読書日記☆こんな本読んでます

2004年1月からの記録です。
この頃積ん読が多くっていけません....

夢見る頃を過ぎても―中島梓の文芸時評

2005-02-28 | その他
『いまこそ帯をすて、小説のなかみだけを眺めればよいのである。そして、面白くない小説にはもっとブーイングの声を…。小説よ、もっと魅力的であれ。純文学をはじめ、演劇、少女小説などを題材に文学の今を鮮やかに斬る。文芸誌はいったい誰が読んでいるのだ!?みんなが思っていても口にしなかったことをズバズバと指摘する。吉本ばななはほんとうにすごいのか!?ダブル村上をどう読む!?1960年の文芸誌をひもとけば!?つぎからつぎへと舌鋒するどく斬り込む中島梓流無敵の文芸批評。』

栗本薫(=中島梓)はもうずいぶん昔から読んでいるのだが(グインサーガには手は出していない)、評論から出発していることは重々知りながら、評論を読んだことはなかったが、古本屋で¥105だったので買ってしまった(苦笑
何によらず評論というのはあくまでも"副産物"という感じがして、お金を出してまで読みたいとは思わなかったのよね(^^;;

『世の中のベストセラーには2種類ある。ごく普通の、インテリだという自負もなければてらいもない人々が「読んでないと恥ずかしい」と感じるものと、それなりにインテリだという自負(自負だけの場合のほうが多い)のある人々が「あんなもの読んでいると思われたら恥かしい」と感じるものだ。「ノルウェイの森」なんかは完全に後者であって、「本屋であんなもの(ここ傍点付き)を手にとっているのを見られたら世間体が悪い」というような感覚があった。これはわからん人にはわからんでいいのである。吉本ばなな、という言葉自体が少々、そちらのニュアンスを含んでいる。村上春樹ほどのことはないが、それを手にしていること自体が「文学ミーハー」「時流に乗り遅れまいとしているおっちょこちょい」「若いぶろうとしているオジンオバン」のどれかだ、というムードをそこはかとなくかもしだす・・・(後略)』

長々と引用したが、このスタンスが受け入れられるかどうかでこの本の評価が分かれるだろうなぁ。
私はもちろん大きくうなずき、嬉々として読み進めたけど、"純文学"なんていうわけのわからないものを読まない私には、なぜ読めないかがわかってとても面白かった。
上の引用文に小鼻膨らませてお怒りの向きには読まれないことをおすすめする。



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