
次にミシェル・タルデユー著「マニ教」から、少し引用します。
この本は2002年に翻訳されたもので、わりと新しい研究なのではないかと思います。
リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。
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(引用ここから)
マニの母がマニを身ごもっていたころ、マニの父親は「エルカサイ派」と呼ばれていたユダヤ人キリスト教の洗礼宗派に入会した。
この洗礼派の生活実践の本質をなすのは、身体および食物に関わる儀礼的洗浄である。
彼ら自身、「白装束」と称する白い衣服を着ていた。
その白装束は彼らの浄化された状態を象徴するものであった。
この洗浄という点において、エルカサイ派をパレスチナやバビロニアの洗礼集団から区別するものは何もない。
マニが幼児期からこのような戒律体系に所属していたということを念頭に置いておかないと、マニがやがて辿る発展、および予言者としての自覚に至るまでのさまざまな段階を印付けることになる一連の紛争の歴史は理解不可能である。
マニはエルカサイ派の共同体の一員でありながら、やがてこの戒律の体系に異を唱え、さらにはそれを放棄するにいたる。
しかしその後マニ教教会の創始者となった彼は、かつて知っており、そして破棄したものから着想を得て、(それとよく似た)彼独自の食物規定をまとめることになるのだ。
エルカサイ派は新たな宗派の開祖となるにあたって、それまでヘブライ的宗教(ユダヤ教)を支えてきた文化的かつ社会的基盤を破棄した。
すなわちかつてイスラエルの族長たちによって始められ、その後「過越しの祭」の儀礼の一つとして恒常化された「血の供儀」のことである。
この儀礼では、いけにえの動物は喉を切開されて血を抜かれた後、祭壇の上で焼きつくされた。
したがってこれを破棄したエルカサイ派の食卓からはすべての肉食品が排除された。
エルカサイは「火」はいにしえの宗教の粗悪な実践にこそふさわしい悪魔的な道具とみなし、新しい宗教にはそれに代わって「水」こそが驚異的な手段であるとした。
「わが子たちよ、騙されないよう、
見える火に近づいてはならない。
火は悪習でしかないのだから。
それははるか遠くにあっても、君はそれをすぐ近くに見るのだ。
ましてそれを見に近づかないように気をつけなさい。
むしろ水の声に従いなさい。」
こうしてエルカサイ派の順法主義は、ユダヤ教の“死に至らせる供儀”の“火”に代えて、パレスチナの洗礼教団に由来する“生命の水”を置く。
(引用ここまで・続く)
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Wikipedia「過ぎ越しの祭」より 聖書における過越の準備
現在では行われないものと受け継がれているものがある。
☆アビブ(ニサン)10日
傷のない雄の子羊、または山羊を選び分ける(出エジプト記12章5節)。
☆アビブ(ニサン)14日
その羊(または山羊)をし、その血を家の2本の戸柱と戸口の上部に掛ける(出エジプト記12章6-7節)。
☆アビブ(ニサン)15日(日没で日付が変わる)
夜にその肉を焼き、酵母の入っていないパン(マッツァー)と苦菜を添えて食べる。
生のまま、または煮て食べることは禁止されている(出エジプト記12章8-9節)。
現在もユダヤ教はもちろん、キリスト教の聖餐式でも酵母(パン種)の入っていないパンを食べる習慣が受け継がれている。
残った肉は火で焼き尽くす必要がある。朝まで残しておいてはいけない(出エジプト記12章10節)。
wikipedia「洗礼」より 「洗礼」は、『新約聖書・福音書』において、バプテスマのヨハネがヨルダン川にて行っていた「浄化儀式」の日本語訳として造られた言葉である。
動詞としての「洗礼を施す」は、ギリシア語で「バプティゼイン 」と言い、「バプテスマ」という言葉は、ここから来ている。
キリスト教やバプテスマのヨハネ以外にも、西方ミトラ教やマンダ教、エルカサイ派などの「洗礼教団」が中東地域に存在し、洗礼の儀式を行っていた。
ユダヤ教をひっくりかえし、ゾロアスター教をひっくりかえし、キリスト教をひっくりかえし、洗礼派をひっくりかえし。。
マニは相当な革命家だったのだなぁ、と思います。
しかし、当時の古代世界は、右を見ても左を見ても、あちこちで革命的な宗教集団がしのぎを削っていたということなのだと思います。
その中で、マニがどのような独自性を有していたのか、分かりそうで分からない歯がゆさを感じます。
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などあります。(重複しています)








で
マニ教 宇宙図 で検索
こちらに至りました。
興味深い内容が列記されているようです。
少しずつ拝見させていただきたいと思います。
絵文字リストにはびっくりしました。
コメントどうもありがとうございます。
興味深い、とおっしゃって下さり、どうもありがとうございます。
マニ教ですが、東洋ではどうなったのか?、というところから先が、難しくて難儀しています。
アジアの基層文化について、もっともっと資料がほしいなあ、と思っています。
「日本で絵画がみつかった」、という記事からは、日本にマニ教が伝わっていたのかもしれない、と考えたいと思いますが、「日本の基層文化としての“非日本的要素”」とは?、と考えると、とてもたくさんのことが絡んできて、ほんとうに、「日本とは何だろう?」と、ますます分からなくなるばかりです。。