインスタグラムに、シュレッダーにかけられた絵をぼう然と見つめる人々の写真を投稿。オークションの掛け声と「消えてなくなった」の意味をかけたとみられる「Going, going, Gone」というコメントを書き込んだ。
シュレッダーがどんな仕組みで作動したのかは明らかでないが、遠隔操作で動き出した可能性もある。
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さて、この価格が上がるという観測があるのだが、それはなぜであるか。
少し遠回りとなるが、バンクシーの意図から地道に紐解いていくことでその解説を加えたい。
まず、芸術の定義とは何かということをおさらいすると、このブログでの定義としては、「思想の発露」もしくは「思想の伝達」のことである。単なる美術品ではなく、そこの作品に含まれる礼賛や批判、インスピレーションや葛藤、煩悶、反駁、社会的躍動や冷酷さなどを表現し、伝えるために存在するのであった。
(無論、精神的枠組みを基にするため、これらを否定するメッセージも発したりする)。
バンクシーの意図とは、「今、我々が受けている衝撃そのもの」のことであるが、しかしそれを改めて言葉にするとどういうことになるのだろう。
「こうではないか」という私個人の推測を、私個人の意見を勝手に付け加えた上でここに記載しておくことにする。
元々バンクシーは芸術作品が金銭で売買されることを良しとしなかったように見える。
芸術作品とは人の手で作り出したものであり、本来であれば人の文化的生活を充足せしめたり、あるいは擬似的な人の暖かさや冷酷さ、世界の温情や残酷、怜悧や知性、インスピレーションを与えるために存在すると言う理由が第一義なのであり、資産家の税金逃れのための都合の良いツール、あるいは権威付けのための資産などでは決して無かったはずなのである。
また、芸術作品とは人の手で作り出したならば、それは擬似的な人の思いが籠もっており、それをあくまで大切にすべきなのである。それを無視して売買を行うなど、人身売買に似た人間にあらざる行為ではないか。
現代社会はあたかも理性的に動いているように見えて、実は金銭のやり取りでしか動いていない、グロテスクなエゴイズムの権化だ。しかもそれを発露しながら、さも「私は理性的です」だなんて顔で、街を闊歩していやがる。
そしてバンクシーは、そのように動いている野卑でエゴ満載のシステムを、ある種の抵抗でその幕を閉じることにした。
作品をサザビーズに出品後(額縁と一緒に出品)、その落札のタイミングを狙ってシュレッダーを発動させた。
シュレッダーにかけられたのは、「赤い風船と女の子」の内、女の子の部分だけである。
金銭で買われるくらいであるならば、自らがいなくなってしまおうという、人間の理性と感性の叫びである。
しかしバンクシーは誤算を犯した。
現代芸術とは、「思想の発露」もしくは「思想の伝達」のことであって、「その作品の美術性」ではない。
元からあるそのバンクシーの絵画の美術性に、「競売に対する批判」と言うメッセージ、言わば付加価値をつけてしまったが為に、その作品の価値が、金銭的な価格として上積み付与されてしまう可能性が出てきてしまったのである。