とめどもないことをつらつらと

日々の雑感などを書いて行こうと思います。
草稿に近く、人に読まれる事を前提としていません。
引用OKす。

私とスケジュール帳

2023-08-12 00:48:18 | 思い出
今では無くてはならなくなった電子端末でのスケジュール帳だが、私の幼少期からの変遷を考えると、それが常にそうであったかと言うとそうでもない。
それは自己が必要とするかの認識であったり、あるいはその媒体がどうであるかの物的な変遷であったりと様々だ。

幼少期の私はスケジュール帳を不要のものとして認識していた。
と言うのも何となくの忌避感があったのである。
これを現在の私が代打で言語化すれば次のようなことになる。
スケジュールをするということは、社会的にスケジュールされるということと同義で、管理されること、支配される意味合いと同じである。
人は本来、誰に支配されることもなく、管理されることもなく、奔放に自が思うままに生きていくと言うのが本来の人間の姿であるべきはずで、いつ誰に会うと言うような足かせは、自己を自由な獣からみじめな家畜に陥れる柵なのではないか、それに自ら入るのはおかしいことではないのか、と言ったところである。
一方において、その柵の中に進んで入らないと生きてはいけないというのも人間である。ここにジレンマがある。みじめな家畜として繁栄するか、孤高の野生として貧して行くのか。

なぜか小学生の時分においては、女子達はおおよそ自分のスケジュール帳(紙)を持っていて、まあ女子はそういうの好きなんだろうな、と言う感じで眺めていた。
逆に男子は絶対に持たなかった。明示的に言語化は誰もしていなかったが、クラスでの雰囲気をあえて私が言えば、もし男がスケジュール帳を持っていれば、それは女々しい人間で、あるいは必要もないのに大人の真似をしているちょっと変なやつ、と言う扱いだったように思う。

2006年4月。スマホはまだ普及していなかったが、PDA端末はあったが、スケジュール帳は相変わらず紙だった。
そこで衝撃の発言が飛び出す。広島出身のSさんが「スケジュール管理はいずれ電子化されてPDA端末に統合される」と言う未来の予言を行ったのである。
結果、PDAはなくなり、スマホで皆管理するようになったが、しかしこの未来の予言「スケジュール管理はいずれ電子化される」と言うのは当時の私にとっては大衝撃発言だった。

なぜ壊れたり電源が取れなかったらわからなくなるものに、そうした情報を託すのだ? 
しかし効率化を考えればそうなるかもしれないが、大胆すぎる予測だろう、と。

そして今に至る。

思えば、人間は元来スケジュールに縛られるべきではない、昔からそうであったろうに、と言うのは半分当たっていて半分違っている。

江戸時代の人間は明確な時間を意識することはなく、おおよそが時間にルーズであった。
一方ローマの時代から、王やそれに準ずる位置の人間はスケジュール管理に追われていただろう。



王さまなくした時間
https://www.ehonnavi.net/ehon00.asp?no=29829



109:本当にあった怖い名無し:2013/04/14(日) 21:09:48.43 ID:jKi+zgww0

王さまなくした時間1

今アニメもやってる児童向けのぼくは王さまシリーズの一篇です
Ⅱシリーズなので初期のしか知らない人は知らないと思う

やることなすこと時間に縛られた王さま
起きる時間とか勉強の時間とかなにもかもがタイムスケジュールで
押さえられていて色々と窮屈

それがある日国中の人間が重い風邪をひき
一人だけ無事な王さまは自由な時間が出来る

普段は入れない時計塔に入ってみるが
何故か階段をいくら上がっても終わりがなく
更に時計が見当たらず時間が分からない
不安がる王さまに不気味な血文字で描かれたメッセージが届く
「しんぱいするな時をまて」



110:本当にあった怖い名無し:2013/04/14(日) 21:17:25.89 ID:jKi+zgww0
王さまなくした時間2

時計塔をさまよう王さまは角の生えたその少女「ピ」と出会う
「ピ」は王さまを助けに来たという
王さまは時間時間時間、と時間に縛られておりいつも可哀想、
その元凶である悪魔イビリシを倒しましょうと言う

