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本多勝一氏の「先住民族アイヌの現在」に掲載されていた 萱野茂氏の「アイヌ民族破壊を弾劾する簡略なる陳述」という部分を紹介します。
この文章は、1988年、アイヌの土地をダム建設のため強制収用しようとする政府・開発庁側に対し、二風谷のアイヌ民族の中で最後まで買収に応じなかった二人――萱野茂氏と貝沢正氏の陳述を紹介したものです。
リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。
*****
(引用ここから)
萱野茂氏の陳述
・・・
北海道の地名について少しだけ触れてみたいと思います。
その昔、北海道というこのでっかい島を、アイヌ民族が自分達の国土として豊かに暮らしていた時代にどのように呼んでいたかと言えば、「アイヌ・モシリ」と言っていました。
「アイヌ」という意味は「人間」、「モ」というのは「静かな」と言うことです。
「シリ」というのは「大地」という意味であります。
したがいまして、アイヌは自分達の国土を「アイヌ・モシリ=人間の静かな大地」と呼び、誰にはばかることなく自由に暮らしていたのであります。
そしてこの広い北海道の隅から隅まで、山でも川でも、岬でも、どんなに水量の少ない小沢や台地や窪地に至るまで、おのが言葉アイヌ語で全部名前をつけたのであります。
北海道におけるアイヌ語地名はおよそ48000か所になるわけであります。
これは何を意味しているでしょうか?
アイヌ民族が北海道を「アイヌ・モシリ」と呼び、自分達の国土として何不自由なく暮らしていた大きな証拠なのであります。
わずか119年昔の明治2年に、明治政府が「北海道」と名前を付けるまで、それは続いていました。
今でも「アイヌ・モシリ=北海道」はアイヌ民族の国土であるとわたしは信じているものであります。
このでっかい島北海道を日本国へ売った覚えも貸した覚えもない、というのが心あるアイヌたち、そしてアイヌ民族の考え方なのであります。
もし日本政府がアイヌ民族が北海道を買ったというなら、買い受けたという証拠になる文書なり証人なりを出してほしいです。
(引用ここまで)
*****
wikipedia「二風谷ダム」より
ダムが建設される二風谷地区は、アイヌ民族にとって「聖地」とされてきた。
チプサンケと呼ばれるサケ捕獲のための舟下ろし儀式を始めとして当地はアイヌ文化が伝承される重要な土地であった。
このため計画発表と同時に地元のみならず道内のアイヌから強い反対運動が起こった。
水没戸数は9戸と少なかったが水没農地が水没面積の半分を占め、うち競走馬の牧場が二箇所あったことも補償交渉を長期化させた。
水没予定地の関係者に対する補償交渉は9年を費やし、1984年(昭和59年)には補償交渉が妥結。
平取町もダム建設に同意し翌1985年(昭和60年)には水源地域対策特別措置法の対象ダムに指定されて生活再建への国庫補助などが行われた。
しかしアイヌ関係者のうち萱野茂と貝澤正の両名はアイヌ文化を守るため頑強にダム建設に反対。
所有する土地に対する補償交渉に一切応じず、補償金の受け取りも拒否した。
このため北海道開発局は両名への説得を断念し土地収用法に基づき1987年(昭和62年)に強制収用に着手した。
これに対し両名は強制収用を不服として1989年(平成元年)に収用差し止めを事業者である建設大臣に求めたが1993年(平成5年)4月にこれは棄却された。
請求棄却に反発した両名は翌月土地収用を行う北海道収用委員会を相手に札幌地方裁判所へ行政訴訟を起こした。
いわゆる「二風谷ダム建設差し止め訴訟」である。
両名とその弁護団はダム建設の差し止めを求めたが、真の目的はアイヌ民族の現状を広く一般に認知させ、アイヌ文化を国家が保護・育成させることであった。
この間萱野は日本社会党の参議院議員(比例代表区)として国政にも参与している。
関連記事![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ichigo.gif)
「ブログ内検索」で
アイヌ 15件
先住民族サミット 5件
