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1980年に書かれた結城庄司氏の「アイヌ宣言」のご紹介を続けます。
力強く、説得力がある、魅力的な言葉だと思います。
リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。
*****
(引用ここから)
アイヌ民族の独立の願望を捨てたウタリ(同胞)は、同化政策のウイルスに侵されているのである。
アイヌ民族がヤマト民族に同化するということは、アイヌ民族の祖先を捨てることである。
現在でもウタリは“内なるアイヌモシリ(大地)”をもって生活しているのである。
我々の祖先がヤマト民族のシャモに奪われた莫大な大地とその自然資源は誰のものでもない、
我々民族の共同体のものである。
コシャマイン戦争、シャクシャイン戦争、クナシリ戦争は多くのウタリにとって、アイヌモシリに侵略するヤマト民族との大きな戦いであった。
この歴史的な戦争は我々民族の誇りである。
そして多くのウタリと共にコシャマイン、シャクシャインの血の流れを受け継いでいた祖先は、アイヌモシリを守り切れなかった。
アイヌとシャモは仲良く暮らす。
これはシャモ、アイヌばかりでなく、世界の人類民族はそうでなければならない。
だが残念なことに日本列島は人種的な偏見や民族差別があまりにも多く、日常的に精神的な抑圧を植えつけている。
我々の祖先からの教えは、隣人を差別することをきつく戒めてきたのである。
人類は民族として平等でなければならない。
もちろん、そうであるための人間社会を創造するのに努力しているのであって、われわれ祖先のアイヌ社会の歴史はそうであった。
この社会を破壊したのが侵略者ヤマトのシャモたちだったことを忘れてはならない。
共同体の人間社会の思想はアイヌ民族のほんらいの姿である。
自然を共有することも、大ロマンをうたっているユーカラにもその精神文化として語り伝えているではないか。
さらには自然を共有することは人間社会の事だけであってはならない。
動物、植物と、あらゆる生物の共存を含めての精神がなくてはならない。
“いまさらアイヌもシャモもないではないか”、という言葉の裏を考えれば、「アイヌ人も日本人」と言っているのと同じであるが、
この言葉の意味の中には、アイヌ民族としての主体性、ウタリの主張を認めようとしない、意地の悪い思想が隠されている。
一見平等で差別の無いような印象は受けるが、われわれは常にこの手段で騙され続けてきたことを思いだせば、考え着くところがある。
第二次世界大戦が敗戦するまでは、「皇民化教育」が施されていた。
小中学校の教科書に「ヤマトタケルノミコトは東に“蝦夷(エゾ)”を討ち、、」と「蝦夷征伐」の話を日本国家が子ども達に教育として教えていたのである。
“蝦夷”はつまりアイヌ民族のことであるから、アイヌ征伐を学校で教えていたことになる。
「アイヌ人も日本人」とシャモが言うとすれば、アイヌ民族の歴史などを尊重する態度ではなく、むしろ日本人の論理でシャモの側に吸収合併してしまい、
アイヌ民族が元来要求することの出来る権利を捨てなさい、あるは放棄しなさいと言うのと同じである。
日本人「ヤマト民族」そのものは、純血の民族ではない。
日本人の血液から、日本原住民のアイヌの血と朝鮮人の血と中国人の血を抜いたらどのような血液が残るというのか?
天皇一族なんかは日本の原住民ではないことは明らかであるのに、いつの間にか日本人の元祖であるかのようにでっちあげて歴史を歪曲して来たのである。
アイヌは日本原住民としての純粋な文化圏を有していて、広範な地域に散在していた人間集団であったと見るべきであろう。
生産手段は農耕を主体とするものではなくして、狩猟漁や採集が主な生産手段であったので、このような生産区分の仕方をすると、ヤマトは農耕民族、アイヌは狩猟民族と分けることが出来よう。
それぞれに独立した文化圏であったと思うのである。
農耕民族も自然相手の生産であったろうが、宗教の面で特に異なるようである。
狩猟民族であるアイヌの場合は大自然全部が拝む神がみであり、多神教の宗教である。
人間以外は動物も植物ももちろんのこと、宇宙の太陽、月、星、雷、あらゆるものがカムイである。
人間と生物が一体となった自然神教であるとも言える。
日本原住民のアイヌにしてみれば、天皇の祖先はどこから来た渡り者か知らぬが、日本列島における万世一系という天皇の思想は本物ではないことは明確であるだろう。
ヤマト朝廷は、朝鮮を奴隷国としながらも、その国の文化の恩恵に与っている。
一方では朝鮮民族を農耕奴隷として買い入れたり、朝鮮国をたびたび支配して来たのであった。
またその一方では東国に向かって「蝦夷征伐」と称して侵略戦争を仕掛けてきたのであった。
その度に日本原住民を農耕奴隷としてきた。
このようにしてヤマト朝廷は建国され、天皇一族は日本を支配して来たのである。
(引用ここまで・終)
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関連記事![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ichigo.gif)
