山本由美子さんの「マニ教とゾロアスター教」からの引用の続きです。
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(引用ここから)
このような神話のもとでは現世をすべて否定して死んでしまうことがもっとも意味があるかのように見える。
マニ教徒は一体どうすることが期待されたのであろうか?
たしかに物質否定や現世否定は明白に見られる。
人間は物質でありながら、アダムとイブの子孫として大量の光の本質をも持っている、という矛盾した存在である。
マニは「人間は真理の道に従ってグノーシスを得、現世の救済に貢献すべきである」と説いた。
つまり人間には、「自分の中の救われるべき本質を、自ら救わねばならない」という使命がある。
マニ教徒たちはそのため、不殺生を尊び、肉食を慎み、酒を控え、性的な禁欲を勧めた。
不殺生は、動物を殺してはいけないことばかりでなく、植物の根を抜いたりすることも禁止された。
この禁止令を厳しく守れば、生産活動はできない。(農業もできない)
肉食は言葉と心の清浄さを守るために禁止された。
食べてよい物の代表的なものは果物であり、透き通った野菜である。
きゅうりやメロンは最も良いとされた。
ユダヤ教の十戒に似た十戒を守り、白い衣服を身に付け、五感を抑制することを求められた。
普通一日一食の菜食主義で、週に一度は断食した。
一日に4~7回の黙とうを捧げ、信者間での告白の儀式が行われた。
洗礼も行われたが、水は使われなかった。(水を汚さないために)
年末(春分の頃、キリスト教の復活祭にあたる)にマニの死を記念して執り行われるマニ教最大の祭り「ベーマ祭」には一カ月の断食を守らなければならなかった。
また動物や植物を害した者も、来世にその自分が傷付けたものになって同じ苦しみを受けると言われた。
人間は死ぬとその魂は自らの行いを具現化した超自我に会い、公正な正義のもとで裁判を受ける。
そうしてはじめて、光の本質が浄化され、救われると考えられた。
この様にマニ教徒であることには、きわめて道徳的で清浄な生活を送り、かつ壮麗な宇宙の闘いに参画しているという充実感を得られるという魅力があったと言えるだろう。
(引用ここまで・続く)
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この厳しい戒律は、すべての人に課せられたのではなく、一部の人のつとめであって、一般信徒はもう少し柔らかな規則だったようです。
透明な野菜と果物が、もっともよい食べ物である、という考えには、胸がキュンとなります。
食べるという行為は、人類の重大な秘密の要素をはらんでいると考えますが、菜食も神秘への道の一つ。。
しかし、ここには、太陽神の力強さの要素は感じられません。
あくまでも、当時流行していた「水による洗礼」派の、清らかな生活が思い浮かぶばかりです。
世界宗教として、東西をまたにかけて席巻した大宗教の印象はありません。
太陽神ミトラは、紀元前1500年にさかのぼる古代宗教であったと思いますが、マニ教が分析される時には、なにかが欠けているように思えてなりません。
ゾロアスター教との勢力争いに敗れた、イランのキリスト教の異端派という立場が前面に押し出されているのではないかと感じます。
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