1999年から2000年にかけての年末年始に、槍岳山荘を営業した。槍岳山荘には冬期用の避難小屋部分があり、小屋の閉鎖期間中は開放されている。しかしこの時は本館を開けて、登山者を宿泊させようとしたのだ。厳冬の槍岳山荘で数日を暮らすという贅沢を味わえることに魅力を感じ、よろこんで参加させてもらった。
1999年の小屋閉め前にダンボール箱1つ分のラーメンやレトルト食品を荷揚げしてもらい、余った野菜類を . . . 本文を読む
槍岳山荘は標高3060mにある。そのため、夏になれば毎日のように頭痛や吐き気など、高山病の症状を訴える登山者が現れる。
夏のシーズン中は慈恵医大の運営による診療所が開設されるので、患者を診療所に放りこめば済むのだが、たまたまドクターや学生がいなかったり、期間外だったりすると、小屋番が対処しなければならない。おかげで私は高山病の診断に関しては「ニセ医者」レベルである。
3000mで高山病発生?= . . . 本文を読む
上高地を震源とする地震が続いていたときのことだ。一番大きな揺れがあり、小屋にも被害が発生して慌ただしい一日を過ごしていた。その日の夜7時頃、ひとりの中年女性がやってきた。
「北鎌尾根にガイド登山のパーティがいて、もうしばらくで小屋につくから食事の用意をして欲しい」と、その登山者は言った。「もう夕食の時間は過ぎてますので、牛丼などの簡単なものならいいですよ」と私が言うと、「みんなまともに食事をし . . . 本文を読む
と言っても、槍岳山荘から槍の穂先に登り、ほんのちょっと北鎌尾根へ降りただけである。貧乏沢から北鎌にあがり縦走してきた単独登山者が、あと30mも登れば頂上、という地点で転落したのである。
彼は夕方暗くなった頃最後の岩場にたどりつき、チムニーと呼ばれる場所をよじ登る際にザックを岩に引っ掛けて落ちた。運がいいことに途中のテラスで止まり転落死を免れたが、そのまま小屋を目の前にしてビバークとなった。
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槍岳山荘には、衛星電話を利用したライブカメラがあり、インターネットでいつでも海抜3000mの世界を下界から見ることができた。
毎年春になるとNTTの関係者が入山してきて、カメラを設置する。場所は食堂へ降りる階段の上。ここに小さい窓があり、ここから槍の穂先を見ることが可能なのだ。現在山荘は改築しているので、場所は移っていると思う。
2~3日かけてスタッフが設置するのだが、このメンバーの中に有名 . . . 本文を読む