王さまが見つけた血文字もイビリシが誰かを怪我させたのかもしれない
「ピ」は多少意味ありげな発言をしつつ王さまを
不思議な世界に誘導する

そこでは羽のない生き物だけが空を飛べる世界
何故か風邪で寝込んでいるはずの大臣など周りの人たちが
飛べない羽をつけてなんだか怠け者になっている



111:本当にあった怖い名無し:2013/04/14(日) 21:25:12.28 ID:jKi+zgww0
王さまなくした時間3

そこでは「ピ」が人間以外の動物から何か急かされており
「ピ」は大臣らを治療と言い注射をしたり温泉に入れたりしている
王さまはどれくらいで治るのかと聞くが
「ピ」はあと一時間くらいかな…?と答え
そこで悪魔イビリシがやってくる

イビリシは「ピ」には時間が存在しないため時間について
確かなことを口にするのはおかしい、何か騙されてるぞと王さまに言う
イビリシと「ピ」は喧嘩を始め「ピ」がイビリシのしっぽを
切り落としたことが分かる

そのとき動物たちが「ピ」に早く人間を食わせろと騒ぐ
イビリシの邪魔のせいで仕事を邪魔されたと「ピ」は怒る
王さまは「ピ」を疑い始める



113:本当にあった怖い名無し:2013/04/14(日) 21:37:37.21 ID:jKi+zgww0
王さまなくした時間4

「ピ」は王さまを時間でしばりつけいじめるイビリシを責めるが
時間は正確でなければいけない、と冷静なイビリシと言い争う

「ピ」は王さまをいじめる周りの人間は動物に食わせてやればいいと叫び
「わたしは王さまが大好き! 王さまのためならなんでもするわ!」
イビリシは王さまを誘惑する鬼と罵り互いに一歩も譲らない

王さまは二人の喧嘩を止めとにかく今夜は頭を冷やすように言う
イビリシが言うには
鬼も悪魔も嫌われ者の同類だけど
「ピ」は王さまをどこからかずっと眺めていて
王さまを好きになり、王さまを縛りつける時間を消し去ろうとしていた
全ては「ピ」が黒幕であり病気を広め
王さまにだけ治療薬を与えていた

王さまはイビリシと共に「ピ」の治療薬を盗み大臣らを治療し
元の世界に戻していく

「ピ」は発明の才能が有り特殊な薬を作り
イビリシを完全に殺そうとしていたが
時間を操るイビリシは不意打ちでなければほぼ無敵



114:本当にあった怖い名無し:2013/04/14(日) 21:45:21.75 ID:jKi+zgww0
王さまなくした時間5

「ピ」は時間を省略され数時間が飛んでしまい油断していた
イビリシは王さまに囁く
「さぁ、仲間を殺そうとした悪い鬼をやっつけろ!」
威勢よく王さまを突き動かすイビリシ
「ピ」の弱点は角
王さまがイビリシに言われ角をつかむとあっさり取れてしまう

「ピ」は目を見開いて王さまを見つめたくさんの涙を流す
涙で池が出来る位「ピ」は泣いて王さまに別れを告げる
「さよなら」
「……でも、王さま好きよ」と池に吸い込まれ消えてしまう
「ピ」は本当に王さまが好きなだけだった
時間がない存在だからこそ王さまを時間から解放しようとした

そしてすべては元通りになりイビリシが時間を元に戻し
王さまにとっては何も変わらない元の暮らしが戻る
だけど「ピ」のことはいつまでも王さまの心の中に残っていた


と言うことで、恐らく人間社会はこれのジレンマを元々持つのだ。

人間は社会と組織体制、そして時間調整による人の結合と、知識修得と融合・発展において力を発揮してきた。

このガタピシ車は、あるところで力強い走りを見せるが、一方においてそれが故に自分自身の身を焼き焦がし苦しめる火車でもある。

束縛と引き換えに高度運用の社会を得る、それが我々だ。
それが出来なければ虢略に起臥して野生の虎になるしかない。

一方において、その船舶を用いて利得をおさむることもできる。
無論、自己、そして他者においても、苛烈な労働は強いてはいけない。
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日常生活に怯え、壊れていた私

2023-07-30 18:19:06 | 思い出
思い出したのでメモ。
私が食べるご飯をどうもネズミが事前に食べていた跡があったので、それを周囲に伝えたら食べなくていいと言うことがすんなりと通った話。