などあります。(重複しています)
この文章は、1988年、アイヌの土地をダム建設のため強制収用しようとする政府・開発庁側に対し、二風谷のアイヌ民族の中で最後まで買収に応じなかった二人――萱野茂氏と貝沢正氏の陳述を紹介したものです。
リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。
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(引用ここから)
萱野茂氏の陳述
・・・
北海道の地名について少しだけ触れてみたいと思います。
その昔、北海道というこのでっかい島を、アイヌ民族が自分達の国土として豊かに暮らしていた時代にどのように呼んでいたかと言えば、「アイヌ・モシリ」と言っていました。
「アイヌ」という意味は「人間」、「モ」というのは「静かな」と言うことです。
「シリ」というのは「大地」という意味であります。
したがいまして、アイヌは自分達の国土を「アイヌ・モシリ=人間の静かな大地」と呼び、誰にはばかることなく自由に暮らしていたのであります。
そしてこの広い北海道の隅から隅まで、山でも川でも、岬でも、どんなに水量の少ない小沢や台地や窪地に至るまで、おのが言葉アイヌ語で全部名前をつけたのであります。
北海道におけるアイヌ語地名はおよそ48000か所になるわけであります。
これは何を意味しているでしょうか?
アイヌ民族が北海道を「アイヌ・モシリ」と呼び、自分達の国土として何不自由なく暮らしていた大きな証拠なのであります。
わずか119年昔の明治2年に、明治政府が「北海道」と名前を付けるまで、それは続いていました。
今でも「アイヌ・モシリ=北海道」はアイヌ民族の国土であるとわたしは信じているものであります。
このでっかい島北海道を日本国へ売った覚えも貸した覚えもない、というのが心あるアイヌたち、そしてアイヌ民族の考え方なのであります。
もし日本政府がアイヌ民族が北海道を買ったというなら、買い受けたという証拠になる文書なり証人なりを出してほしいです。
(引用ここまで)
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ダムが建設される二風谷地区は、アイヌ民族にとって「聖地」とされてきた。
チプサンケと呼ばれるサケ捕獲のための舟下ろし儀式を始めとして当地はアイヌ文化が伝承される重要な土地であった。
このため計画発表と同時に地元のみならず道内のアイヌから強い反対運動が起こった。
水没戸数は9戸と少なかったが水没農地が水没面積の半分を占め、うち競走馬の牧場が二箇所あったことも補償交渉を長期化させた。
水没予定地の関係者に対する補償交渉は9年を費やし、1984年(昭和59年)には補償交渉が妥結。
平取町もダム建設に同意し翌1985年(昭和60年)には水源地域対策特別措置法の対象ダムに指定されて生活再建への国庫補助などが行われた。
しかしアイヌ関係者のうち萱野茂と貝澤正の両名はアイヌ文化を守るため頑強にダム建設に反対。
所有する土地に対する補償交渉に一切応じず、補償金の受け取りも拒否した。
このため北海道開発局は両名への説得を断念し土地収用法に基づき1987年(昭和62年)に強制収用に着手した。
これに対し両名は強制収用を不服として1989年(平成元年)に収用差し止めを事業者である建設大臣に求めたが1993年(平成5年)4月にこれは棄却された。
請求棄却に反発した両名は翌月土地収用を行う北海道収用委員会を相手に札幌地方裁判所へ行政訴訟を起こした。
いわゆる「二風谷ダム建設差し止め訴訟」である。
両名とその弁護団はダム建設の差し止めを求めたが、真の目的はアイヌ民族の現状を広く一般に認知させ、アイヌ文化を国家が保護・育成させることであった。
この間萱野は日本社会党の参議院議員(比例代表区)として国政にも参与している。
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先住民族サミット 5件
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