「ブログ内検索」で
アイヌ 15件
先住民族サミット 5件
などあります。(重複しています)
力強く、説得力がある、魅力的な言葉だと思います。
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(引用ここから)
アイヌ民族の独立の願望を捨てたウタリ(同胞)は、同化政策のウイルスに侵されているのである。
アイヌ民族がヤマト民族に同化するということは、アイヌ民族の祖先を捨てることである。
現在でもウタリは“内なるアイヌモシリ(大地)”をもって生活しているのである。
我々の祖先がヤマト民族のシャモに奪われた莫大な大地とその自然資源は誰のものでもない、
我々民族の共同体のものである。
コシャマイン戦争、シャクシャイン戦争、クナシリ戦争は多くのウタリにとって、アイヌモシリに侵略するヤマト民族との大きな戦いであった。
この歴史的な戦争は我々民族の誇りである。
そして多くのウタリと共にコシャマイン、シャクシャインの血の流れを受け継いでいた祖先は、アイヌモシリを守り切れなかった。
アイヌとシャモは仲良く暮らす。
これはシャモ、アイヌばかりでなく、世界の人類民族はそうでなければならない。
だが残念なことに日本列島は人種的な偏見や民族差別があまりにも多く、日常的に精神的な抑圧を植えつけている。
我々の祖先からの教えは、隣人を差別することをきつく戒めてきたのである。
人類は民族として平等でなければならない。
もちろん、そうであるための人間社会を創造するのに努力しているのであって、われわれ祖先のアイヌ社会の歴史はそうであった。
この社会を破壊したのが侵略者ヤマトのシャモたちだったことを忘れてはならない。
共同体の人間社会の思想はアイヌ民族のほんらいの姿である。
自然を共有することも、大ロマンをうたっているユーカラにもその精神文化として語り伝えているではないか。
さらには自然を共有することは人間社会の事だけであってはならない。
動物、植物と、あらゆる生物の共存を含めての精神がなくてはならない。
“いまさらアイヌもシャモもないではないか”、という言葉の裏を考えれば、「アイヌ人も日本人」と言っているのと同じであるが、
この言葉の意味の中には、アイヌ民族としての主体性、ウタリの主張を認めようとしない、意地の悪い思想が隠されている。
一見平等で差別の無いような印象は受けるが、われわれは常にこの手段で騙され続けてきたことを思いだせば、考え着くところがある。
第二次世界大戦が敗戦するまでは、「皇民化教育」が施されていた。
小中学校の教科書に「ヤマトタケルノミコトは東に“蝦夷(エゾ)”を討ち、、」と「蝦夷征伐」の話を日本国家が子ども達に教育として教えていたのである。
“蝦夷”はつまりアイヌ民族のことであるから、アイヌ征伐を学校で教えていたことになる。
「アイヌ人も日本人」とシャモが言うとすれば、アイヌ民族の歴史などを尊重する態度ではなく、むしろ日本人の論理でシャモの側に吸収合併してしまい、
アイヌ民族が元来要求することの出来る権利を捨てなさい、あるは放棄しなさいと言うのと同じである。
日本人「ヤマト民族」そのものは、純血の民族ではない。
日本人の血液から、日本原住民のアイヌの血と朝鮮人の血と中国人の血を抜いたらどのような血液が残るというのか?
天皇一族なんかは日本の原住民ではないことは明らかであるのに、いつの間にか日本人の元祖であるかのようにでっちあげて歴史を歪曲して来たのである。
アイヌは日本原住民としての純粋な文化圏を有していて、広範な地域に散在していた人間集団であったと見るべきであろう。
生産手段は農耕を主体とするものではなくして、狩猟漁や採集が主な生産手段であったので、このような生産区分の仕方をすると、ヤマトは農耕民族、アイヌは狩猟民族と分けることが出来よう。
それぞれに独立した文化圏であったと思うのである。
農耕民族も自然相手の生産であったろうが、宗教の面で特に異なるようである。
狩猟民族であるアイヌの場合は大自然全部が拝む神がみであり、多神教の宗教である。
人間以外は動物も植物ももちろんのこと、宇宙の太陽、月、星、雷、あらゆるものがカムイである。
人間と生物が一体となった自然神教であるとも言える。
日本原住民のアイヌにしてみれば、天皇の祖先はどこから来た渡り者か知らぬが、日本列島における万世一系という天皇の思想は本物ではないことは明確であるだろう。
ヤマト朝廷は、朝鮮を奴隷国としながらも、その国の文化の恩恵に与っている。
一方では朝鮮民族を農耕奴隷として買い入れたり、朝鮮国をたびたび支配して来たのであった。
またその一方では東国に向かって「蝦夷征伐」と称して侵略戦争を仕掛けてきたのであった。
その度に日本原住民を農耕奴隷としてきた。
このようにしてヤマト朝廷は建国され、天皇一族は日本を支配して来たのである。
(引用ここまで・終)
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