何を言っているんだ? と思うところがあるかもしれないがこれを書いていく。

私の家では、ご飯が余った時は、茶碗か他の容器に盛り付けてラップをかけてそれで冷蔵庫に入れるか、寒い日であればそのままテーブルに出しておくと言う習慣があった。

それでとある日、テーブルの上に出されていたラップがけの私のご飯茶碗を見ると、どうも茶碗に黒ずんだ跡があり、それでラップも少し空いていたので、これはネズミが食ったのだ、と判断した。

と、ここまではいい。問題はこの後である。
普通の感覚であれば、「どうもネズミが食ったらしいから、このご飯を捨てていいか」と言う旨を周囲に伝え、それでそのまま廃棄と言うことになっただろう。
実際私もそうしたし、その主張は通ったが、その内面は別のことで葛藤をしていたり、あるいは思考を放棄していたりした。

なぜかというと、それを伝えた先の母がヒステリーを起こし、「そんなこと関係ないから食べなさい! 」と激が飛ぶ可能性があったためであり、それに怯えた。
あるいは私がその激の後にそのまま食わされて腹を壊すことも想定した。
一方、私の自己認識は崩壊の一途を辿っており、と言うよりもう既に崩壊していたので、私がどんな行動をしようが、自分自身もう構わないとそんな生育環境に自暴自棄になっていたこともあった。
なので、上記の激が飛んでも元々世界と言うものは崩壊しているのだから何をやってももう構わんでしょう、と言う具合に、「どうもネズミが食ったらしいから、このご飯を捨てていいか」と言う旨を周囲に伝えた。

そうしたら母はあっさり「やだ、本当だ、ん、そうね、捨てちゃいましょう」とそのまま私の主張を受け入れ、その分のご飯は廃棄となった。

私は何に怯え、そしてどうして壊れていたのか。
その理由が今となって明らかになっているが、しかし釈然としない。
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キッチンタイマーの使い方が分からなかった日

2023-07-21 01:59:53 | 思い出
私は過去に、キッチンタイマーの使い方が分からなかった時期がある。


その昔、自分で料理をするようになってしばらくして、キッチンタイマーを購入した。

数字を押してスタートボタンを押せばその分数のカウントダウンが始まるのは分かったが、どうすれば途中でストップできるのか、どうすれば誤入力をした数字を取り消せるのかが分からなかった。

本来こういうものは幅広い層に使用されるので、使い方は単純明快で、試しにボタンをピッピピッピやってれば感覚的に分かるようになっている。

が、私はそれをできなかったし、なおかつそれをやっても分からなかった。
まず試し打ちができなかった理由だが、それをやっている時は一人であったのにも関わらず、勝手になにかをやったら誰かから怒られるかもしれないという恐怖が本当に存在し、かつ、それで失敗したら更に怒鳴られると言うありもしない恐怖に怯えていた。
しかも当時は大人になってからもういい年齢の時期である。ありえない。
これは私の生育環境と、学校卒業後に入った会社がひどいブラックだったので、こういう内心においてびくびくする人格ができあがってしまったのだと思われる。

先日ツイッターで、「ブラック企業に勤めているが、『このコーヒーの銘柄を買ったら上司に怒られるのではないか』という不安のために、何も買えなくなってしまった」と言う旨のツイートがあったように思ったが、私はこの人の気持ちがよく分かる。

アメリカでは、何事にもトライせよという人格陶冶の教育がなされるようだが、日本に住んでいた私の経験ではこの逆であって「余計なことはするな」と言うのを叩き込まれた(いや高等教育になってくるにつれてそうではなくなってはいくが・・・)。

なので、ものごとの内在的原理を、外部に接することによってのトライ&エラーで知ろうともしなかった。
このため、自己内で延々と考え続ける自分が形成された訳でもあるが・・・


また、感覚的に分かる操作感については、それを内部ロジックまで把握しようとしていた悪癖があったことも確かだ。トライ&エラーができないのに、内部仕様を知りたいと思うのである。
これは一人の人間の心理内に課されている綱引きだ。

こうしたこともあって、こういう要因が重なり、キッチンタイマーの使い方が分からなかった。

今ではその呪縛が解かれつつあるので、キッチンタイマーは普通に使いこなせている。

最近、キッチンタイマーを普通に使えるのに自分で気づいて、「そう言えば昔、キッチンタイマーを使えなかった時期があったな」と思い出したのでカキコ。
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女子児童の性格のサディズム

2023-05-28 13:15:41 | 思い出
普通の人間が「女の子が大人しくて優しいんだな」と言う基底となるような基準的認識は誰しもが思うものかもしれない。
しかし現実はそうではない。
彼女らは正義や情熱を持っている。判断基準となる芯がある。根性がある。
更に踏み込んで言えば、一例において人を毒薬に漬けて弱らせると言うような、真の意味において悪魔的な行動を発露するときもある。

この場合、女の子と言うのは我々が思っている以上において残酷で冷酷であり、それでいてかつサディストだ。
更にタチの悪いことには、そうした自らの内に秘める悪魔をよりよく隠すすべを生来にして知っており、なおかつ、その手法を操舵するのに長けていて、それはまるで10年来においてそういう船を操船してきましたと言わんばかりの熟練さを初動から見せる。そうしたサイコパスムーブをするような女児もかなり存在する。

私が思い返すに、小学校の先生は綽名をつけられてよく揶揄されていた。
例えばよくカレーを食べる先生が田中先生だったとしたら、「田中カレー」などと呼んで揶揄するのである。そしてそれをよく隠す。
人間の評価や承認状態・認識を裏で低下させることに長けている。
これは小学校の時分からそうであって、中学になるとそれが加速し、高校になると確定する。

私が不思議なのは、そうしたこともあって、女性と言うものに恐怖の一つも感ずるのであるが、一方において純真無垢であったり、あるいは普通の存在であったりと、様々な女性がいる、と言うことで、彼女らは純粋に悪魔などではない、ということでもある(ごく一部にサイコパスが存在するのも確かではあるが)。

これは時代が変遷したからそうなったんでしょうか? それとも元々女性と言うものはこういうものなのか? 
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案内窓口の店員の緊張

2023-05-05 18:26:26 | 思い出
高級百貨店に出かけていった時のことである。

その時、「ホワイトデーのお返しをしたいんですが、売り場ってどこにありますか? 」と入り口の案内の人に聞いた。

そこにいたのは受付嬢での女性3人だった。
本来であれば、笑顔でちょっと事情を聞いてから「はい、その売り場は○Fとなります、中央エレベーターから行ってらっしゃいませ」と言うような案内をするのだが、どうも何かがおかしい。

3人ともこわばった面持ちで、「ホワイトデーですか、はいっ」「○Fになります」と、かなり緊張しているのが分かった。

ん? なんでそうなっているんだ? 自分がヤクザに見えたのか? と思ったのだが、しかしどうも他のお客さんに対してもそれをやっている。

で、暫くしてから合点が行った。
が、これは私の中だけでの作業仮説なので、一般的な結論ではないが、私自身の中で腑に落ちた感じだ。

それと言うのも答えは中国人である。恐らく来る客について私を中国人だと思ったのだ。
折しも、その時はコロナ前での中国人爆買いが華やかりし時であった。
中国人は金を持っているので百貨店のいいお客さんであるが、一方において、態度が荒々しく、行儀が悪く、何でもかんでも自分の利得ができるように主張すると言う負の側面がある。
(しかしおかしい。こうした世間が言っている評判とは裏腹に、私が個人的に知っている中国人は皆品がある人ばかりだ。しかし香港の物売りの老齢女性のバイタリティーの凄さったらマジで半端なかったのことを思い返し、香港人は大陸人を粗野で野卑だと嫌っているので、あの香港の老齢女性のノリ以上のノリで日本に来ていると思うとまあそういうことになる)。

で、この中国人ばかりを相手にしていた高級百貨店の受付嬢では中国語ができる女性を受付に配置していたとのことだが、これが総じて、あれこれ凄い主張を言われるや、剣幕を出して追い返さなければならない状況を繰り返すに、あの険しい顔での対応になったのだろうと想像する。
最初は笑顔だったんでしょうけれどもね、と思ったことは個人的な思い込みかもしれんが、まあ当たっているだろうという私の認識でこの話は終わりになる。

彼女らが凄い可哀想だった&客の自分としては何とも思ってないので、これを百貨店のおえらいさんが見たのであれば、彼女らを決して責めないであげて下さい。
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